第5話 森の人と魔獣

 朝は自分より先に起き出した子犬に、鼻を舐められて起きた。

 防寒用に草を束ねて樹皮に貼り付けた掛け布団は思ったより温かかったが、シートが硬いのが難点だった。寝心地が悪い。


 いずれは寝床も快適なのを作りたい。これは目標リストに追加だ。


 灰の中に埋めておいた炭で焚き火を起こしてから、昨日作っておいた兎の燻製を煮て食べた。もちろん、子犬にも分けてやる。

 川に行って顔を洗い、歯を磨く。

 サバイバル環境で虫歯になったら、死活問題になる。歯医者はいないし、自然には治らないし、硬い食べ物は全て食べられなくなる。

 炭を奥歯で細かく噛み砕いて粉末にして、歯磨き粉の代用にする。先っぽを解した草の茎で葉を磨き、歯の間も薄く糸状に削いだ樹皮の内皮で擦った。


 風呂とかも、できるように考えないといけないな。

 またもリストに追加。やることが多い。


 そして、直近でいちばん大きい目標を叶えるために、子犬に目を落とす。


「さて、お前の飼い主は、どこにいるかな?」


 樹皮を曲げて作ったバックパックに、子犬を入れて歩き出す。

 まだ小さい犬の足に合わせて歩くより、背負っていった方が早い。それに肉食兎という危険な生き物がいる。ちょっと目を離した隙に食べられてた、なんてことが無いようにしたい。


 最初に出会った川辺から始めて、一日で歩いて回れる範囲を捜索していこう。


 とりあえず川沿いに上流へと歩いて行く。人がいるなら、俺と同じで川を資源の宝庫として活用してるはず。

 川の近くにいるなら、川沿いには魚を捕らえる罠を仕掛けたり、足跡を残したり、まあそれなりに痕跡を残すはずだ。


 注意して、周辺を観察しながら進もう。


 時速六キロペースでずんずん歩いていく。息は弾むくらいで、キツさは感じない。これでも慎重に足を進めている、と思えるほど余裕があるくらいだ。

 体力向上したこの体は、本当に素晴らしい。


 たまのキャンプに行くたびに、体力の衰えを感じていた以前とは、大違いだった。


「迷わないように印はつけておいて、と」


 出発地点には〈クラフトギア〉で木片に家の形を刻んで、木に貼り付けてある。そこからは、五分おきくらいでそばの木に分かりやすい傷をつけて、印にしてある。


 足を進めていくと、川辺にいくらか山菜に似た野草も見つかる。

 回収こそしないが、頭に留めておく。食に彩りをつけたい。

 綺麗な水が流れる川の水面には、魚の気配も少なからずある。耳をくすぐるような川のせせらぎに、ぱしゃんと魚が跳ねる音が混じった。


「良いところだな……。人を襲うモンスターさえいなければ」


 襲撃のせいで、川の中にもなにか潜んでないかと見てしまうのが難点だ。


 さて、ところで子犬の大きさは五~六㎏くらいのもの。つまり、移動範囲はそこまで広くない。


 人間が一日目でさっそく野生動物に襲われる森なら、こんな子犬は格好の餌食だろう。なので、無事でいられる程度の時間しか離れていないはずだ。

 俺が進んでる方向が合っていれば、飼い主さんはすぐ見つかるだろう。


 問題は、


「あのエルフは、一人だったけど……他にもいるのかな?」


 この森はどういう扱いの場所なのか、異世界人に聞いてみないとならない。もしやエルフの村があって人間は出て行けとか言われるかも……とは、実は思っていない。

 俺は女神様を全面的に信頼している。

 そんなふうに揉め事が起きる場所に、送り出されたりしないだろう。


「塩とか持ってたら、分けてもらえるといいんだが……」


 塩。

 塩分が無いと人は死ぬ。

 もしも近くに塩場が無いなら、動物の内臓や血液は積極的に食べる必要がある。


 肉をメインに食べていれば存外足りるんだが、やっぱり味わい的に塩があると無いでは段違いだ。


 背中のバックパックから、子犬が身を乗り出してこちらの肩に前脚を置いてくる。その頭を撫でると、頭を押しつけてきて、楽しそうにしていた。


 そんなふうに、小一時間ほども歩き続けた時だった。


「おや、どうした?」


 バックパックの中で、子犬が唐突に暴れ出した。かと思ったら、俺の肩からぴょんと前に飛んで、見事な着地を決めている。犬がこの高さをジャンプして着地するとは、大したものだ。

 とか感心している場合ではなく。

 子犬が俺に向かって、短い鳴き声を断続的に浴びせてくる。


「何かあるのか?」


 杖を握り直して、改めて周辺に気を配ってみる。俺の目の前で、子犬がある方向に走り出し、かと思えばすぐに立ち止まって姿勢を低くした。

 見覚えがある仕草だ。獲物の気配を見つけた時の狩猟犬と、似たような仕草だ。

 その小さな尻尾へと静かに近づいて、姿勢を低くしながら同じ方向の気配を探る。

 その場に足跡や、人の痕跡は無い。


 だが、息を潜めて神経を尖らせていると――森の奥から、異音が聞こえた。ほんの僅かだが、


「獣の鳴き声がするな。……争ってる、のか?」


 野太い獣の鳴き声は、威圧する意志を込めた戦いの咆吼。だが、聞こえてくるのは一種類で一頭のものだけ。だったら、戦ってる理由は縄張り争いでも、肉食同士の争いでもない。

 ということは、その相手は、


「お前の飼い主かな」




 音のする方へ走って行くと、そこにはバカみたいにでかいモンスターがいた。

 いや、完全にモンスターなのでそう言わざるをえない。

 鷲の上半身に、ライオンの下半身を持つ姿。ソシャゲで見たことある。グリフォンだ。馬よりでかい体をしていて、翼を打って高く跳躍し、ネコ科のしなやかさで駆け回っている。

 けたたましい猛禽類の甲高い鳴き声が轟く中で、それと戦っている人影があった。両手に握った二振りの短剣で怪鳥に切りつけ、襲い来る爪を素早い動きで避けている。時々、火球が出現してモンスターに着弾し、その体毛を焦がしている。


 ファンタジーなバトルだ。


 あれに飛び込みたくはないので、俺は足下にいる子犬を促して吠えさせた。


 子犬は小さいながらも、威嚇の鳴き方を心得ていた。何度も何度も威嚇の声を張り上げる子犬に反応して、戦っていた両者ともこちらを見た。

 人影はビクッとした。グリフォンは獰猛に吠えた。俺はどっちにも向けて手を振る。


 リアクションは想定内。


 モンスターが、こっちに向かって襲いかかってきた――のも、想定済みで、俺はすでにカウンターでハンマーを投げつけている。

 金属製のハンマーは、工具の範疇。ヒーロー映画のやつみたいな、頭は両手持ち用なのに持ち手は片手用という、アンバランスな工具だが。


 今度の投擲は、全力だ。


 でかい鳥は、人間が片手で持てる程度の投擲物を意に介さず、真正面から突っ込んできた。まあそうだろうなと思っていたので、当たった瞬間に『固定』してやる。そのつもりだった。


「〈クラフトギア〉『固定』して――」


 想定外だったのは、〈クラフトギア〉が尋常じゃない速さで飛んだこと。念じるよりも早く、怪鳥はいきなり体を二つ折りにしながらぶっ飛んで遠くの木に激突し、動かなくなった。

 どさりと地面に落ちたグリフォン。遅れて『固定』された〈クラフトギア〉が、ぽつりと宙に浮かんでいた。


「あー……」


 俺はハンマーに手をかざして呼び戻す。手の中に戻ってきた〈クラフトギア〉を見下ろして、思わずつぶやいた。


「やっぱり危険物だな、これ……」


 思いきり投げるのは、けっこう気をつけないといけない。

 見た目重々しいハンマーのくせに、プロ野球選手の球より速く飛ぶとは思わなかった。


「あはっ、嘘みたい! ストームグリフィンを、一撃で仕留めちゃう?」


 そんな声を投げかけられて、振り向く。先ほど襲われていた人物が、俺に手を振っていた。


 金髪で碧眼。見るも麗しい背の高い美少女が、輝くような明るい笑顔でこちらへと駆け寄って来ていた。


「昨日ぶりね。おはようございます!」


 元気良く屈託の無い挨拶を投げてくる。


「おはよう」


「それで、貴方は本当に見た目どおり人間? それとも、戦神様が降臨されたのかしら。どっちでも、こんな格好なのは、失礼してるわね、私。でも緊急事態だったの。許してね!」


 そんなことを言うエルフは、近くで改めて見ても、やはり美しい女性だった。

 歳は二十前後くらいで、透き通るような白い肌を惜しげも無く晒している。というのも、彼女が着ているのはなんというか、とても頼りない面積しか隠さない白い布だけだったからだ。

 しかも全身が満遍なく濡れていて、張りついた薄布は肌を透かしてしまっている。


 だというのに、彼女が隠すのは、自分の体より二振りの短剣の方だった。片手にまとめて持って、後ろ手にしている。武器を向けるつもりはない、という意思表示だろう。


「お取り込み中に、悪かった。俺はただの人間だよ」


 努めて顔以外を見ないようにすると、その宝石のような瞳がきょとんと瞬いて、愉快げに微笑を描いた。


「ただの人間には、アレはできないけどね」


 吹っ飛ばされた巨鳥の方を指差して、そんなことを言われる。困った。


「まあ、いろいろあって。……良かったら、これを使ってくれ」


「あら、ありがとう! 実はどうしようか迷ってました。えへへ」


 上着を脱いで差し出すと、ぱあっと、照れくさそうな笑みを浮かべて受け取ってくれた。ぱたりと胸元に当てて、桜色の透けた、大きな隆起を隠すのに使ってくれる。


「こんな風体でごめんなさい。沐浴中に急に襲われちゃって。武器も短剣しか手に取れなかったから、正直助かりました。この御恩は倍にして返しますとも」


「どういたしまして。まあ、気にしないでくれ。実は昨晩、こいつのおかげで温かく寝られたんだ。飼い主を探して、お礼をしないといけないと思ってた」


 足下にいる子犬を抱き上げて言うと、彼女はくすりと笑った。


「この子は親に捨てられたのを私が拾ったの。けど、私が救われちゃうなんてね。この子と私の間には、これで貸し借り無しかな。運の良い子みたいだから、大切に育てないといけないな~」


 子犬の頭を撫でつつ言ってから、また俺に目を戻してくる。


「改めて、初めまして。私はここ神樹の森に住むハイエルフ、ミスティアです。貴方は?」


「……日本人の桧室総次郎だ。えーっと、実は昨日からこの森にいる、人間です」


 ちょっと迷ったけど、他に言いようが無かったので正直にそう言った。なんか酷い自己紹介だなこれ。

 まあ、それにしても、


「ハイエルフ……さん?」


 森の奥深くに住む神秘の種族、じゃないのかそれは。


「あはは、ミスティアって呼んでよ。貴方を『人間』って呼ばないといけないじゃない。人間はいっぱいいるのに!」


 おかしげに笑うミスティア。かなり気さくなタイプらしい。


「さて、私は荷物を回収して、着替えないと。きちんとした格好になってから、少しお話をしたいなって思ってるけど、どうかしら?」


「それはもちろん、こっちからお願いしたいくらいだ」


 ミスティアのそんな提案に、俺は渡りに船とうなずくのだった。

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