第55話 商人の誓い

 お互い話題も交換し終えて、いよいよドラロさんと交渉することに。

 千種には運んでもらったものを荷揚げ場に置いておいてもらった。そちらの方で男三人顔を突き合わせる。


「これは疑う余地もなく神樹の森の材木じゃな。鉄ののこぎりが負ける」


 刃が欠けた鋸を手にして、ドラロさんがそんなことを言う。セデクさんが、どこか遠くを見ながら言った。 


「うむ。まさに天上の品。神々がもたらした恵みよ。鋼の鋸を作れば……どうにかなるか?」


「わからん。儂は大工ではない。じゃが、人の手では難しかろうな……。水車で鋸を動かす木工所でも作るか?」


 なにやら大げさな話になってしまっているので、俺も参加してみる。


「伐る前はもっと頑丈なんですが、伐採するといくらか柔らかになりますから、扱いやすくなってると思うんですけどね……」


 これは俺の体感だが、伐採した木は立っている時より、ずっと刃が通りやすい。

 伐採した樹木を木材として扱うには乾燥させてやらないとならないが、〈クラフトギア〉で伐った樹木は程よく乾いていた。

 この神器の創造主はせっかちで、接着剤がわりに時を止めるなんて芸当をしている。切っている最中に、切る以外の力が働いていてもおかしくない。


「一番硬くて水より重いやつよりは、ずっと素直なのを選んできましたから」


「神の基準で言わんでもらえるか」


 ドラロさんがちょっと冷たい。

 なかなか堅物というか怖いおじいさんである。森の中で冒険者同然に野営してますよと言ったら冒険者がそんな余裕あるかと怒られたし。


 まあこんな森しか周りに無い町なのにビシッとした服装を崩していないし、やはりミスティアの言うとおり怖いけど根は優しいみたいなおじいさんである。


「神樹の森の木材が、家一軒分以上は優にある。矢すら徹らない鞣した大魔獣の毛皮。宝石のように麗しい果実。ジャムまで売るほどある、か」


 セデクさんは歌うように、指折り数えた。


「しかし、買い手になるはずの我々のほうが、それについていけておらんな」


 放牧場を作ったせいで自家消費がちょっと追いつかない材木を少し売りに出そうとしたのだ。しかし、突然すぎたらしい。


「まあ、それなら木材はもっと必要な時にとかでも」


 千種に頼んで持って帰ろう。


「いやいやいや、それには及ばん! 買うとも! 神樹の森から伐り出した神代樹じんだいじゅだぞ! それを目の前で山と積んでおいて取り上げるとは、人情が無い話だと思わんか!?」


「持て余すって言ってませんでした?」


「たとえ自分が使えないものであってもだ! 滅多に見ることもできない一級品が大安売りしていて、おぬしは手をつけないというのか!?」


 アウトレットショップがなんか最新の良品キャンプギアを展示品処分とかで大安売りしていると、たとえ必要がなくても買わないといけない気がしてくるあれだろうか。


「……たしかに、買っちゃいますね」


「そうだろう! 儂にはこの材が作る、素晴らしいものが見える!」


 バシバシと神樹を叩きながら俺を叱ってくる商人。


「頑丈さは鉄のようだが、手触りは百年息づいた樹木にしか出せない年季! 叩けば中に虫食いも洞もない重厚な音! それでいて木の温かみを保ついじらしさ! 分からんのか!?」


 残念ながら分からなかった。

 いや、良い木だなあとは思ってたけど。


「ドラロはな、大きな商館で育ったんだが、そこの奥様は芸術家のパトロンだったそうだ。ただの土塊と見分けがつかない大理石の塊が、美しい彫像になる様を見て感動してしまったらしい。金に汚い商人に見えて、芸術には理解が深いぞ」


「へえー。目が肥えてるっていうことですか」


 セデクさんにそんな紹介をされて、ちょっと納得する。そういえば最初も、審美眼について褒められたな。

 あれは、ドラロさんのこだわりポイントだったのかもしれない。


「まあ、これは買うにしてもだ。価値のわかる相手を探さねばならん。できることなら、この地の役に立てたかった。それが口惜しい」


「ドラロのあれは要するに『手元に置いておきたかった』という意味だぞ」


 セデクさんが暴露してくる。


「いらんことを言うな。お主はいい加減、そのソファから立ち上がれ」


「これはエルフもダメにするらしいぞ!」


 エルフもダメにするソファ。現在だめになっているのは領主さんである。さっきから寝転がったまま、ずっと起き上がれずにいる。


 確かに、威厳は無かった。


 魔獣の毛皮についてなら、毎日狩りをする必要もあるし、ある程度なら数も約束できるんだが。


「儂はそれの扱いにも困っておるわ。領主がひっくり返っているのを、どうすればいい」


「名前が特別なものを欲しいな。どうする?」


 マイペースなセデクさんの主張。


「……製作者に聞け」


 ドラロさんは、投げやりにこっちに振ってくる。

 あの『Yogibo』が『ヨガ』→『Yogi』で『なんか親しみやすいから』という理由で『bo』をつけていたので、


「も、モスファー、とか」


「モスファーだな。よし、了解した」


 了解されてしまった。適当だったのに。


「この手触りもだが、エルフすら魅了されるモスシルクというのは、絵描きモドキに生地の美しさは目の毒であろうが。だからこそ、おぬしが魅了されてしまうのもわかるがな」


 モスファーはドラロさんからの評価も上々である。


「うむ。光に包まれているかのようで、夢心地だ」


「……まあそちらは完成品だから、手を加えることもない。問題は、伐りだした神樹の方だな。アイツさえおれば、さぞ素晴らしいものを作ったであろうに……」


「アイツ?」


「……なんでもない。とにかくこれは買わせていただこう、ソウジロウ殿」


「でも使い途がないと、置いておくだけになりませんか? 邪魔になりますよ」


「なあに──」


 セデクさんがようやく立ち上がり、商人の肩を叩いて笑った。ニヤニヤと。


「──邪魔にならないようにすればいいだけだ。なあ、ドラロ?」


「……使い途はある。だが、名誉に関わるゆえ、今は言えん」


 逃がしそうな顔でドラロさんが言う。名誉?

 一体何があるんだろうか。

 木工場を建てるよりも大仰なことが、行われようとしているんだろうか。


「そうだ。ドラロの別れた後妻を呼べばいいなんて、俺には言えん。名誉に関わる。なにしろこやつ、前妻の息子を呼び寄せる手紙を書いたばかりだぞ」


「セデク、貴様ァ──!!」


 老商人が意外なほど腰の入ったパンチを領主様の腹に叩きつけ、セデクさんは心底おかしそうに笑うだけで、それを受け入れていた。


 ……仲が良いなー。


 とはいえ、ちょっと安心した。


「つまり、ドラロさんの気まずさを犠牲にしてご家族が集まればなんとかなると」


「そうだ。しばらく前に他国でならもっといい暮らしができると、遠くに行くように言ってしまってな。いやいや、あの時は夫婦で大喧嘩しておった」


「それを呼び戻すんですか……?」


 荒れそう。


「戻ってこいという必要は無い。ただ、儂がこの木を仕入れたという話はする。それだけのこと。送れと言われるか戻ってくるかは、アイツしだいで」


 顔を逸らして言うドラロさん。


 ……戻ってきてほしそう。


 しかしドラロさん、こんな長閑なところで、意外なほど情熱的な理由を持ち込んでらっしゃる。


「なんというか……いいんですか? ほんとに売っても」


「買うとも」


 おそるおそる口にした。しかし、ドラロさんは不機嫌そうな顔で即答した。


 そして、不敵に笑う。


「価値のあるものを価値の分かる者に届けねばならん。それは儂が商人を目指した時の、最初の誓いだったゆえにな。男として恥をかくからと、商人としての誓いを曲げては、儂の魂にはなにも残らんではないか」


 どうやらドラロさんのことを誤解していたようである。

 頑固は頑固でも、自分以外のところに規範を置く頑固さだったらしい。


「……まあ色々と恐ろしくはあるが」


 ばつの悪そうな顔でそう付け加えるドラロさん。


 しかし、俺としては、


「なんだか、ぜひとも買ってほしくなってきました」


 そんな正直な気持ちを話すと、セデクさんがポンと俺の背を叩いた。


「わかるぞ。この商人は、こう見えてなかなか人たらしだ」


 同志を見つけたという顔をする領主と一緒に、苦み走ったドラロさんを横目に笑い合うのだった。

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