第3話 川での出会い

 水場はあっさり見つかった。水音を聞きつけてそちらに足を向けると、本当にあっさりと。

 川だ。

 それなりに大きな川だった。幅は十メートルほど。流れはそんなに速くない。しかし、川の真ん中当たりは、深さは腰までありそうだ。


「気を付けないとな」


 水が見つかったのは良いことだ。しかも、水たまりではなく流れる清流。透き通っていて、そのままでも飲めそうなほどだ。

 でも飲まない。生水は危険。喉が渇きを覚えるより先に見つかったので、飲むのは後回しだ。


「よし、川の場所は分かった」


 川が見つかったので、一番の懸念は解決した。次に取りかかる。

 シェルターだ。

 厚手の服を着ていて、歩くとちょっと暑い。ということは、まだ春先くらい気温。森の夜はけっこう冷えるので、体温を守る為に寝床を作った方が良い。


 森に戻る。川辺は寒いからちょっと離れた方が良い。

 平らでシェルターを置きやすそうな場所を見つけたら、そこに材料を集める。枝を拾い集めて草や蔦、樹皮などで縛り、三角形の骨組みにするのが定番だ。A字型の、いわゆるトラス構造に。

 この時にもっとも大変な工程が、縛って固定するというところだが、


「〈クラフトギア〉」


〈クラフトギア〉の力でそこをスルーできる。


 骨組を作ったあと、拾ってきた枝をどんどん立てかけて壁にする。これも『固定』してしまえば、がっちりと自立した。

 あとは枯れ草とか葉っぱを立てかけた枝の上に積んで、雨風をしのげるようにする。

 地面に直接寝ると無限に体温を吸い取られるので、床を作る。自分が寝そべられるように太い枝を敷いて、その上に葉や草を敷き詰める。柔らかい苔があると、もっと良い。あった。

 それで、シェルターが完成。


 なのだが、


「〈クラフトギア〉が偉大すぎるな……」


 森の中は本当に手つかずで、落ちている枝は無数にある。ただ、その太さや長さはとても不揃いで、折ったり切ったりしないとシェルターの材料としても不向きだ。

 それらを加工して作るのが、ブッシュクラフトのシェルターというやつである。小さなナイフ一本だと、けっこう手間のかかる作業だ。


 しかし、数時間くらい覚悟してた作業が、一時間ほどで終わった。なんだこれ。


 おまけに、歩き続けてから休み無しで素材を集めて作業をしたのに、自分の体はまだまだ息切れ一つ起こさない。


「うーん、本当に元気な体だ」


 もしかして、シェルターとか無しでも体力だけで夜の寒さに対抗できるのでは? そう思えるほどである。

 まあでも、快適にすることは損しない。元気な時はいいけど、弱った時にあると無いとではだいぶ違うし。

 さて、次をやろう。


「む?」


 じゃっ、と葉を蹴る音がほんの微かに聞こえた気がして、俺は杖を持って振り返った。野生動物の気配である。

 振り返った先にいたのは――非常識にも、角の生えた兎だった。


「……うわあ、異世界」


 どんな動物園でも絶対に見かけない生き物がそこに現れて、一気に認めざるを得なくなった。異世界だわ、ここ。

 兎はかなりデカい。もちろん、兎にしては、という意味で。中型犬より大きい兎は、相当大きいだろう。


 ……危ないやつじゃないだろうな?


 赤く大きな瞳が、俺と視線を合わせて見開かれた。


 次の瞬間、兎の姿が急激に大きくなる。――突撃してきたのだ。


「ッ!」


 ドガァッ! と、音を立てて、兎の角が凄まじい威力で突き刺さった。


「〈クラフトギア〉――角を『固定』してしまえば、それ以上は刺さらないし、抜くこともできない」


 手にした杖の中ほどに角を刺したまま、ジタバタと暴れる兎がいる。


 突っ込んできた兎の角を手にした杖で防ぎ、角が杖に刺さった瞬間に杖と角を『固定』したのだ。

 こうなってしまえば、ただ宙吊りの兎である。俺に襲いかかってくるとは、兎の外ヅラをしてるくせに肉食だったらしい。

 しかし、


「田舎育ちを舐めるなよ。山で遭う動物は大小関係無く、ほぼ全部が人間と敵対するからな」


 初めて見る野生動物は、まず警戒して対峙するのが田舎の人間だ。


 シカ・カラス・キツネ・アナグマ・タヌキ・ハクビシン・サル――超ド田舎の暮らしを経験した者にとって、それは危険生物の名前である。

 人間より動物の方が数が多い場所では、それが小動物でも、手にした食べ物を奪うために飛びかかってくることはよくある。


 ここまでアグレッシブに人間へ突進してくるのは、滅多にいないが。


 落ち着いて杖を構えられたのは、その動きが見えてたし、思考に対応する体が素早かったおかげだ。


 昔、イノシシに突進された時は、後ろに下がるのが精一杯だった。


「女神様のおかげかな……」


 加護がなんとか言ってたので、そのおかげかと感謝する。そして、俺はもう一つ、感謝を付け足すのだった。


「今日のご飯もありがとう、女神様」


 兎肉が悲痛な声で鳴いた。はっはっは、人を襲うほどの害獣がどんな声で鳴いても、俺は全然平気で捌くぞ。




 サバキャンで最もシンプルな問題は、空腹である。

 なにをどうすれば食べ物にありつけるのか? これがなかなか難しい。

 動物を一匹狩れれば、その問題はかなり大きく改善できる。兎の一匹でも、人間の腹を満たすには十分な量があるからだ。

 ただ、


「兎って脂肪が無さすぎるから、兎だけ食べてても、飢えて死ぬんだよな」


 ウサギ飢餓、という症状だ。食べてるのに栄養失調で死ぬ。怖い怖い。

 でも開いてみると、異世界の兎には脂肪がついていた。ありがたい。まあ俺を襲ってきたあたり肉食か雑食だから、普通の兎とは違うか。角もあるし。


 ……兎じゃないのでは?


 思い浮かんだ疑問は、ひとまず置いておくことにした。


 四本足の動物の捌き方は、だいたい一緒だ。血を抜いて、内臓を取って、肉を冷まして、皮を剥いで、部位ごとに分割する。

 運良く生け捕りができたので、血抜きは充分にできる。


「〈クラフトギア〉なら、宙吊りも余裕だな」


 川まで持ってきた兎を、空中に『固定』した枝に後ろ脚をくっつけて逆さ吊りにする。なにもない宙空に、ゲームのバグみたいに浮いていた。

 かなりシュールな光景だ。


「いただきます」


 手を合わせて血抜きし、内臓を抜いて、兎を川に沈めておく。仕留めたばかりの動物の肉は、生温かくて傷みやすい。すぐに冷ますことで、傷むのを防ぐ。

 ちなみに緊急時でないなら、野生動物を素手で触るのはやめた方が良い。マダニがついていて噛まれたら、最悪だと死ぬ。川に浸けておくのは、汚れやダニの洗浄もかねている。


 さて、川に沈めたら、内臓を観察してみる。


 生木の樹皮に切れ目を入れて剥ぎ取り、粗皮を削り落として薄くしたら、水で柔らかくしつつ折り畳み、両端を固定する。それだけで、樹皮は四角いタッパー容器みたいな形にできる。樹皮の鍋だ。

 〈クラフトギア〉のナイフと技と接着固定があれば、大きな樹皮容器もすぐに作れた。

 樹皮の容器に内臓を落とし入れて、とりあえず胃から下を切り取って別の容器に移す。残ったのは肝臓・腎臓・心臓・肺、と。だいたい見たことある兎の中身と変わらない。


「毒袋とか、無いよな? 心臓がちょっと変な形してるくらいか」


 内臓を食べたいわけじゃない。角が生えてるし、いちおう用心のために内臓を観察してただけだ。


 と、その時。


「む」


 またも動物の気配がした。

 内臓を見ていたせいで、血の臭いに惹きつけられてしまったのかもしれない。

 ちょっと穴が開いた杖を構えつつ、振り向く。


 そこにいたのは、


「……子犬?」


 つぶらな瞳を持った灰色の子犬だった。

 殺気立った様子も無く、じっとこちらを見つめている。


「犬かー」


 犬はわりと好きだ。


 野犬はもちろん怖い動物だが、犬は見慣れているぶん、襲ってくるかどうかは顔で分かりやすい。もちろん、でかい犬は用心してないと、いきなりスイッチが入って”遊ぶ”つもりでヤバいことにもなるけど。


 昔、猟師のおじさんが飼っていた猟犬を思い出す。人なつっこくて、パワフルな日本犬だった。人を噛んだりしないように、あえて人好きなように躾けていたらしい。親犬も人が好きで、会うと歓迎してくれた。

 上京後、犬を飼う余裕なんて無かったが、ネットで見かける犬のバズネタには、つい指を伸ばしてしまったものだ。


 俺は構えていた杖を下ろして、子犬を眺める。


「親が襲ってこないといいけど」


 子犬はどうにでもなるけど、子犬の親が怒って襲ってきたら困る。

 困るだけで、怖くはない。〈クラフトギア〉で固定して逃げればいい。

 野犬に襲われるくらいなら平気なあたり、神器のありがたみがすごい。


 子犬は俺をじっと見てくる。可愛い奴だ。


「腹が、減ってるのか?」


 自分より大きい相手に見つかったのに、逃げも隠れもしない子犬。声を出しても、逃げたり警戒したりしてくれない。

 これはこれで困る。どうしたもんか。

 兎肉の臭いに釣られて来たなら、空腹なんだろうか。


「これなら食っていいぞ」


 樹皮の容器ごと、内臓を子犬に向けて投げた。

 子犬は近くに落ちた容器にビクッと後ずさったが、興味を引かれたようで内臓に寄っていく。

 そして、前脚を容器に踏み入れて、鼻先を突っ込んでいった。チャッチャッチャ、と何かを食べる音を立てている。正解だったらしい。


 ここからだと食べてるところは見えないが、可愛いもんだ。


 などと思っていたら。


 ゴリリッ! ボリィッ! と、何か骨を噛み砕くような音がした。


「骨は入れてないはずだけど……」


 首を傾げていると、子犬がむくりと顔を上げた。ちょっと血の付いた口元にぺろりと舌を垂らしてこちらを見て、一声鳴いた。

 そして、森の中に走り去っていく。


「もう来るなよー」


 とか言いつつも、また来た時に同じ事をしない自信が無い。

 いや、分かってる。野生動物への餌付けは良くない。これがシカなら、俺は一も二もなく仕留めて肉にしてる。

 けど、どうせ周辺に人がいる気配も無いし、ここには俺しかいない。

 女神様は『人の目を気にしなくていい場所』として、異世界のここに送ってくれたんだ。だったら、ちょっと地球の常識を外しても――つまり、羽目を外しても良いはずだ。

 そんな小市民的なことを考えつつ、容器を回収した。


「……あいつ、心臓だけ食ってる」


 いちばん美味いとこだけ食べて帰ったのか? なかなか小生意気な子犬である。でも許そう。


 そんな、ほっこりとした心持ちでいた直後のことだった

 唐突に、自分以外の人の声が轟いた。


「ぁあああああ――――!?」


 完全に予想外だった。

 なぜならここは手つかずの森で、人目は気にしなくて良い場所のはずで、そんなところで若い女性の叫び声が耳に叩きつけられるとは、夢にも思っていなかった。

 しかも、その声は樹上から降ってきていた。


 驚きながらも上を振り仰ぐと、そこには、


「た、食べちゃった、の……?」


 凄まじく綺麗な女性が、目を潤ませながら俺を見下ろしていた。


「な、ん…………?」


 想像したこともない不可思議な光景に、少し思考停止してしまった。


 人形のように整った顔立ちをした、人の域から片足くらいは外れてそうな美女だった。色素の薄い髪を後ろで結い上げていて、その毛先が森の陽射しを孕んで揺れるだけで王冠のように眩しく輝く。

 珠のような白い肌と長い手足は、枝の上で危なげもなく振る舞うバイタリティに満ちていて、素晴らしいプロポーションに力強ささえ感じてしまう。

 生命を与えられた宝石のように煌めくその瞳が、俺を見ながら少し揺れていた。

 そんな美女が、普通よりも――というか、普通ではちょっと無理な長さの、耳を持っていた。


 昔、映画で見たぞアレ。


「エルフ」


 思わず、口の中で見たままの感想を独り言ちる。


「ねえ、貴方!」


「……俺?」


 反応が遅れた俺に、またも声が投げられた。己の顎を指差しつつ応えると、美女が力一杯うなずいて、声を張り上げた。


「唐突だけど、ごめんなさい! この辺りで小さいわんちゃん見なかった? ……食べちゃった?」


「食べ……? ああ、違うよこれは」


 俺のそばにある容器には、動物の内臓。

 エルフを見上げつつ、俺は答えた。


「食べてない。その犬なら、さっき向こうに行ったよ」


「そうなんだ、良かったぁー! 完全に疑ってました、ごめんなさい! それじゃ、私あの子を追いかけないとだから!」


「ああ、頑張って」


「ありがとう!」


 答えるなり、エルフは空を飛ぶように素早く、木々の枝上を駆けていった。


 その姿を呆然と見送ってから、俺は独り言ちる。


「異世界、だからなあ……」


 これ言うの何回目だろうか。

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