誰何Ⅵ-Ⅱ

「なんの話か知らんが、待たせたな、すまん」

 悪びれもせず言う犬の頬はかすかに上気していた。洗髪料の甘い匂いがして、俺はなんとなく唾を呑み込むのを躊躇ためらった。

「帰ったら酒をおごれよ」

 山下さんが右肘を上げ、犬が右腕を軽く打ちつけて応える。ワンさんは微笑を浮かべている。俺が片手を上げると二人はうなずき、輸送車の前方に回り込んだ。

 車庫ガレージ鎧戸シャッター開扉かいひしていく。


 往路おうろは先に犬雉われわれが前衛を務め、復路ふくろはその逆というのがいつのまにかの定番になっていた。<誰何シーカー>との親和性が一番高いのが俺だと思われているのが理由だろう。比較的安全な倉庫周辺部を異世界エルドワ組が受け持ち、<誰何>の領域テリトリー内では我々犬雉に交代する。


 目黒書店の一番大切な取引相手である倉庫、その輸送車の護衛がなぜ俺みたいな新米に任されているかといえば、間違いなく<誰何>の力が大きい。しかし上は何を誤解しているのだろう、べつに俺と茉莉花いもうと揃いペアで使う必要もないのだ。

 俺は茉莉花の安全と生活さえ保証されていればそれでよかった。自身は<目光メヒカリ>だろうが発掘隊ウエスト・ピッカーだろうが商隊キャラバンだろうが、なんでもよかった。本を手に入れることのできる賃金さえもらえるならば。職種を問わず社割も効く。


「そろそろ倉庫の圏内を外れるぞ。……なんでもいいが、今日は特にひどいな」

「え」

「心ここにあらずというか、……まあ、あれだけ派手なドンパチがあったあとだ、野盗もおとなしくしてるとは思うけどな」

「勝って兜の緒をしめよ、ですよ」

 おまえがいうな、と呆れ顔で犬が言った。


 前衛と後衛を交替し、そろそろ<誰何シーカー>の圏内に入ろうか、というときだった。


『オニイチャン……』


 声が聴こえて、俺は咄嗟に身構えた。犬が即座に反応して警戒体制に入る。手信号で大丈夫だ、と伝える。

 声は茉莉花のもののように思えたが、<誰何>には声を伝えるような機能はない。いや、ないはずだ。


 おまえは誰だ。


 笑声が聴こえた。

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