接近禁止
俺には姫子さんの死体への接近禁止令が出された。
解せない。
「私は貴方達と別れた後は食堂で読書をして、その後はホールにいたわ。そしてら、五分くらいして貴方達が帰ってきたのよ」
「どうしてホールにいたんだ?」
俺たちと別れた後ということは十六時過ぎ頃からずっと食堂にいたのだろう。その後わざわざホールで五分も待つ理由が分からないが。
「ノゾコちゃんは村に行った貴方達が心配だって言ってホールで待ってたのよ。私はノゾコちゃんがあなたたちを出迎えるためにホールにいく十五分前から食堂に戻っていたわ。それまでは外でスケッチをしていたの」
柚葉さんの援護射撃にノゾコさんが顔を赤らめていた。
俺たちのことが心配で出迎えようとした結果、悲鳴をあげてしまったわけだ。果林さんと俺と己龍の視線がノゾコさんに向けられると、彼女は両手で顔を隠してしまった。耳まで真っ赤になってしまっている。これ以上、言うのはやめておこう。
「僕はご飯を食べた後、眠くなったので一度自室に戻って仮眠をとってから、外でぶらぶら散歩をして、ホールに戻ってきたら己龍さんと果林さんがいて、その後、一緒に村に行きましたよ」
この中でお互いの姿をずっと確認できていたのは俺と己龍と果林さんだけだ。俺は懐中電灯を取りに行った間は一人だったから正確には己龍と果林さんだけだ。
ノゾコさんは途中まで一緒だったが、肝心の時間は一緒にいなかった。
俺は己龍の斜め後ろで自室から持ってきた手帳に全員のアリバイを書き込んでいた。
左側に時間を書いて上に人の名前を書いた簡易的な表を作り、何時から何時までどこにいたのかを書きこんでいく。本当にみんな自由に動いていたみたいだ。
「柚葉さんは具体的にどこらへんにいたんですか?」
「うーん……」
柚葉さんは自分の片頬を手で押さえて首を少しだけ傾げた。
「あまり褒められたものではないんだけどね……林の中に入ったのよ。花畑の中に入ってスケッチをしていたの」
「花畑なんてあるんだ?」
この島には林ばかりがあると思っていたが、木や茂みがあるなら、花も当然咲いているのか。俺たちは見かけなかったが。
柚葉さんはその場所を姫子さんに教えてもらったのだろうか。
「ウチはずっと朝から己龍くんと琉斗くんと一緒に行動してたよ! あ、まぁ、トイレ休憩とか? そういう時間の申告はあんまりいらないよね……?」
「トイレで離れた時間っつっても、そこまで長くないだろ? 別に申告しなくていいって」
トイレ休憩は五分ほどだろう。
今回の事件は、姫子さんのことを殺害し、足を切断した後、水槽の足場の部分に氷を置いて、その上に姫子さんの遺体を置かなくてはならない。細かい工程まで含めるとまだまだやることはあるだろう。
たった五分でできるようなことではない。
アリバイを聞くだけでも分からないな。
「やっぱり、姫子さんの部屋か、魚澤さんの部屋にあるスマホを探して、警察に連絡した方がいいんじゃないですか……?」
おずおずと源太さんが手をあげる。
「それもそうだな。鍵は俺が探してもなかったことだし、これはもう扉を壊すしかないか」
「壊すのは……」
「扉よりも人命だろ?」
十市さんの言う事は最もだ。扉一枚よりもここにいる人達の命を優先に考えるべきだろう。
しかし、姫子さんの部屋はいいとして、魚澤さんの部屋に入ることはできるだろうか。今の状況で不安定になっている彼の部屋の扉を無理やり開けるなんてことをしたら、逆効果の気がする。
「それじゃあ、また消火器でも持ってくるか?」
こんな狭い部屋の中で大勢が顔を突き合わせて、ああでもないこうでもないと言うよりは行動した方がいいだろうと己龍は立ち上がった。それに十市さんも続く。
「姫子さんの部屋の中を探索するのは女性たちに任せるわ」
「うん、任せて! スマホなら絶対に見つけるから!」
意気込む果林さんとは対照的にノゾコさんは少し浮かない顔をしていた。
姫子さんの部屋の扉を開けようと部屋から出て行ったのは果林さんと己龍と十市さんと柚葉さんの四人だった。
俺とノゾコさんと源太さんは、果林さんの部屋に残された。重たい沈黙が肩にのしかかる。
「……ノゾコさんは行かなくてもよかったんですか?」
「だって……いくら亡くなったとはいえ、人の部屋だし……そもそも殺人なんて……」
膝の上で組まれている両手が小刻みに震えている。
俺だけではなく、源太くんもそんな彼女を見て、困ったような表情をする。俺も彼も行かないと言ったノゾコさんが心配でここに残ったのだ。
しかし、なんと声をかけていいのか分からない。
「えっと……ノゾコさん。ご飯は食べましたか?」
源太さんの質問にノゾコさんが顔をあげる。今の質問の意図が分からないみたいだ。はっきり言うと俺も今の質問の意味が分からない。
「え、ええ……さっき。半分しか食べられなかったけど」
「それならよかったです。ご飯を少しでも食べないといざという時に力がでませんからね」
源太さんがにこりと微笑んだ。
「人が亡くなるのは唐突で、とても、とても、悲しいことだと思います。僕だって、姫子さんの遺体を見た時はとても怖かったです……。でも、姫子さんのために僕たちが何かできるかもしれないって思うんです」
源太さんがベッドの縁に座っているノゾコさんの両手を、自身の両手で包んだ。
「私達が、姫子さんのために何かできる……?」
「そうです。例えば、今、僕らが姫子さんのためにできることは、生きたまま本島に帰って、警察にありのままを話して、犯人を捕まえてもらうことです」
魚澤さん以外の全員が今回の事件の目撃者だ。証言は多い方がいいだろう。それに俺たちにはこの事件を警察に通報する義務がある。
「亡くなった人のことを忘れることなんて早々できないです。ですから、亡くなった方のためにできることを、僕らなりに考えていきましょう」
「うん……」
ノゾコさんの瞳から音もなく、涙が溢れた。そして、彼女は「少し、一人にさせて」と声を絞り出した。
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