第二章
第11話 エルフの水浴び
朝の気配がする。
「おはよー」
ミスティアの声がした。
とても柔らかくて温かいものが俺の体にのしかかってきた感触がする。と同時に、口のあたりに湿った感触がする。舐められている。
「分かったよ、起きるよ。……おはよう」
俺の体に飛び乗ってきたマツカゼが、わふっと鳴いて答えてきた。
犬に起こされる時は、微睡みから起き上がるまでのわずかな時間を許してくれない。
あくび混じりながらもさっさと体を起こして、外に出る。
「あ、ソウジロウおはよーっ」
すぐ外にいたミスティアが、朝から元気に手を振ってくる。何やら体の筋を伸ばしていた。ストレッチしてたらしい。
さっきの声は、マツカゼに絡まれてたんだろう。今の俺みたいに。
「マツカゼが突撃していったわねー」
「おかげで一瞬で起きたよ」
俺の足下でうろうろする毛玉を見たミスティアが、あははと笑った。
汲み置きしていた水を樹皮の容器で飲み下すと、体に染み渡る冷たさだった。外に置いておいたからだ。ようやく頭がちゃんと動いてきた。
ミスティアの言葉に従ってグリフィンの爪を入れておいたのだが、確かに綺麗な水だ。
「この水で体洗いたいな……」
「あ、私も私も」
ふと呟いた言葉に、近くで聞いていたミスティアがそんなことを言う。
「ね、それなら一緒に水浴びする?」
「……冗談?」
耳を疑った。
のだが、朝でも美しいエルフは不思議そうな顔で見返してくる。
「え、なんで? あ、もしかして週に一回お湯沸かして浴びるタイプの文化の人? 私は毎日派なのよねー」
「いや、風呂は俺も毎日入るけど」
ついそう言い返してしまった。すると、ミスティアは微笑んでうなずいた。
「ならちょうどいいわね。一緒に行きましょ。マツカゼ、川に行くわよー」
……えええ?
「あれ? ソウジロウ、行かない? 入りたくない?」
そんなことを聞かれれば、まあ俺だって昨日は力いっぱい働いたし。土まみれになって壁を塗ったし。
「いや、うん、まあ……入るけど」
と答えるのは、自然な流れだった。
野で水浴びをするなら、男女問わず一緒に行って、一人は見張りに立つ。冒険者に限らず、この世界でそれを採用してる地域は多いらしい。
「モンスター対策か……」
目の前で服を脱ぎながら、ミスティアは俺に言うのだった。
「大丈夫。ソウジロウのこと、信用してるから」
むう。
透けるほど薄い浴着で水浴びをするミスティア。それを少し離れたところで見守っている。
……そういえば、フィンランドでは風呂の代わりにサウナを使うし、サウナは男女混浴だったか。
そういうのと似た感覚なのかもしれない。確か友達や恋人と一緒はOKだけど、見知らぬ異性はダメとかそういうのもあったはずだし。
気にする方がおかしい奴に思われるんだろう。
「あんな薄い浴着でも、遠目だと水着くらいに見える……。ありがたい」
思わずそんなことをつぶやく。
グリフィンと戦った時は、濡れて体に張りついて透ける浴着はあんまり意味無いように思えたものの、少し遠巻きになれば、それくらいのものでもずいぶんやましさが鎮まるものだった。
ただ、まあ、転生して健康になったり力持ちになったりしてるが――視力が上がって困ることがあるとは思わなかった。
モンスターなどへの警戒役でもあるので、目を離すわけにもいかない。
やがて、体を清め終わって着替えたミスティアが、まだしっとりしている髪をまとめるより先にこちらに来た。
「んー、ありがと。さっぱりしたー。昨日わりと張り切っちゃったからね、あはは」
「そうだな」
そして、ミスティアが自分の浴着を差し出しながら言う。
「はい、じゃあ交代ね」
「え、ああ」
思わず受け取ってから、なぜ俺はミスティアの使用済み浴着を手にしているんだろうと首を傾げる。
「え、これはなんで?」
「貸してあげる。体拭くのに使って。今それしか布がないし」
そんなことを言う。
浴着には先ほどなにか魔法をかけていたと思ったが、さっぱり乾いていて肌触りも良いけど。
しかし、俺がこれを使うのか?
「……だ、大丈夫なのか? ってうわ便利そう!」
考え込んだ俺をよそに、座って自分に向けて魔法陣を広げるミスティア。髪がふわふわとなびいている。どうやら、魔法陣から吹き付ける風で乾かしているようだ。
「あはは、ソウジロウは魔法見ると絶対びっくりするわね」
ミスティアは笑っていた。
「服はすぐ乾かせるからねー。あ、ここで脱いで洗ってく?」
「いや、向こうで洗ってから持ってくるよ……」
その場で脱ぐのはためらわれる。
俺は足早にミスティアから離れて川へ向かった。
葛藤の末、俺は浴着を使わせてもらうことにする。
腰に巻いて股間だけ隠し、自分のシャツで体を拭いてから服を乾かしてもらう。
この手順だ。
この借りはいずれ返そう……。
川の冷たさが、今回はとてもありがたかった。
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