第67話 侵略の果樹園

 夕方ごろ、拠点に帰ってきた。


「ウカさんに切り株あげてきますねー」


 と言った千種が菜園の方に向かってから、すぐ。


 マツカゼが切羽詰まった様子で俺の前に飛んで来た。だが、いつものようなお出迎えではなさそうだった。獰猛な声で吠えてくる。


「どうした?」


 まるで魔獣でも出てきた時のような様子。マツカゼは走りだした。


「なにか出たみたいね」


 ミスティアがそう言って、マツカゼの後をついて行く。俺もその後を追った。


「うぎゃあぁー!!?」


 千種の悲鳴が聞こえた。走る速度を上げる。


 異常があったのは、果樹園だった。

 ウカタマたちと植えた果樹のあった場所に、苗木ではなく巨樹がそびえ立っていた。


 ……俺の可愛いオレンジの木になにが!?


 そこではウカタマが持ってきてくれた苗木を大事に植えたはず。


 しかもその木が動いている。風で揺られているとかではなく、困惑した様子で右に左に走るウカタマを、目で追うかのようにギシギシと音を立てて振り返っている。


 ……なんだあれ?


 近づくと、どう見ても樹木にしか見えなかったその姿の中に、人のような形の幹があることに気づく。

 森の中で見たら多分、シミュラクラ現象だと思った。よく言う、点が三つあったら顔に見えるというあれ。

 人形に見える大根や人参と同じように、女性のような形をした立木だと思っただろう。


 だが、それが動いているとなると、ちょっと話は別である。

 ちょっと不気味ですらある。


小妖精ピクシーが周りにいるわね……」


「あ、本当だ」


 木々の周りには、羽根を持つ光の塊・ピクシーがふよふよと浮いている。となれば、


「サイネリアの仕業か……?」


「よくぞ見破りました。流石はマスター」


 動く巨木の枝に、足を組んで腰掛けているサイネリアを発見した。


「たすけてください……」


 無数の木の枝に絡め取られている千種の姿も、そこにある。


「これぞ妖精族の暗黒巨大要塞です。この土地の全ての樹木を支配し、妖精郷ティル・ナ・ノーグを作るのです!」


「嘘だろ」


「はい。半日ほどかけて召喚に成功した、森精霊のドリュアデスです。ハープを弾き続けて導きましたが、相変わらずトロくさい奴です。疲れましたよ」


 最初の茶番はなんだったんだろう……。


「精霊召喚の儀式を途中でサボって、村にお酒飲みに来てたんだ……?」


 ミスティアが呆れたように見ている。

 異常を知らせたマツカゼと、見張っていたハマカゼを労うように撫でている。


「……千種を下ろしてやってくれないか?」


 縛り上げられて吊るされる女子高生は、涙目でそうだそうだと訴えている。

 なんでそんなことになってるんだ。


「もう少しこちらに寄ってください。ドリュアデスは男性が近寄ると、姿を現すので」


「このくらいか?」


 木に近寄ると、樹木に動きがあった。樹木なのに動かないでほしいけど。


 パキパキと音を立てて、シミュラクラ現象してた幹が降りてくる。七割くらいはまだ植物な感じだが、木の幹よりは人に近づいた形で、べきべきと巨樹から離れて降り立った。


 じっと俺の様子をうかがっている。


「ど、どうも?」


 話しかけてみるが、手を振るだけ。

 しかしこの雰囲気は、どことなくウカタマやムスビに似ている。


 ……もしかして喋れない?


「千種を下ろしてもらえないか?」


 そう提案してみると、無言で逆の手を上げた。メキメキメキ──と、音を立てて千種が解放される。


 俺の上で。


「にゃる……」


「おつかれ」


 落ちてきた千種をキャッチして、リリース。遅れて発動した無重力魔法の力で、女子高生魔法使いはふわふわと力無く離れていった。


「ところで、ここに植えた俺の果樹はどうしたんだ?」


 俺が訊ねると、ドリュアデスは無言で両手を合わせてぺこりとお辞儀した。

 そしてお腹をくるくるとさする。


 ……食べられた!?


「正確には捧げたのです。なにしろ珍しい精霊なので、依り代が必要でして」


「お前のせいか……」


 何でもない事のように言いながら飛んでくるサイネリア。一応世話する気満々だったのに……。


 ドリュアデスが、自分の胸を叩いて見せた。そして、手を差し出す。

 ざわざわと緑の手のひらの上で、枝葉が蠢く。

 やがてそこに花が咲いて、同時に一つの果実を作り出した。


 それを俺に差し出してくる。


 受け取った果実には、見覚えがあった。ウカタマ達と一緒に食べたのとそっくりだ。俺が植えた果樹は、これをつける予定だった。


「……もしかして」


「接ぎ木のようなものでしょうか。マスターが手ずから植えた果樹にドリュアデスが宿り、樹木が精霊のものに上書きされても、混じり合わさったと」


 ドリュアデスが後ろに下がった。樹木から枝が伸びて連結し、幹へと戻っていく。

 そして、あとは普通の樹木と同じように、そこで佇立するのみだった。


 ……不気味かと思ってたけど、俺が植えた木が育って、ウカタマみたいな精霊獣っぽいものになったと思えば。


 許そう。


「……まあ、来ちゃったものはしょうがないか。人間とは仲良くできるか?」


 さわさわと枝が揺れた。肯定だと思う。


「で、サイネリアはなんでこんなことを?」


「乳が欲しいと言っていたので。ドリュアデスなら、それくらいはたやすいかと」


「……木だけど」


 妖精が動いた。すいっとドリュアデスの枝に飛んでいって、そこに生っていた実をぶちりともぎ取る。

 ドラクエのスライムみたいな形をしたその実を、俺に差し出した。


「まだ少し早いですが、上の細いところを切ってみてください」


 言われたとおりにしてみる。すると、意外な音がした。

 水音だ。

 果実の中から、チャプチャプと液体の揺れる音がする。


「植物性ミルクか」


「お目が高い」


 ココナッツミルクや豆乳。植物にも脂肪を含むものはあるけど、胚乳を砕いて絞ったりしないと作れないはずなんだが。

 味見してみると、


「うーん……牛乳より少し薄いか? でもミルクだな、本当に」


「お肉をここの土に埋めれば、濃くなることでしょう」


「……植物として、それはどうなんだ?」


 少し怖い。しかし、背に腹は代えられないのも事実。この場合は、水で乳には代えられないとでも言うべきか。


「これでおやつが作れますね? 作りましょうね?」


 パン種から生まれた小妖精ピクシーと、半日かけてもドリュアデスを召喚したサイネリアが、シャドウボクシングしながら期待のまなざしを浴びせてくる。

 ここまで求められては、仕方が無い。


「動物の内臓とか油なら、ウカタマが肥料にしてくれてるけど……」


「ふむ、やれますか? ……やれるそうです」


「じゃあ、ここには多めにするよう頼んでおくよ」


 果樹はほったらかしでもわりと育って、実が採れるのが利点だ。だがその分、異変に気づくのがプロでもないと難しい。

 自己申告してくれるなら、簡単でいい。そう思っておこう。


「ミルクが果樹園から採れるようになるとはな……」


「ドリュアデスには、美少年を誑かすという特技があります。樹の中に閉じ込めて、飼ってしまう。人間は、その実を食べるだけで生きられるそうです」


 それに比べれば確かに軽いかもしれないけど、それは。


「……やるなよ?」


 一応釘を刺しておくと、樹木がびくりと揺れた気がした。


 さっき許したのは、果たして正解だったのだろうか……。


「人間が攻めてきたら、妖精はここに避難しましょう」


 サイネリアは、不穏なことをつぶやいた。ピクシーたちが、その光を明滅させながら、ドリュアデスの巨木を中心に漂う。


 たしかに、小さな彼らにとっては巨大要塞みたいなものかもしれない。


 ……これ、侵略されてないだろうか。


 気をつけよう。

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