第48話 妖精酵母

 アイレスはサイネリアの言っていたとおり、パンを焼いたら喜んでいた。


「こいつは美味い! ふわふわで、口の中から温かい匂いでいっぱいになる! パンの中にほんの少し甘酸っぱさがあって、クセになるね! 一つ食べたらすぐ次を食べたくなる!」


 深窓の令嬢もかくやという風体の美少女──美少年(?)──が、両手にパンを握って興奮している姿は、ずいぶん面白い光景だ。

 まあ、自業自得とはいえ千種が本気で怖がらせてしまったようなので、その罪滅ぼしみたいなものである。


 アイレスはどうやら人化したまま、大人しくしていることを選んだらしい。ハンモックに近い体勢で座れるキャンプ椅子とテーブルで安らぎながら、飛竜が寝そべっているのを目を細めて見ている。

 ちなみに、家具とお茶はアイレスが勝手に持ち出していた。


「妖精酵母が良い味してるよな」


「まあ、ボクはいったいなんの儀式を始めたのかと思ったけどねぇ」


「たしかに……」


 砂糖を溶かしたお湯で小麦粉を混ぜて、その中に小妖精が飛び込んでいく。そして、生地をよく捏ねて休ませる。

 見た目としては、小妖精を練り込んでるに近い。いや、一体飛び込んだあとに、小さいのがふわふわ生まれてるので、死んでないはず。喜んで宙返りムーンサルトで飛び込んでいくし。


 幻想的な見た目なのに、妖精はやはり妖精イタズラっ子なのかもしれない。


 しかし、できあがったパンの美味しさはイタズラを受け容れるだけの味になっているのだ。仕方ない。


「ジャムを塗るとまたこれが、罪深い甘さだねぇ。こんなにもシンプルで、こんなにも美味しい調理法があるものなんだ。腐った臭いをショウガだのコショウだので誤魔化した、果物の残骸の塊ばかり作る人間たちに、教えてやりたまえよ」


「保存食がわりにジャムにしたけど、ドライフルーツとかにしてもいいな。素材の味が良いし」


「天龍としては、何より神気に満ちてるところが好印象かな」


 妙なことをアイレスが言い出した。


「それたまに言われるな。神気ってなんなんだ?」


「神性に触れたものが帯びる気配。それが神気だよ」


「あると違うのか?」


 アイレスは、口いっぱいに頬張ったパンを嬉しそうに飲み込んでうなずいた。


「もちろん大ありだよ。神性を帯びたものは、存在が明らかに感じられる。特に天龍族のような種族にとってはね。そうだなぁ、汚れた水を、綺麗に濾過したのと、似てるかな? 水を味まで感じるのは、汚れたままでは無理だし、飲み込むのもなめらかになるだろう?」


「なるほど」


「神性を”使える”段階にまでなると、さらに話は変わってくる。自らが使った能力以上の力が。結果に表れるのさ。それが神性を振るうということ。力の効率や運が都合の良い方へ働く。まさに、神様のお気に入りや、神様そのものになったみたいにね」


「ああ、なるほど。よくわかった」


 〈クラフトギア〉を使っている時に。その感覚はいつもある。


「神気を感じ取れる種族が。それを浴びたり食べたりするのに心地良さを感じるのは、そういった未来の成功を食べているようなものだからさ。人間だって、渇いている時に水を飲んだり、腹が減っている時にご飯を食べたりすると、味以上のものを感じるだろう? それと、同じ感覚さ」


「ふーむ……じゃあ、アイレスにとって、そのパンはうまいのか?」


「ものすごくおいしい。何度食べても、お腹が空いてる時に食べてる気分で食べられるのに、味まで絶品だ」


「それはちょっと羨ましいな」


「今なら、チグサの気持ちもわかるよ。ボクも、パパ様と奪い合いになったら戦うかもしれないねぇ」


 アイレスが真剣に悩むようなそぶりを見せている。その時は俺がもう一つ焼くことになるんだろうか。親子喧嘩はちょっとやめてほしい。


「にゃるるる……取り分……」


 そしてそんなアイレスを、同じようにパンをたっぷり頬張りながら唸っている千種がいる。


「昨日と同じぐらい食べただろ? ほら、そろそろ働きに行くぞー」


 昨日よりいっぱい作ってあげたのに。そんな女子高生を引きずって。今日の現場に連れて行く。


「にゃるらあぁぁぁ……」


「働きたまえにんげーん」


 天敵が遠くへ連れて行かれるのを、アイレスはうれしそうに見送っていた。





 さて、その翌日。


「おや、おはよう人間。よく眠れたかい?」


「またいる。しかも早い……」


 満足したら帰ると思っていたアイレスがまたもいた。昨日は、夕方にはいなくなっていた。椅子とテーブルを出しっぱなしで、勝手に帰ったと思っていた。


「うん、一回帰ったんだけどね。明け方前かな、ふと思ったんだ。きっと、朝早く行けば寝転がって寝てる飛竜が見れるぞって」


「それだけのために?」


「うん。霊体化してすっ飛んできた」


 サイネリアが言っていたことが正しいなら、たしか遠い僻地に住んでいるはず。ちなみにサイネリアの感覚だと、ブラウンウォルスくらいならまだ『遠くない』の範疇らしい。


「あと、朝ごはんほしい。力を使ったせいで、お腹がペコペコなんだ。あ、倉からお米持ってきたよ。ほらそこに置いておいたから。だからいっぱい食べたいな?」


 もじもじしながら言っている。うーん、ご飯が美味しい猫カフェみたいな扱いされてる?


「にゃるるるる……」


 ステイ。千種ステイ。

 というか、お互いに相性が悪いと思っているかもしれないが、餌付けされているのは同じである。


「……川で沐浴が終わったら、用意するよ」


「あ、そうなんだ。じゃあボクも一緒に行くよ」


「飛竜を見に来たんじゃ?」


「実はもうこっそり見たよ。いやー、やっぱりかわいいね、愛らしいね。毎日でも見れる。いまボクの最推し。だから語らせて」


 どうやら語る相手がほしかったらしい。布教活動というやつだろうか……。

 お米ももらえることだし、まあ受け入れていこう。なるようになる。


「神璽くんには、推しっている?」


「若い子の概念難しいから合ってるか分かんないけど、俺をここに送ってくれた女神様かな? 向こうに神殿も作ったし」


「そういえば、向こうから強い神性を感じるね。よし分かった。ボクも後で見に行くよ。ご飯のお礼にね」


「それは歓迎だ。案内するよ」


 今の俺の生活を支えてくれてるのは、女神様からもらった力である。その恩恵にあずかっているのだから、感謝の気持ちを忘れないように、誰かに語ったりはしておきたい。


 もしかしたら、古い種族だという天龍族の誰かが、あの女神様のことを知っているかもしれないし。


「ま、とりあえずは川だね。行こう行こう」


 アイレスは跳ねるような足取りで、川へ向かうのだった。

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