【コミカライズ】異世界のすみっこで快適ものづくり生活 ~女神さまのくれた工房はちょっとやりすぎ性能だった~【すみっこづくり】
稲穂乃シオリ
第一章
第1話 女神様はかく語りき
森を見て、分かることがある。
「田舎ってレベルじゃない……」
樹冠の間から見える空からすれば、昼を少し過ぎた頃合い。にも関わらず、薄暗さすら感じるほど鬱蒼とした森の中である。
木の乱立した様子には植樹された様子もなく、高い位置で陽を遮る木々の樹冠――枝葉が集まって作る緑の層――は、分厚い。樹海、と言われても納得できるほど。
一言で言うなら、手つかずの森の中だ。
ゆるキャンくらいを考えてたのに、これじゃガチキャン……いや、
俺の異世界、ナイフ一本で森スタート。
大丈夫だろうか?
田舎育ちで山に籠一つで放り出されたこととかはあるから、大丈夫って言っちゃったんだが……。
いや、
「慌てるな。俺は、メシが食いたいだけなんだ……」
なぜ俺が異世界の樹海にぽつんと一人で立っているのか。それには、現代日本での前世が関わっている。
俺の名前は桧室総次郎(ひむろ・そうじろう)。地方から就職を機に上京した、ごくありきたりな地方民だった。
しかし就職先の仕事は辛くて大変で、しかも安月給だった。いずれ良くなる――そう思い続けて、十数年以上が経っていた。
倒産したり、体を壊したり、いろいろな理由で転職をくり返した。三十五歳、体はぼろぼろ。平社員のまま、働き詰め・休日出勤・残業続きな会社ばかりだった。
その日も、ド深夜に帰宅中だった。半分無意識で歩いていた俺は、自分に向けて突っ込んできたトラックに、衝突するまで気づけなかった。
痛みを覚悟したのだが、それは一向に訪れず、むしろ僅かに心地良いような、なにか夢うつつな朦朧とした意識だけがあった。
「聞こえる~? 大丈夫だからね~」
そんな声が意識に届く。
耳を震わせるものではなく、頭の中に直接届くような、夢の中で聞くようなメッセージめいたもの。ただ、なんとなくその声は女性のもの――おっとりした淑女のものに思えた。
「落ち着いて聞いてね~? あなたの肉体は、壊れちゃったの。だからね、死んでしまったの」
「……人は、死んだら消えると思ってた」
「消えてないわね~、うふふ」
答えを返せる自分は、妙に落ち着いていた。なんだかさっき言われた『落ち着いてね』が効いている気がする。
命令されたから――というよりも、その言葉が心にまっすぐ染み込んでくるような、柔らかく温かな意志が、そのメッセージに込められていたからだ。
「貴方はね、わたしの神像を綺麗にしてくれたことがあったでしょう? その時に、わたしと縁ができたのよ~。だから、こうして魂をえいって引っ張ってあげたの」
「えっ、覚えが無い……」
「ほら~、あの時よ~」
ふっと、意識の中に謎の石像を磨く自分の姿が思い浮かぶ。
あれは確か……どこかの山を登ってる時に見つけた、謎の祠の石像。前日の雨で祠から落ちてたっぽいから、拾って拭いて祠に戻しておいたやつ。
「神像……ってことは、神様、ということですか?」
思わず営業用の敬語が出る。
「うふふ~、あのね、わたしは女神をしてるわ。だけど、そんなに肩肘を張らなくて大丈夫よ~」
「えっと……では、少しだけ楽にさせていただき――楽にします」
「は~い、良い子、良い子~」
言葉一つ一つに逆らえない、というより抗う気持ちが溶かされるのは、神特有の権能なのか、それともやたらに柔らかい声音のせいか。
「あのね、あなたはとっても良い子だから、可哀想なままじゃだめって思ったのよ~。でもそっちの世界では、わたしはあなたにできることって、無さそうだったの。だからね、そっちの世界で死んでしまうのは、どうしようもなかったわ」
どうやら、ブラック勤めの俺に同情してくれたけど、干渉できなかったようだ。女神様でも、できることに制約があったりするんだろうか。
なら……俺がああして死んでしまったのは、そういう世界だった、ということか。
三十五年。短い、と思ってしまうが、心身を壊して死にたいと思った時期も明確にあった人生だった。戻りたいか、と言われると悩む程度と考えれば、なんとも微妙だ。
「でもね~、良いことを思いついたのよ。そのまま別の世界で新しい時間を過ごしてもらいます、って、閃いたの」
「えーっと、つまり……『つよくてニューゲーム』ですか?」
「そうよ~」
肯定されてしまった。
まさか趣味のソロキャンが、女神との縁を作ってくれるなんて。
田舎育ちだから野山で寝泊まりするハードルは低くて、アニメをきっかけにして始めたソロキャンだった。会社から遠く離れられるので続けていた。
そのおかげでつよくてニューゲームができるとは、思ってもいなかったが……。
「別の世界で、新しい時間を……」
「ええ、そうよ~。あのね、送り出せる世界はいくつかあるけど、どんなことがしたいかしら? わたしも、できるだけ応援してあげますからね。あなたが学んだことは、みんなあちらの世界でも同等に扱えるようにしたり、ね」
自分のしたいこと。
ずっと働き詰めで、将来のことを棚上げしながら生きてきた。そうしないと辛すぎるからだ。
だから、そんな風に言われても、具体的な夢や希望を掲げてそれに全力! ――とは、なれそうにない。
「……ゆっくり暮らしたい。味がしないメシはもう、嫌だ」
ポロリと漏らした望みは、そんなものだった。
寝るだけの部屋とすし詰めの電車、常に監視されてあら探しされる会社。
30分ごとの定時報告。残業。罵声。
自分がなに食ってるのかも分からない、あの生活。
「そこらで買った味がしない食べ物を、何食べてるのかも思い出せないまま詰め込んでいくのは、したくない……」
あれはもう、嫌だ。
「田舎で昔食ってた素材の味を、思い出しながらやってたキャンプ飯だけが……味のある食べ物だった……」
ソロキャンでブッシュクラフトしたり、焚き火の音を聞きながらうつらうつらしてる時が、静かで心地良かった。
だから、
「あんまり栄えてなくて、美味しい動物がいるところがいい。そこで、職人とか……ものづくりを、したい」
都合の良すぎる望みだと思った。しかし、女神様は穏やかに微笑んだ(ような気がする)。
「ものづくりなら、わたしに出会えて大正解よ~。……やっぱり、運命だったのね」
ふっ、と、小ぶりのナイフを認識する。
「わたしのかわいい子から贈られた神器があるの。〈
「工房……?」
「ええ、そうなの。二つの力があるのよ。一つは、工具。どんな工具も、思い描けばその形になってくれるわ。二つ目は、物を固定する力。たとえば~、板を切りたい時に、その場で固定しておけると、便利でしょう。だから、なんでも固定できるようにしたんですって」
「それは……普通に便利そうな」
神様の力として地味かもしれないけど、ゆっくりものづくりして暮らすならちょうど良さそうだ。
「ありがとうございます」
無くさないようにしないと。
そんなことを考えてる俺の意識の中に、とぷんとナイフが沈んでくるような感覚がある。痛くはない。ただ、何か体の中に入ってきた温かいものと溶け合うような、そんな感覚だ。
「うふふ、大事に使ってね。貴方の肉体に仕舞っておくから、使いたいときに喚びだすといいわ。仕舞いたい時は、えいってやれば、手元に戻ってきますからね」
思ったよりセキュリティがすごい。
「それと~、固定する物は時空ごと固定してしまうから、切りたい場所を固定してしまうと、切れないらしいの。作った子がせっかちさんで、時空を固定すれば一瞬で固まるし剥がれないからって。ごめんなさいね、変な子で~」
「なんですって?」
「でもね、固定する力と工具があれば、一振りでも”工房”だから、便利なのは本当よ。許してくれる?」
「いやその、うん、はい、大丈夫です。ありがとうございます」
なんだか焦ってるような雰囲気を女神から感じて、慌てて問題無しということにする。
「お礼が言えてえらいわ~」
撫でられている。そんな感じがする。感じがするだけで、肉体を相変わらず認識できないんだが。
「それじゃあ、今から貴方を異世界へ送ってあげるわね。人の目が気にならない場所よね、ちゃあんと考えてあるから、安心して任せてね」
「あ、はい、お任せします……」
俺はもはや成り行き任せになっていた。もとより死んだ身で、今も自分の肉体という実体が曖昧だ。それがこの女神様の力によるものなら、もはや信頼して任せるしかない。
それに、なんだか優しさと柔らかくも強い意志を感じる存在に、自分の命を託して悪いことにはならないと理屈抜きで信じつつある。直感だけど。
「わたしは神祖の母なる女神・アナ。わたしが貴方を、異世界に産み落とします。その魂に、わたしから祝福を。肉体に、我が子の神器を授けてあげますね。両方とも、あなたの力と幸福を助けてくれるでしょう。……どうか、幸ある生を送ってね」
すうっと、意識の輪郭がぼやける。異世界に送り込まれつつあるのだろう。
「ありがとう……女神様」
「うふふ、良い子ね~。……わたしに残された最後の力だったから、貴方に使ってあげられて、わたしも嬉しかったわ」
え?
と、訝しむことが、できたかどうか。
俺の意識は、完全に溶けて散って、落ちた。――女神様の言葉を借りるなら、産まれ落ちた。
異世界へ。
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