第47話 天龍よりも深きソラ

 天龍はアイレスと名乗った。

 神話の時代から存在する、ハイエルフの祖と肩を並べる古い種族だそうだ。


「サイネリアから、ここに原種の飛竜がいるって聞いてねぇ。そんなの、最近は滅多に見られないものじゃぁないか。絶対見に行こうって思ったのに、うちのパパ様ったら贈り物がどうたらといつまで経っても行かせてくれないから、飛び出してきたんだ。いやぁ、やっぱり来て良かったじゃないか。激かわの美竜さんだねぇ」


「そうか……」


 撫でようとするたびに本気で蹴り飛ばされてるんだが、それでもアイレスは機嫌良く飛竜を見ている。


 猫好きの人間みたいだ……。


 その姿形から想像していたような、威厳めいたものが今ひとつ感じられない。


「それにしても」


 ぐりん、と急にこちらへ迫ってきた龍が俺を見る。


「これが神璽かぁ。現れるのはずいぶん久しぶりなんだってね?」


「そうなのか」


「ボクはこれで数百年生きているがね、見るのは初めてさ。パパ様から聞きかじってただけ。でもまあ、ヒトの身に余る気配はあってくれて良かったよ。うっかり触れられても、いなづまを返さずに済みそうだからね」


 ふふん、と笑う天龍だ。


「やっぱり出せるのか、電気」


「もちろん。ほうら」


 思わず言うと、天龍の角がバチバチと青白い閃光を纏い始める。


 おお、すごい。


「ちょっと見直した。サイネリアの友達っていうから、てっきりイタズラ仲間かと」


「優秀な妖精を軽く見るとは、嘆かわしいですよマスター」


「天龍族を勘違いしてもらっちゃ困るよ?」


 サイネリアとアイレスの両方から言われてしまう。


「あっ、どこ行くんだい?」


 アイレスを警戒しながらじっと見ていた飛竜が、不意に低空飛行で飛び立った。

 慌てて頭を高く上げた天龍だが、飛竜はすぐに地面に降りて目的の人物の後ろに隠れた。


「わお、ついに私が一度も見たことがない種族まで現れたわね」


「ミスティア。こちら、天龍族のアイレスだそうだ」


「ふふーん、話に聞いてたハイエルフの若者か」


「天龍族の中では、貴方だって若者でしょう?」


 ミスティアは微苦笑で答えた。その背後で、飛竜がミスティアの肩に強く顎をこすりつけている。ちょっと痛いらしい。


「ぐう、うらやま。ボクも背中に乗せたい。ちょっと神璽くん、なんとかならないかね」


 アイレスが悔しそうに言う。


「知らない」


「なんでだい。まったく、気が利かないんじゃあないかね? せっかくボクが遊びに来たのに、飛竜をあのハイエルフに独り占めさせたままでいいのかい? 天龍族といえば人間ならみんな地に伏して加護を求めてもおかしくないんじゃあなかったのかい。なあなあなあ」


 ぐりぐり鼻先を押しつけてくる。押しが強いなあ。


「いつの時代の話ししてるのよ。あのね、ソウジロウにそんなことしてたら天罰が下るんだから」


「なにを言ってるんだ。ボクこそ”天”龍だぞぅ?」


 ミスティアが割って入ってくれるが、アイレスは不機嫌そうに角をバチバチさせた。


 と、


「で、でっかぁー!」


 ぽかんと大きな口を開けながら、千種が叫んだ。どうやら騒ぎを聞きつけて出てきたらしい。昼寝でもしていたらしく、ソファを抱きながら現れた。


「……うそだろ……これほどの異物が、ここに?」


 途端に、アイレスが鎌首を持ち上げて目を見開いた。


 ……あれ、これはまずいか?


 なにやら気配が尋常じゃない。


「むむ? ──簡易召喚にゃる


「くらえっ!」


 ズドン、と雷電が千種に奔る。

 と思ったのだが、それより早く天龍より太い蛸足が千種の足下から現れた。


 雷を受け止めて焼け焦げながら縮み上がり──逆再生かのようにすぐに回復した。


「ほわっ!?」


「千種影操咒法──〈真蛸〉」


 一瞬だった。千種の影がアイレスの影に伸びて連結。そして、一気に拡大した。

 なんだかやな予感がしたので、詠唱より前に俺は距離を取っていた。ちなみに、ミスティアは俺より素早く俺より遠くに行っていた。


 次の瞬間、空に飛ぼうとした天龍を、影の中から八本の足が伸びて捕まえる。


「むきゅっ!?」


 どしん、と八本足に捕まった天龍が、地に落ちる。


 影の中から現れた千種が、拘束した天龍をじっと見つめながらしゃがみこんだ。


「あ、あれ……なんでだろ……? すごく、おいしそう……」


 天龍を飲み込むほど大きな影で、目が開いた。人間のものではない瞳孔をした目が、いくつも浮き上がって龍を見る。


「うひぃっ!!」


 俺は千種の小さな頭頂部に、ぽんと手を置いた。


「お客さんを、食べようとしないでくれ」


「あっ、お兄さん」


 千種が振り返る。蛸足が消えて、影が元に戻った。


「なんですか、この人──この、龍?」


「飛竜が見たくなって遊びに来たらしい」


「へー……はっ! いきなり雷で打たれましたけど!? こっわぁ……」


 そんなことを言いながら、千種は天龍に対して俺の後ろに隠れた。


「たぶん今回は、相手のほうが怖い思いしてるんだよな……」


 しかし、


「……千種って、万全で本気だとちゃんと戦えるのか」


 そこが意外だった。


「うへへ、わたしは冒険者で最強だったんでした。まあ、久しぶりに闇からの声聞くまで、忘れてましたが!」


「ここだと千種が戦う必要って、特に無いしな」


 千種がやる気だったからやめておいたが、必要なら〈クラフトギア〉で雷を打ち落としてしまえばよかった。

 発動タイミングは見えていたので、合わせて鼻先に投げるだけでいい。


 天龍は目を見開いて、俺を見ていた。


「あ、相性が最悪すぎる……神璽くんが抑えてくれてるってわけか。はあー、もう……」


 のっそりと体を起こしたアイレスが、ふいっと上を向く。


 小さな落雷がその体に落ちた。そう思った時には、天龍の巨大な体はそこに無かった。


 幼いと言っていいほど小さな体躯の、長さを切りそろえた白い髪を王冠のように輝かせた少女がそこにいる。大きな瞳を不機嫌そうに歪めている。なにより驚いたのは、その頭に戴いた龍の角──ではなく、


「着物だ……和服なのか」


 着ているのが、着物だったこと。

 相手が誰なのかは、まあ角がある時点で一人しかいない。


「ふふん、人化したこの姿なら、ボクを食べづらいよね? やめようね?」


 整った顔で、ずいぶん情けないことを言っているアイレスである。


「可愛い……美少女……態度大きい……陽キャ……? 敵……?」


 俺の後ろにいる千種は、慎重に判定しようとしている。陽キャでも食べちゃダメです。


「しょ、少女じゃないよ? 天龍に性別って無いからね!」


「お、おとこのこ……!? ひえぇ……!!」


 千種の判定は、そこでバグったようだ。


「ないというより、雄でも雌でもあるって言うんじゃないかしら……? 子供は産むんだから」


 戻ってきたミスティアが、そんなことを言う。


「ソウジロウ、どう思う?」


「そうだな……」


 全員がこっちを見るので、俺は当たり前のことを言った。


「とりあえず、二人とも喧嘩はしないように。特にアイレス」


「はーい」「あっ、はい。大丈夫です。弱いし」


「千種は余計なこと言わない」


「あっ、はい……」


 千種とアイレスに停戦協定を結ばせて、一件落着ということにした。


 アイレスは飛竜を見に来ただけのようだし、満足したら帰るんだろう。


「でもまあ、ちょっとかわいそうな目には遭わせたから、パンは焼いてあげよう」


「わ、わたしの取り分が減る……? にゃる……」


「食い意地張らない」


「はい……」


「パン一つで天龍を落とそうとしないでおくれよ」


 アイレスは引きつった笑い顔をしていた。

 すまない。この子は一回餓死直前を体験してるせいでな……。


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