停電


 俺と源太さんはノゾコさんが滞在しているヒラメの部屋の扉の両脇に立っていた。壁に背をつけるようにして、ふと左にいる源太さんの顔を見やると、あちらも同じ行動をしていたようで、目が合ってしまう。

 源太さんが眉尻を下げて笑った。


「……やっぱり、医者になるのって大変ですか?」


 源太さんは考えるように視線を左上へと移動して、窓の向こうを見た。


「ええ、大変です。今回とは違いますけど……きっと医者になったら、たくさん、しょうがないことが起こります。その時、患者の大切な人にどう声をかけたらいいんだろうって、ずっと考えてたんです」

「さっきの言葉、患者の大切な人がどう感じるのかは分かりませんけど、俺はいい言葉だと思いましたよ」


 源太さんは片手で自分の頭をかき始めた。こちらに顔を見せてはくれないようだ。顔を背けた彼の方から鼻をすする音が聞こえたので、俺は窓の向こうを見た。

 林の向こうには、これでもかというほど青い海が広がっている。


「僕なりに、一生懸命考えた言葉なんです……。きっとこんな若造にそんなことを言われてもって思う人はいるかもしれないですけど、少なくとも、ノゾコさんと琉斗さんは笑わずに聞いてくれました」


 源太さんは一度、袖で顔を拭うとこちらを見た。


「琉斗さん、この島から帰ったら、友達になってくれますか」

「え、友達?」

「だめですか?」


 まさか、大学を卒業して仕事をやっている歳になってから友達になってほしいと言われるとは思わなかった。

 しかし、悪くない気分だ。


「もちろん、いいですよ」


 俺が源太さんに手を差し出すと、彼は嬉しそうに目を細めて、俺の手を握った。

 ガチャリ、と扉が開いた。


「言っておくけど、人の部屋の前でしてる会話、全部聞こえてるからね」


 扉の隙間から一瞬顔を見せたノゾコさんに指摘されて、俺と源太さんは慌てて、お互いの手を離した。

 ため息をつきながら、ノゾコさんが部屋から出てきた。


「もう話はいいの?」

「ノゾコさんの方こそ、もう落ち着きましたか?」


 負けじと質問するものの、その様子にさえもノゾコさんはため息を吐いた。


「私はもう大丈夫よ。みんなのところに行きましょう」


 俺と源太さんの間を通り抜け、ノゾコさんはしっかりとした足取りで、廊下の奥へと進んで行った。

 三階の通路を一番奥に進んだ場所に姫子さんの滞在している部屋があるらしい。己龍達は無事姫子さんの部屋の扉を破ることができたんだろうか。

 廊下に人影がない時点で、部屋の中にいるとは思うが。


「あ、ノゾコちゃ~ん!」


 ふと、一番奥の部屋の中から果林さんが顔を出してきた。こちらに気づいて手を振る彼女。


「スマホは見つかった?」

「ないみたい!」

「ないのね……」

「なくてそのテンションだったんですね」


 果林さんの笑顔からスマホが見つかったものだと俺も思っていたが、どうやら、違うみたいだ。

 なら、俺たちのスマホを管理しているのは魚澤さんか。彼の部屋に押し入る選択を視野に入れなければならない。


「とりあえず、これからどうするか決めないとな」


 己龍が顎に手をやる。


「俺は魚澤がスマホを持っていないか問い詰めてやるからな」

「えっと……それなら、僕も一緒に行きます」


 十市さんは魚澤さんが犯人だと確信しているらしい。そんな彼に心配そうな視線を向けて源太さんが手を挙げる。


「それじゃあ、俺と己龍は姫子さんの死体の周りに氷を置きますね」


 いつもなら、私も行くと言い出す果林さんもさすがに姫子さんの死体を直視したくないからか、何も言わない。無理もないだろう。


「それなら、私はどこかに本島に連絡する手段がないか、館内を調べるわ」


 館内に死体があり、殺人犯がいるかもしれない。

 そんな怖い状況の中、部屋に閉じこもるという選択もあったのだが、ノゾコさんは自分の言ったことを取り消したりしなかった。

 柚葉さんは自室に残ると言い、果林さんはノゾコさんと一緒に館内を調べることにした。


「何度、お前と二人っきりにならないといけねぇのか分かんねぇな」


 再度、キッチンまでやってきた時に冷蔵庫から氷の入ったビニール袋を取り出した俺の背中に己龍がぼやいた。


「仕方ないだろ。俺もお前も完全に信用できるのはお互いしかいないんだから」


 後ろにいる己龍にせっせと氷の袋を渡していく。


「それは分かってんだけどさ、せっかく遊びに来たっていうのに、まさかの殺人ってなに? お前、呪われてんの?」


 それは否定できない。依頼とは関係ないところで殺人事件に巻き込まれるのは、呪われているとしか言いようがない。それでも、俺は超常現象などを信じてはいないのだが。


「そろそろ聞かせてくれよ。お前が言いかけてた気になっていること」

「ああ、別に大したことじゃねぇんだけどさ」


 俺がいきなり話題を変えたことには触れずに己龍はやっと言えずにいた疑問を口にした。


「十市さんが魚澤さんに島であったことは全部本当のことって言ってただろ? だったら、あの映像も本物だったんじゃないかって」

「は?」


 ずっと気にしていたことがそれ?

 己龍がわざともったいぶっていたわけじゃないのは俺も分かっている。


「あの映像が本物だったら……本殿の中から出てきた指も本物で、人が岩礁に落下したのも本当のことだって言うのか?」

「その可能性があるってことだよ。……もしかしたら、あの映像は本物で、入鹿島にカサゴ館を建てる前に探索をしている時にビデオカメラを発見したのかもしれない」


 そのような可能性があるのか。

 人が死んでいるにも関わらず、その証拠となりそうな映像をただ謎解きゲームのために使うなど……。


「もしかしたら、超常現象のようなことが起こってるんじゃねぇかって思ってきたんだよ。実際、姫子さんも足がなくなってるだろ」


 俺は思わず深いため息をついた。空になった冷凍庫の扉を少し乱暴に閉めてしまった。俺の手にもいくつか氷の入った袋が抱えられている。


「いいか? 幽霊も人魚も、わざわざアリバイ作りを成立させるために氷の板を用意して死体をその上に乗せたりしない」

「分かってるけど」

「分かってるなら、そういうことを言うな」


 明らかに殺人だと分かるのに、超常現象の仕業なんて言われたら腹が立つことこの上ない。

 それは殺人によって亡くなった姫子さんに対する冒涜だ。誰だって、殺人で死んだのに訳の分からない理由で死んだと噂されるのは耐えられないだろう。

 赤い布をどけて姫子さんの周りに氷の入ったビニール袋を置いて、その上に持ってきた乾いたシーツを被せる。彼女の身体が濡れないように氷とは密着させないようにしながら。


「あともう一つ、お前に伝え損ねていたことがあった」


 シーツを被せ終わると己龍はさっさとウォーターサーバーに近づき、紙コップに水を汲む。どうして、ロボットのくせに水を飲むのか。本体が喉が渇いたと思ってるんだったら、わざわざこっちでも水を飲む必要はないだろうに。


「超常現象以外の話なら聞く」

「人魚は水の中へ、神は陽の下へ」

「は?」

「犬小屋の中にあったプラカードだ」


 そういえば、結局聞いていなかった。


「ああ、神はそのまま神様で、陽は太陽な」

「なるほどな」


 謎解きよりも殺人事件の犯人捜しの方を優先しないといけないことは分かり切っているのだが、ヒントを新しくもらってしまえば、嫌でも謎解きのことを考えてしまうのは当たり前のことで。


「神と言えば、海の神とかでてたか」


 巻物の下の銀のプレートを思い出す。さすがにあの説明を書き写したりしているわけではないが、だいたいの内容は忘れていない。まだあの巻物が謎解きに使われるのか。

 三問目の犬小屋の問題も、二問目に出てきた民謡に「戌」の文字が出ていたから、解けたも同然なのだ。今回も前の問題や、他に使ったものがヒントになっているのかもしれない。


「お前は何飲む?」

「……コーヒーで」


 俺が頼むと己龍は紙コップの中にコーヒーの粉を入れて、砂糖の袋も一本分紙コップの中に入れる。俺はいつからコーヒーに砂糖を入れるようになったんだ。


「人魚が水の中にいるのは当たり前だが……神が陽の下? 神って陽の下にいるものだったか?」


 お湯を入れてもらったコーヒーを受け取りながら、考える。甘い。いつもブラックコーヒーばかり飲んでいるから、不思議な味だ。


「こんなところで二人とも休憩とかずるーい! ウチも混ぜてよ!」


 食堂の扉をゆっくりと開いた果林さんが休んでいる俺たちを見て、ほっと胸を撫で下ろした。


「果林ちゃん、なに飲む~?」


 先ほどまで険しい顔つきだったのが嘘のように己龍は果林さんに微笑んだ。


「私、アールグレイ~」

「ノゾコさんと探索をしていたんですよね?」


 アールグレイの入った紙コップが己龍から果林さんに手渡され、彼女は両手の袖で手を覆うと熱いままの紙コップを両手で受け取った。


「うん。そうなんだけど、探すなら二手に分かれて探した方がいいってノゾコちゃんが言いだしたんだよね。今はたぶん資料館の方を探してると思う」


 一人で神社の石階段にうずくまっていた彼女とは思えない。


「あ、そうだ。ウチ、琉斗くんに教えようと思っていたことがあるんだよね!」

「俺にですか?」

「うん。人魚は水の中へ、神は陽の下へ、って犬小屋のプラカードに書いてあったよ!」


 俺の隣で己龍が思わず噴き出した。わざわざ教えてくれたことが申し訳なくなり、俺は眉尻を下げた。


「すみません、果林さん。それならついさっき己龍から聞いたんですよ」

「えっ、マジ⁉」

「タイミングが悪すぎるだろ! たった今教えたばっかりなのに!」


 己龍は堪えきれないと言うようにげらげらと笑いだした。

 俺が「さすがに笑いすぎだ」と己龍の背中を叩こうか否か迷っていると、唐突に視界が真っ暗になった。


「えっ⁉」

「暗っ!」


 停電か。もしくは誰かが食堂の電気を消したのか。何も見えない。慌てて、ズボンのポケットに手を伸ばすが、そこにはいつもあるはずのスマホはない。


「懐中電灯持ってねぇの?」

「そういえば、食堂のテーブルに置いたままにしてたような……」


 一度、自室に帰ってメモ用紙を取りに行った記憶はあるが、その時、俺は懐中電灯を手にしていなかった。懐中電灯を手にしたまま、カサゴ館に帰ってきて、そのまま食堂で治療を受けた時にテーブルの上に置いたはずだ。


「とりあえず、手探りで探すか」

「あっつ! もう! 誰か飲み物零したっ⁉」

「ごめん、たぶん、それ、俺だ」


 俺の背後で二人が騒ぐ声がする。腰を引いて、両手を前に突き出した状態でそろりそろりと前へ進む姿は、さぞかしダサいだろう。電気がついていない状態でよかった。

 いや、そもそも電気が消えなければ、こんな姿勢をとることもなかった。

 ブレーカーが落ちたのだろうか。

 ていうか、ロボットなんだから、こういう時こそ、役立つ機能とかを付ければいいのに。目を光らせるとか。

 自分でもバカバカしいと思うようなことを考えてしまい、思わず、ため息をついた。


 お互いに「あった?」「見つからない」「今、どこにいる?」と逐一声を出して、場所を確認しながら、テーブル周りを動き、手探りでテーブル上にあるはずの懐中電灯を探す。これだけ見つからないのなら、懐中電灯は別のところに置いたのではないだろうかという考えが頭によぎる。

 途中で怪我をしていた膝を椅子に打ち付けて悶絶しているところに果林さんの「見つけた!」という声が聞こえた。

 真っ暗だった食堂内に唐突に光が現れ、目を細める。目の前に手をかざして、こちらの顔に直接向けられた光を遮る。


「ブレーカーを探そう。キッチンにあったから」


 果林さんが俺たちに近づいてきて、ようやく顔に直接光を当てられることがなくなった。

 ちょうど、膝を椅子に打って、屈んでいるところで懐中電灯を見つけないでほしいと心から思った。今の俺は痛みでなんとも言えない顔をしていることだろう。己龍も果林さんも俺の顔から目を逸らして、先にキッチンの扉を開けていた。

 置いていかれないように俺も慌てて、二人を追いかけてキッチンに入った。


「ウチ、キッチンに初めて入ったわ~。あの扉はなに?」

「あれは外に行く扉みたいです。カサゴ館の裏に出ますよ」

「あー、ゴミを捨てに行くためかな?」


 ブレーカーは、食堂の扉からキッチンに入って右に曲がり、水槽の階段へと続く通路へと曲がってすぐ傍の天井近くにあった。


「やっぱり、停電だったんだな」


 己龍がブレーカーのつまみを元に戻すと、ぱちぱちというかすかな音と共に、キッチンの電灯が光を取り戻した。


「……結構、かかっちまったな」


 停電してから何分経ったのだろう。時計を確認していなかったから分からないが、懐中電灯を探すのも思った以上に手間取っていた。テーブルの上はできるだけまんべんなく探していたつもりだったのに。


「他の人の安否を確認しましょう」


 俺の言葉に事態の深刻さを悟ったらしい果林さんが己龍と同じく神妙な顔つきになって頷いた。

 停電に便乗して、何かよからぬことが起こっていないか。どうか、何も起きていないでほしいと俺は強く願った。

 誰か言うでもなく、三人とも速足になりながら、食堂の扉を開ける。それと同時に通路の向かいから、勢いよく扉が開く音がした。


「源太さんっ⁉」


 目の前の扉から転がり出てきた源太さんが慌てて後ろ手で扉を閉めていた。


「すみませんっ! 暗がりで分かんなかったんです! こっちが食堂だと思ったんです!」


 俺は彼の後ろの扉を見やる。

 女性シャワールーム。

 ああ……。


「誰もいなかったので、見逃してくださいっ!」


 シャワールームの扉の前で源太さんが土下座をし始めた。あの暗闇なら、前後不覚になるのもしょうがないかもしれないが、まさか女性用のシャワールームに間違えて入ってしまうとは。


「大丈夫ですよ、源太さん……」

「みんな、探索してる途中だし、シャワーなんか入ってもラッキースケベにはならねぇから、わざと入ったなんて誰も思わないって」


 そういうことじゃないと俺は己龍の頭を軽く叩いた。


「ていうか、源太くん、どうしてここにいるの? 十市さんと一緒に魚澤さんの説得してたんじゃないの?」


 いつまでも土下座をし続けそうな源太さんの腕を掴んで、果林さんは立ち上がらせた。


「魚澤さん、お弁当まだですよね? さすがに夕飯抜きもかわいそうだと思ってキッチンまでとりに行こうと思ったんです。そしたら、一階に降りてすぐに停電して……また、こけて……」


 どんどん源太さんに同情したくなってきた。

 こけ仲間である源太さんの肩を軽く叩きつつ、俺たちは他の人達の安否を確かめに行くことにした。


「あ、そうだ! ノゾコちゃん! 絶対、ノゾコちゃん、怖がってるはずだよ!」


 ノゾコさんは資料館にいるはずだ。彼女が資料館で一人で探索をしている途中に停電になっていたとしたら……。


「早く行きましょう」

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