本殿
「夜の神社って昼の神社と雰囲気が全く違うよね……」
果林さんが俺のTシャツの裾を掴む。
「十市さんも一緒に来るとは思わなかったです」
「一応、これでもジャーナリストだからな。真相だなんだと言われたらじっとしてられないだろ」
彼の手にはいつの間にか一眼レフが握られていた。ノゾコさんに神社に行くと話している時、十市さんがいなかったのは自室にそのカメラを取りに行っていたからなのだろう。
石階段を上って、本殿を睨みつける。視界の端に人形小屋が移り込まないように気を付けながら、俺たちはまっすぐ、他には目もくれずに本殿の扉にかかっている黒い南京錠に鍵を差し込む。
資料館では、この鍵についての説明がなかったが、問題なく鍵は回った。
黒いカーテンから指が出てきたわけではない。それでも、俺の指先は赤い格子の扉を開けることを拒んだ。しかし、それも一瞬のことで、俺はすぐに格子扉に手をかけた。
黒いカーテンを手で掴み、横へと引く。目を細めながら、懐中電灯を本殿の中に向けた。
本殿の中は、十畳ほどの空間があり、一辺の壁には本棚が二つほど並んでいる。床の四隅にはろうそくを入れる行燈らしきものが置いてある。
「本、いや、ノートか?」
埃っぽい本殿の木の床に土足であがる。部屋の隅には布団らしきものが折り畳まれて置かれていたが、茶色に変色していて、触ろうとさえ思えない。十市さんは早速、持参した一眼レフで本棚を撮り始めていた。
「表紙には年だけが書いてあるね。巻物にあった巫女さんが書いたのかな?」
果林さんが本棚から一冊だけ取り出して、表紙を見る。埃をあまり被っていないのは、誰かが本だけは確認していたからだろうか。
謎解きでこの本を見せるつもりだったんだから、主催者側が確認していないわけがない。
果林さんが手に取った本を開いた。
「子供の字みたい」
俺は左の本棚の一番上の一番左のノートを手にとった。表紙に書かれている数字からして百四十年以上前のノートだ。字は達筆すぎて読めない。
それになにより、文字の掠れがひどくて読み取るのも困難だった。
「おい、これなら読めるぞ」
右の本棚を調べていた十市さんが俺にノートを差し出してくる。表紙の年数は五十年前。
ノートには拙いながらもしっかりと日付けと文字が書き込まれていた。内容は子供が今日は何を教えてもらったかを書いているだけだったが、気になったのは、このノートに日記を書いている子供がこの本殿から外に出ていないことだった。
『わたしは、みこだから外に出れないって、ごはんをくれるいるかさんが言ってた。いるかさんにこのまえ、外に出たいって言ったら、すごいおこられた。わたしも村のみんなといっしょに外で走ったりしたい。でも、はしれない。それがすごくいやだ。』
子供は遊ぶのが仕事だろうに、巫女だからという理由で、彼女が本殿から出ることはなかった。ノートには毎日の出来事が書き込まれていて、だいたいは一年で一冊のノートが使われていた。
「このノートって、もしかして、ここにいた歴代の巫女が書いてたものなのか?」
「そうだとは思いますけど……」
十市さんは俺に渡したものからさらに二十数年前の日記を手に取って読んでいた。その顔の眉間に皺が寄せられている。果林さんはだいぶ昔のノートを広げては本棚に戻すことを繰り返していた。
俺は今読んでいるノートの五年後の年が書かれているノートを手にした。
先ほどのノートでは、外で走りたいと願う子供だったが、それから五年経つ。子供は何歳になっているのだろうか。
『やっと話してもらえた。どうして私には親がいないのか。
母は私の前の巫女で、人魚送りの時、本物の人魚になったっているかさんが教えてくれた。人魚になったお母さんはこの世で最も美しくて、なんと天女よりも美しかったって教えてもらえた。私もいつかお母さんみたいなキレイな人魚になりたい。』
子供時代の頃とは違い、しっかりとした文字が並んでいた。綺麗な文字からして、この本殿に籠っている彼女にも教育が施されたのだということが分かる。
人魚送りの時に巫女は本物の人魚となる。頭の隅から嫌な予感が迫ってくる。
俺は最後のノートを手に取った。
ほとんどが、村のだれだれが挨拶をしに来てくれた。今日は果物をおすそ分けしてもらった、と嬉しそうに書かれていたが、唐突にその綺麗な文字が乱れる。
『嘘だった。全部、嘘だった。
話は、全部が嘘だった。お母さんは食べられたんだ、村の人たち全員に! いつも私の足を不格好だってからかってきた奴が、笑いながら私に教えてきた。私の両の足を縫い付けて、動けないようにしたのは、村人たちなのに! 八尾比丘尼になるために、人魚を作って、食べるために、巫女を全員食べてきた醜い奴ら! 私のお母さんも、そのお母さんも、そのお母さんも、全員! 食われた! お腹の中の子を産んだら、次の巫女を産んだら、私もきっと……。
いやだ、いやだ、いやだ、私は、食べられたくない。
人魚なんかになりたくない!』
その後の線は文字にすらなっていなかった。子供が癇癪を起こしたかのようにくしゃくしゃにされた紙に、俺は思わず、口元を抑えた。そんな匂いは漂っているはずがないのに、生臭さが鼻につく。
そんなわけない、と、心のどこかで思っていた。
人形小屋の、両足を赤い糸で縫われた人型の人形は、ただの人形だからそんなことができたのだと。髪が長い女性の人形しかなかったのも、人魚が女性だという認識からなのだと思っていた。
実際に巫女を人魚にしていたから、子供にもそのようなことをさせていたのだ。
隣で十市さんが舌打ちをした。
「胸糞わりぃ……。わざと小さい頃に両足を縫って、この本殿に閉じ込めるなんて……人間としてやっちゃいけねぇことだろう」
ぐしゃりと十市さんが持っていたノートの端を強く握った。
「ね、ねぇ、本当にここにある本って本物なの? 昔、この島でこんなことがあったの?」
果林さんの言葉に、俺も十市さんも答えることができなかった。
「人の足を縫って、その上、食べ……」
果林さんは手に持っていたノートを落として、口を抑えるとそのまま本殿の外へと飛び出していった。
無理もない。俺も吐き気を堪えるのに精いっぱいだ。
自分の手の中のノートに視線を落とす。
表紙に書かれている年はこのノートが一番新しい。この巫女が最後の巫女だったのだ。
これを書いた彼女はいったいこの後、どうなってしまったのだろう。
「魚澤さんは本物だって言ってたんですよね?」
「ああ……」
「どこからどこまでが本物かは言ってましたか……?」
「……この島で起こったことや物は、全て本物だと言っていたな」
ビデオカメラの映像は、この島にあったものか、それとも作ったものなのか。
ここに来たはずの大学生の死体の上半身はこの島にあったのか。それとも海の底にあるのか。
「島民全員による巫女の殺害事件を表に出さずに、謎解きゲームとして扱ったってことですか?」
「本当に胸糞悪いことを考える奴らだな。……巫女だって、こんなゲームのネタにされたんだったら怒って呪いでもかけちまうのも当然のことかもしれねぇな」
「……呪いって……」
十市さんの言葉に疑問を覚える。彼は、呪いなどという超常現象の仕業だとは言い出さないと思っていた。
「自業自得じゃないかと思えてきたんだよ」
十市さんは胸ポケットに手を伸ばそうとして引っ込めた。
自業自得? だったら、なんだ。姫子さんも、己龍も、死んだのは自業自得だって?
十市さんが俺の顔を見て、肩を竦めた。
「お前の友達は巻き込まれただけかもしれねぇが、いや、俺ら全員巻き込まれたのかもしれねぇな。お前の友達だけじゃなくて、俺たちも帰る前に死ぬかもしれねぇ」
「本気でそんなことを思ってるんですか。姫子さんと己龍が死んだのは自業自得だって」
「……殺したくなる気持ちも分かるって話さ。足を他人の好き勝手にされて、笑いものになる人間の気持ちはな」
俺は十市さんの足を見る。俺と同じように存在している足を見ても、彼が人魚となった巫女の気持ちが分かるとは思えない。
「……俺のカミさんは、下半身不随なんだよ」
「……」
「足が動かないからって親や親戚からは煙たがられてた人間なんだ。でも、どこかの雑誌が下半身不随のカミさんを取材したいって言ったら、その時だけちやほやして、取材を了承したりする家族だ。今では絶縁させてるけどな」
「……奥さんは今、家で十市さんの帰りを待ってるんですよね?」
「ああ」
「だったら、呪いなんてもので死ぬかもしれないなんて言わないでくださいよ」
己龍がここにいたら、もっと強く十市さんに怒鳴って、胸ぐらを掴むぐらいはするだろう。ただし、俺にできるのは拳を強く握りしめることだけだ。
いつも通り、電脳体のあいつが俺の周りで軽口を叩いてくれれば、このやり場のない気持ちを掻き消してもらえるのに。
「……そうだな」
俺と十市さんは、ノートを本棚に戻して、外へと出た。果林さんが本殿の前でしゃがんでいる。
「果林さん、大丈夫ですか?」
「うん……外の空気吸ってたら、ちょっとは楽に……いや、全然楽じゃないかも。気持ち悪すぎて……」
俺は果林さんの背中をさすった。
「とりあえず、帰りましょうか」
「うん……水飲みたい……」
俺は本殿を振り返った。
これが犯人が脅迫状を俺の部屋の扉に差し込んでまで知らせたかった真相というものか。
どうして、犯人は、この島の真相を知らせたいんだ?
どうして、姫子さんと己龍は殺されたんだ?
人殺しをして、尚、俺たちに謎解きをさせる意味とは?
ホールには、村から帰ってきた時と同じようにノゾコさんが待っていた。
「おかえり」
「待ってくれてたの、ノゾコちゃん!」
果林さんがノゾコさんに抱き着いた。
「埃くさっ」
抱き着いた瞬間のノゾコさんの言葉に果林さんは何も言わずに彼女から離れた。
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