第2話 ひとり工房
細かいところまではよく思い出せないけど、女神様の計らいで異世界の森にいる。
そのはずだ。
立って自分の体を見下ろして見ると、それは納得した。
「スーツじゃない……」
俺が着ていたのは、ヨレヨレになった吊しのスーツ。今は違う物になっていた。
見覚えの無い、分厚いだけで飾り気の無い麻布の服になっている。靴もビジネスシューズではなく、動物の革で作られたブーツのようなもの。
真新しいので綺麗に見えるが、汚れれば洋画のファンタジードラマの人みたいになるんじゃないだろうか。
そして、周囲に広がる手つかずの森。
「異世界に来た、よし。まあそこまではよし、として……体が軽いな」
年中ずっと付き合っていた体の不調が、綺麗さっぱり消えている。
肩こり、頭痛、寝不足や疲れなどの倦怠感。ストレスで来る胃の不快感。その他もろもろ。
全部が無くなってるうえ、軽くその場で屈伸なんかしてみると、するっすると全身が爽快なほど機敏に動く。
「幸ある生を、って言われたけど、わりとこれだけでも十分幸せ感じる……」
健康体にしてくれてありがとう、女神様。
それとも、肉体には神器を授けるって言ってたから、これはその効果なんだろうか。
そうだ、神器。
それを意識すると、その
「〈クラフトギア〉」
金色の光がどこからともなく収束し、まるで最初からその手に握られていたかのような自然さで、ナイフが右手の中に収まっていた。
思い描いたとおりの、サバイバルナイフだ。昔はよく爺さんに借りて使っていた。
ナイフが工具? と思われるかもしれないが、工芸に手芸、ブッシュクラフトと、あらゆる場面でナイフは生活必需品だ。
工具と言われても俺は納得する。
適度に軽く、適度に重い。綺麗な刃は必要十分な鋭さと厚みを備えていて、柄は手に吸いついてくるようだ。百均で売っているような安物とは、全く違う。
念じると、ナイフは重みを失って光と散った。しかし、その存在は確かに俺の手の中――肉体の中に、感じられた。
体に宿す、と言われていたとおりだ。得物がどこかに消えたり現れたりする、子どもの頃に見た仮面ライダーみたいで、ちょっと心が浮き立つ。
「ここまではいいとして……」
問題は、場所だった。
あんまり栄えてない場所というのは、言った。言ったけども、
「未開拓の森の真っ只中、っていうのは、ちょっとハードル高いなー」
人の手が入っていない大自然。
俺の趣味は、ソロキャンでゆるキャンである。ナイフ一本だけを頼りに森に突っ込まれるのは、サバキャン(サバイバルキャンプ)スタイルじゃあないかな。
持ち物は今チェックしたとおりである。服とナイフ。以上。テントどころか、マッチの一本すら持っていない。
もう少しキャンプギアをくれ。
「ま、言ってても始まらないな」
あえて口に出した。大自然に放り込まれて、逆に冷静になるのは田舎育ちのクセみたいなものだ。
たとえば山の中で、道を外れて迷っていることに気づいた時、動転して右往左往すると逆に危ない。慌てず騒がず、現状把握と自分のできることを考える。
サバイバルの基本だった。
「できることか……いろいろ、ファンタジーなこと言われたんだよな。神器が変形するとか、遠くに置いても戻ってくるとか」
試してみよう。
俺はナイフに念じてみる。
「〈クラフトギア〉」
すると、思い描いたとおり手の中に手斧が出現した。
「おおっ」
すごい。感心してしまう。
ちょっとわくわくしてきた。
次は遠くにやってみよう。
「人気の無い森の中。手には斧。とくれば、キャンプではできないやつ……」
斧を振りかぶって、手近なところにある木に狙いをつける。
「投げ斧!」
投げた。
――瞬間、木の根元は粉々になった。
「え?」
目を疑ったが、起きた事実は変わらない。
直径一メートルはある太い樹木が、たかが手斧を投げつけただけで一撃で粉砕されたのだ。
「嘘だろ――!?」
叫ぶ俺の頭上に、巨大な樹木が落ちてきた。根元を砕かれた巨木が、因果応報とばかりに頭の上に落ちてくる。
……初日で死か!?
「ま、待て――!!」
思わず叫んで手を突き出す俺に、無慈悲に巨木の超重量が叩きつけられた。
目の前いっぱいを硬く重い樹の幹が占領する。俺はそれを見上げたまま、歯を食いしばった。
まるでスローモーションのように、落ちてくる巨木の動きが止まって見える。
……これが走馬灯……!
「……………………あれ?」
走馬灯っぽくなかった。
止まって見えるほど遅い、というより、
「止まってるなこれ」
俺は歩いて倒れる木の横に回れた。
横から見ると、倒れる途中の木が空中でぴたりと落下運動を止めている。
ニュートン力学への裏切りである。
そこはちょうど、俺の手が触れた高さだ。
心当たりは、一つある。
「〈クラフトギア〉……接着剤のかわりに時空を止める、って言われたけれども」
つい口に出しつつ落ちてた枝を拾って、宙に浮く木にくっつけてみる。枝木は一瞬でくっついた。
たしかに、接着にも使えるらしい。
「……解除しろ〈クラフトギア〉」
念じて手をかざせば、浮いていた樹木は地面に落ちた。
「……物と物の接着面でも、物体と空間でも『固定』できるのか」
俺は投げた手斧の方に振り返る。
木の根っこ近くを狙って投げられた手斧は、樹木を貫いてそのまま地面に着弾し、小さなクレーターを作っていた。
俺は自分にできることを確認して、うなずいた。
「よし、よく分かった。取り扱い注意だなこれ」
気を取り直して、作業にかかろう。
その辺に落ちていた太めの枝を拾って、軽く叩く。叩いた音で枝の中が腐ってたり食われてたりしないか確認した。いい感じだった。
まずは杖を作る。
杖は不整地を歩くのにいろいろと便利だ。
転ばぬ先の杖、というのは言わずもがな。センサーとしての役目もある。例えば、大きめの倒木を跨いで行くとき、その下に蛇がいないかつついてチェックもできる。
「さて」
落ちていた枝は、一握りくらいの太さがあって、俺の身長より長い。まずは半分くらいのところでへし折るため、〈クラフトギア〉のナイフを手にした枝に振り下ろす。
キン、と硬質な音を立てて、枝は真っ二つになった。
「……取扱注意」
ありえない切れ味だった。
豆腐を切ったようにスパッと、抵抗も無く、サバイバルナイフの一振りで枝が縦ではなく横に切れた。
切られた断面は毛羽立つことすらなく、鏡のように綺麗な切断面を見せている。
もう今からは驚かない。落ち着いて注意深くナイフを握り直して、枝を杖に加工する。
いちおう、ブッシュクラフトの経験はある。あるが、俺の手はその経験でも記憶に無いほど素早く正確に、手にした枝を杖に変えた。
「これは俺の技術じゃないな……」
五分とかからずできあがった杖を見つめて、俺はもう笑うしかない。
異次元の切れ味と、熟練職人よりも的確で素早い匠の手練。
どちらもおそらく〈クラフトギア〉の力だ。
杖の長さは1.1メートルほど。歩くのに使う杖の長さは、これくらいがちょうど良い。身長×0.6~0.7くらいが目安だ。
ふと、思いついて別の枝でハンドルを作った。ここでもやっぱり、握りやすい持ち手の部品が一発でできあがる。神様の力まじですごい。
「あとは〈クラフトギア〉で『固定』すれば、と」
杖と持ち手をくっつけて、念じてみる。
まるで最初から一体化してたように、持ち手はぴったりと杖にくっついたまま離れなかった。
できあがったのは、I字型のトレッキングポールだ。
軽く振り回しても、木や岩に叩きつけても離れない。
それどころか、岩に叩きつけたのに持ち手はすり傷一つついていない。〈クラフトギア〉で固定するとき、時空を固定される。それはつまり、どんなものも物理的に干渉できなくなるということだ。
……接着剤がわりにやることじゃないな。
板とか切るときは、全体を『固定』しては切れなくなるだろう。切らない部分を固定して作業をしないといけないな。
「で、解除もできる、と」
固定した時と同じく、解除しろと念じるだけで、あれほど強固にくっついていた持ち手はぽろりと落ちた。
接合面を見ても、何も破損は無い。もう一度『固定』する。またも、簡単にくっついた。
すさまじい切れ味のナイフに、あらゆる工具。釘を打つことも紐で縛る必要も無い、絶対に剥がれない接着剤。着けるも外すも自由で、壊さなくても解体できる。
たしかに、これならなんでも作れそうだ。一振りで工房を名乗るに相応しい力がある。
「これが〈クラフトギア〉か……。サバイバルも、なんとかなりそうだ」
作った杖を手にして、俺は歩き出した。
探索開始だ。
つい〈クラフトギア〉の便利さに感動してたけど、忘れてはいけない。いまは森に一人で放り出されて、サバキャン(強制)中だ。
探すものは、決まっている。
「まずは、水が無いと死んじゃうからなー」
人間は水が無いと三日で死ぬ。死なないだけであって、一日だけでも水が飲めないと、脱水症状を起こして不調になって、頭が働かなくなる。
水はさっさと確保するに限る。
遭難してたら歩き回るのは危険だが、ここは異世界。救助隊なんて来る予定は無い。だったら、探索するしかあるまい。
まあ、超ド田舎の山の中で一夜を明かしたことはある。なんとかなるだろう。
「女神様が送ってくれた世界と人生だ。きっと、前向きに動けばどうにかなるだろ」
森の中に放り込まれたというのに、俺の足取りはここ数年で覚えが無いほど軽やかで、気持ちも穏やかなものだった。
〈クラフトギア〉でこれだけファンタジーな力を体験して、異世界に来たのを実感できたからだ。
文明の利器はもうなに一つ無い。
蛇口をひねるだけで安全な水が出てくることはなくなった。
しかし――泥のように崩れ落ちそうな体を引きずって会社に向かうことも、もう無くなったのだ。
俺は自由だ。そして、
「腹が減った……。この健康的な感覚、ほんと久しぶりだな……」
食料を探す必要がある。がんばろう。
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