第49話 天龍族のご挨拶
「なかなか気持ちのいい川じゃあないか」
アイレスがなぜか俺と一緒に川に入っていた。
少年とも少女ともつかないような、ただし、美しいことは確かな見目の相手が一緒に沐浴をするのは、どうかと思った。
しかし、人数で言えば確かにこの分かれ方が自然な流れである。天龍に、沐浴の必要があるのかは分からないが。
「水が冷たいとか、そういうのは大丈夫か?」
「ご心配なーく。ボクは天龍だよ? 水の加護だって持ってるんだ。まさか、この程度の水で害されるわけはないさ」
なるほど、確かに。あの大きな龍の姿で、水が苦手ということはないか。
「この川にさ、水車小屋を建てたりはしないのかい?」
「それもありなんだがな……。けど、なくても困ってなかったからなあ。〈クラフトギア〉があったら、たいていの物の加工はできるし。千種がいれば、力仕事も特に問題がなかった」
「機械より生産力を持つんじゃないよ、人間」
アイレスは裸身を川に浮かべながら、呆れたようにそうつぶやいた。
「しかし、天龍族っていうのは、けっこう物知りなんだな」
「数百年も生きているんだ。これくらいは基礎教養だよ。知識がないと、同じことの繰り返ししかできないじゃあないか。本能だけで数百年も生きるのは、つらいよ?」
そうかもしれない。
「まっ、でもそのせいで足が鈍ることもあるんだけどね。ボクのパパ様がそれなんだ」
「何か問題でも?」
「なんだかまだこっちに来るのを渋っててねぇ。ボクはさっさと顔を出して、とりあえずテキトーにお願いしちゃえばいいって言ってるのに」
「お願い?」
「飛竜が見たいとか、他にも色々。でも、パパ様はいったん使いの者を送って、それで挨拶をしてもいいか探ってからとか。そういうことを考えているみたい。なにしろ数百年ぶりに出てくる神璽で、森を開拓して、妖精経由とはいえ宝までもらってしまっている。それなりの贈り物とかを用意しないとってさ」
「確かにちょっと大げさだなぁ」
ただ、森で暮らしてるだけなのに。
「パパ様は頑固でぇ、無愛想でぇ、ボクとは大違いなんだよ。見たらびっくりするよきっと」
アイレスが肩をすくめている。
ちょっと不安になってきた。お宅の息子(娘?)さんと裸の付き合いしてますって言っても大丈夫な相手なんだろうか?
「……あれ?」
と、アイレスが空を見上げて首を傾げている。
俺もそちらを見る。
何も見えない。しかし、なんとなくだが何かがいる気配がする。気がする。
「パパ様じゃない? おーい!」
アイレスが思い切り手を振った瞬間、遙か空の彼方から、小さな光が川に落ちた。
「きゃうっ!?」
いや、正確にはアイレスに。
小さな体をびくりとさせて、天龍の姿が水の中に沈む。
一瞬慌てたものの、アイレスはすぐにざばりと立ち上がった。
「……やっばいかも。怒ってるっぽい。ちょっと迎えに行ってくるね」
うわー、とか小声で漏らしつつ川から上がるアイレス。ひゅん、と頭を一振りすると水滴がはじけ飛んで、濡れた体は一瞬で着物を着たもとの姿に戻った。髪の先に湿り気すら残らない。
が、その背中はいかにも怖々と親に叱られに向かう子供のような、しょんぼりとした気配だった。
……俺も早く上がるか。
たぶんだけど、その方が良さそうだ。
放牧場には、悄然と正座するアイレスと、凜々しくも端正な顔立ちを持つ、長身の男性がいた。
「
十分に年齢を重ねてもなお中性的な美しさのある容姿で、少し憂いを帯びているような面差しで名乗る天龍。
俺は相手の緊張をほぐすために、あえて軽く頭を下げてにこやかに返礼する。
「どうも、俺が桧室総次郎です。アイレスのお父様ですか?」
が、娘の名前を出すと、彼はますます眉を寄せた。そして、深々と頭を下げてくる。
「……先ほどはお寛ぎの最中に、失礼いたしました。本当に申し訳ありません。どうか非礼をお許しくださいますよう、お願い申し上げます。一人娘が勝手な真似をしていると知って、いてもたってもいられませんでした」
「いやいや、顔を上げてください。元気なお子さんでいいじゃないですか」
田舎の出身なので、二日三日くらい勝手に家に上がり込まれたみたいな雰囲気になってしまう。
「そう言っていただけると助かります……」
ちなみに話題のアイレスは、親の後ろでしゅんとしたまま成り行きを見ていた。
「それに、俺はこの森に勝手に棲み着いてるだけで、統べているわけではないですし……」
「? サイネリアから聞くところでは、神樹の森を切り拓き、シルキーモスやリドルズを従えている、と……」
「わりと懐いてくれてます」
うなずく俺に、空気を読まずに放牧場に現れた飛竜が後ろから腰に頭をごりごりこすりつけてくる。
ラスリューの目が少しそちらに奪われるが、何度もまばたきをして、目線がこちらに戻ってきた。
「……なるほど、つまり、彼らが自ら懐へ入ることを承諾された、というなれそめである、と?」
「まあ、そうですね」
かなり強めに飛竜の口元を撫でてやると、そのままぐぎゅぎゅと喉を鳴らしながらぴったりひっついて動かなくなった。
こんな情けない姿でとても申し訳ない。
「……だいぶ合点がいきました。申し訳ありませぬ。あの大妖精は、伝えることが今ひとつ要領を得ませんで」
「分かります。まあそういうことなので、そんなに硬いことを言わずに。もっと楽にしてください」
「ありがとうございます。あ、良ければこちらをお受け取りいただければ」
と、ラスリューが手のひらを上に向けると、そこに降ってわいたように布包みが現れた。ラスリューの手の上ではらりと布がほどけると、
「
とても綺麗な拳大の珠が現れた。
「いろいろと考えたのですが、これが一番よろしいかと。アイレスが迷惑をかけたお詫びと、お近づきのしるしとしてお納めください。龍の宝珠です」
「いや、こんな高価そうなものはちょっと……」
俺の遠慮にラスリューは少し微笑んだ。
「いえいえ、これからなにかと娘がご迷惑をおかけすると思いますし……。どうぞご遠慮なく。これは私が作ったものです。あの柔らかく、そしてモスシルクでできたソファをいただいてしまったことですし、私も自分の手で作ったものを受け取っていただければと……」
「そういうことでしたら……」
龍の宝珠を受け取って、俺はそれを見つめた。
「それには水の加護があります。あなたほどの神性があれば、いくらでも清らかな水を湧き出すことができるでしょう。水難が近づくこともありません」
やっぱりすごそうなものだったんだが?
とはいえ、この森は湿気も低いし水害に困るようなことはなさそうだから、どこかに飾るくらいしかなさそうだ。
「……清らかな”お湯”でもいいんですよ」
こっそりと言われた言葉に、俺ははっとする。
なんてことだ。これはまさに宝だ。
「仲良くしていただければ、と」
ラスリューの言葉に、俺は力強く手を差し出した。
「こちらこそです。可愛い娘さんも、大歓迎します」
「ありがとうございます」
たおやかな手が、俺の手を握り返してきた。
「あの、ところで……私も、飛竜を撫でてもよろしいですか?」
恥ずかしそうにそんなことを言われた。もしかしてこれ、ラスリューも入り浸るつもりで宝珠を差し出したのでは?
まあいいか。
さて、これで俺は……お風呂が作れてしまうことになった。大変だ。
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