水槽の上


 弁当の中は豚と玉ねぎの甘辛煮と白ご飯とごぼうサラダだった。死体を見た後で箸は進まないが、それでも食べるしかない。


 殺人事件のせいで楽しみにしていた謎解きも続行不可能になってしまった。源太さんが言っていた砂浜を見つけることも、民謡の謎を解くことも、犬小屋の奥の壁に貼られていたプラカードの内容を聞くこともできなかった。


 そう思うと俺の楽しみをぶっ壊した犯人に苛立ちが募る。

 よくも俺の休日の邪魔をしてくれたな。


「ゴミの片付けは俺と己龍でやります。二人はどうしますか?」

「バリケードがちゃんとしてるか魚澤の部屋の扉の前をしばらく見張るつもりだ。二人でな」

「え、僕もですか⁉」


 行くだろ? と無言の圧で見つめられては、源太さんも「あ、はい……単独行動は危険ですもんね……」と大人しく行動することを決めた。

 女性陣がもうすでにご飯を食べ終わっているとは思えず、俺と己龍は四人分の空になった弁当箱を持って、一階へと降りた。


「二人きりになって何を話そうって?」


 俺がゴミの片付けにわざわざ己龍を指名したことが気になっていたのか、食堂に入ったところで己龍が問うてきた。


「お前が幽霊探偵を名乗るのは今回も別に構わない。なら、作戦会議だ」

「どうせ、スマホを見つけられれば、警察をすぐに呼ぶことができるんだろ? 今回は依頼でもねぇし、待ってれば?」

「スマホが見つからなかったら?」


 もしかしたら、スマホを管理しているのは閉じこもっている魚澤さんかもしれない。

 彼の今の様子では、警察には通報してくれないだろうし、俺たちにスマホを返すこともないだろう。そうなれば、俺たちは次、島にフェリーが来るまで、犯人がいるこの島の中になんの対策もなく、滞在することになる。


 誰だって、正体不明の殺人犯と一緒に館の中にいたくないだろう。

 俺だって、殺人犯の正体が分からない状態は気持ち悪くていやだ。


「……で? 俺は何をすればいいわけ?」

「まずはアリバイだ。柚葉さんが最後に食堂で姫子さんを見たと言っていたのが十四時半。それから、食堂に姫子さんの遺体が現れたのが十七時。その間、全員がどこで何をしていたのか知りたいんだ」

「オッケー。みんなに聞けばいいわけだな」


 幽霊探偵と己龍が名乗るのであれば、俺は表立って質問などをしない方がいいだろう。己龍の隣で息を潜めて、メモをとっていればいい。何故メモをとるのかを聞かれたら、島に滞在する間は助手をしろと言われたと嫌そうな顔をしつつ、答えればいいだけだ。


「アリバイの次は……いや、アリバイの前に水槽を確認しよう」

「あそこを?」


 背後のガラスの割られている水槽を己龍が親指で示す。


「ああ、水槽の上を確認したい。どうせ、どこからか行けるだろう」


 ゴミ袋を毎回食堂に用意してくれていた姫子さんはもういない。俺はキッチンに入って、周りを見渡した。ここに入ったのは、姫子さんの遺体を見つけたすぐ後で、俺は源太さんと一緒に氷を作った。


「氷を周りに置いたところで腐敗は止められねぇって」

「分かってはいるけど、気休めにでもなればいいだろ」


 ビニール袋に入れた水はまだ固まってはいなかった。またあとで確認しなければいけないだろう。


「そういえば、さっき入った時は気づかなかったけど、キッチンって奥にも通路があるんだな」


 たった今食堂からキッチンに入った扉を振り返ると、扉の横には壁はなく、奥に空間が続いていた。そして、その奥には鉄の階段がある。


「……あれ、水槽の上へ行く階段じゃないか?」


 キッチンの部屋は食堂を囲むかのようにL字型になっており、俺たちはキッチンの奥の鉄の階段を上った。上った先には暗い広がりのない空間と、薄い鉄の足場が右へと続いていた。


「思った通りだ」


 右へと向かうと、天井からの光が下へと降り注ぎ、もう水がない水槽を上から見ることができた。餌を放り投げるためか、水槽の真ん中は屋根のようなものがなく、周りは鉄の足場で囲まれている。柵はない。万が一、餌やりをしている途中に落ちていたらどうしていたのか。


 水槽の上の足場は濡れている。きっと姫子さんが水槽の中に落ちた時の水しぶきだろう。

 ここまで飛び散っていたのか、ガラスの破片のようなものもちらほら見ることができた。


「……」

「なぁ、琉斗。誰か来るぞ」


 己龍が耳打ちしてすぐに下から扉が開く音がする。誰かが食堂に入ってきたのだ。

 耳を澄ませる。

 何故、死体があるここにわざわざ来るのか。まぁ、どうせ、ゴミを捨てにキッチンに向かうだろう。


 しかし、次に聞こえた音はキッチンの扉を開ける音ではなく、水槽の近くでごそごそと何かを探す音だった。

 俺は足場がない場所から水槽の中へと飛び降りた。


「うぉっ⁉」


 水槽の近くに横たえている姫子さんの死体の服のポケットに十市さんが手を突っ込んでいた。


「……十市さん、何をしてるんですか?」


 水槽の底にまだ残っている水のせいで俺の靴の中は水浸しだ。俺に続いて、己龍が飛び降りてきて、俺の隣に立つ。


「驚かせるなよ、お前ら……」

「まさか、水槽の上を確認してる時に死体漁りに来ると思わねぇだろ」


 己龍の言葉に十市さんが思わずムッとする。


「俺だって、したくてこんなことしてねぇよ。女どもに頼まれたんだっての」

「え?」

「姫子さんの部屋、開かなかったみたいだぜ」


 なるほど。だから、姫子さんが鍵を持っているだろうと探しに来たのか。


「ありましたか?」


 十市さんは「さぁな」と肩を竦めた。


「少なくともポケットの中には入ってねぇな」

「そうですか……」


 鍵がないとなると、強行突破しかないのだろうか。館の破壊はできればしたくないのだが、こんな状況では致し方ないだろう。もうすでに水槽は壊してしまったし。


「で? 水槽の上を調べたんだろ? 犯人は分かりそうか、探偵さんよ」

「いや、まだ分からないな。とりあえず、みんなの十四時半から十七時のアリバイを聞かないとどうにも……」


 己龍が探偵らしく、アリバイの話を出してきたため、俺は水槽から降りて、ポケットから入鹿島調査ノートを取り出す。何か書けるものが今手持ちにはこれしかなかったのだ。あらすじが書かれている一ページ目にアリバイを書けるように準備をする。


「俺のアリバイか……。ずっと神社にいたとしか言えないな。あとは船着き場に行ってた」

「それを証明できる人は?」

「いねぇな。誰とも会ってねぇし……十六時半頃に疲れて自分の部屋へと戻ってしばらくしたらホールの方から女の悲鳴がしたから駆けつけた」


 その後は俺たちと一緒に食堂に行き、俺に半ズボンを貸してくれて、そのまま一緒に姫子さんの死体が現れるのを見た、と。

 それぞれが好きに行動をしていたのだ。

 アリバイの証明ができないのは分かっている。


「ていうか、魚澤で犯人は決まりなんだろ? 死体を放り投げることなんて、食堂にいなかった魚澤しかできないはずだ」

「まぁまぁ、とりあえず、情報はあって困ることはねぇから。他の奴にも聞くつもりだし」


 それならいいが、と十市さんは立ち上がり、死体から距離をとる。よく見ると、食堂の長テーブルの端に空になった弁同箱が三つほど並んでいる。よかった。女性たちも全員食事をしたらしい。


「本当のことになっちまったな」


 十市さんの言葉の意図が分からずに俺と己龍は首を傾げる。彼はにやりと笑った。


「人魚に足をとられるって話だよ。本殿を開けたからか、それともこの島に来た人間は全員足をとられて死ぬのか」

「……十市さんはこの殺人が超常現象によるものだと思っているんですか?」

「そうだったら、面白いかもな。……いや、御免だ。俺には帰りを待ってる人間もいることだし、超常現象如きに足をとられるなんてもってのほかだ」


 彼は、胸ポケットから煙草を一本取り出すと、それを口にくわえた。くしゃりと煙草は入っていた箱が彼の手によって握りつぶされる。最後の一本だったのか。


「よりにもよって、足とはな……」

 彼は誰に言うとでもなくぼやくと空の弁同箱を持って、キッチンへ入っていった。

「本当に魚澤さんじゃないのか?」


 唯一、姫子さんの死体が発見された時に一緒にいなかった魚澤さん。明らかに怪しい。

 しかし。


「ああ、魚澤さんは犯人じゃない」

「どうして分かるんだ?」

「足場にガラスの破片のようなものが落ちていたのを見ただろ」


 水槽の上を指さしながら己龍に聞くと彼は頷く。


「でも、あのガラスの破片、角が丸くなっていたんだ。他にも本当に小さな丸のなっている破片もあった。あれはガラスじゃない。氷だ」

「氷?」

「例えば、大きな氷の板を作って、その上に姫子さんをのせておけば、魚澤さんだけではなく、食堂にいた人間にも犯行が可能になる」


 大きな冷凍庫の中身が空っぽだったのも、人をのせることのできるほどの大きさの氷を作って持ち出した後だと考えれば納得がいく。


「殺した方法に関しては?」

「それはいくらでも思いつく。見たところ外傷はないし……」


 俺は姫子さんの死体の傍にかがんで、彼女の服や露出している部分の肌を確認した。外傷と思えるものはない。


「毒か、窒息か……具体的な死因は俺たちに判別できるものではないから今は置いておこう」

「要するに十七時に食堂にいたかは関係なく、姫子さんが最後に生きているのを確認された十四時半から十七時のみんなのアリバイがなおさら必要ってわけだな?」

「そういうことだ」


 探偵として謎を解こうというつもりがなくても、ある程度己龍の理解が早くて助かる。己龍の理解が遅かったら、こいつがいくら名乗りをあげようと、俺は自分が本物の幽霊探偵だと騒ぎだしていたことだろう。


「そういえば、姫子さんの死体が落ちてくる前、お前何か言いかけてたよな?」


 食堂に来て、思い出した。己龍が「気になることがある」と俺に小声で話しかけてきていたのだ。

 己龍は気まずそうに目を逸らす。今更遠慮など必要なのか。何をそんなに言いにくそうにしているのか分からない。


「とりあえず、お前、姫子さんの死体から手を離した方がいいぞ?」

「え?」


 己龍が俺の後方に人差し指を向ける。振り返るとそこにはキッチンから出てきたところで立ち尽くしている十市さんがいた。

 そして、俺は自分の手元を見る。切断されているはずの足を確認しておいた方がいいだろうとスカートの端を掴んで持ち上げているところだった。


「コッ」


 声が意図せず裏返った。


「これは、違うんです、十市さんっ!」

「なにが違うんだよ! 死体だからって何をしても許されるってわけじゃねぇんだぞ!」

「本当に誤解なんです、信じてください! 己龍! お前からフォローしてくれよ!」

「いやぁ、俺は止めたんだけどな~」

「火に油を注ぐなっ!」

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