誰が人魚を殺したか


 死体をそのままにしておくわけにはいかないということで、耐性がなさそうな女性たちは全員、果林さんの部屋で待機してもらうことにして、俺たち男性陣は食堂の少し水槽から離れた位置で顔を突き合わせていた。


「ぼ、僕、検死なんてできませんってば!」


 源太さんにこの場に残ってもらったのは失敗だったのかもしれないと話し合いを開始して数秒で思った。医学部だから死体は慣れているだろうと思ったが「医学部だからって死体が大丈夫だと思わないでください⁉ 僕は外科医志望じゃないです!」と言われてしまった。


「十市さんはどう思います?」

「俺はただのジャーナリストだぜ? しかも、フリーの。よほどの奇跡じゃなきゃ、死体にお目にかかることなんてねぇよ。……つまり、死体を見たのは今回が初めてだ」


 ここに残ってもらったのは失敗だったのかもしれないと俺はまた思った。

 しかし、俺と己龍だけここに残ると言い出しても怪しいだろう。俺と己龍が組んで、何か証拠隠滅をしようとしていると思われるのも嫌だ。


「とりあえず、魚澤さんを呼びましょうよ。あの人、プロデューサーだし……姫子さんも主催者側の人間ですから……」


 源太の言葉に俺たちは賛成し、魚澤さんのことを探すことにした。俺たちと魚澤さん以外の人間は全員果林さんの部屋に集まっているのだから、証拠を消されるようなことはないだろう。

 その前に現場検証だけでもしておきたいが……。


「なぁ、その前に調べてもいいか?」


 己龍の言葉に十市さんと源太さんが目を丸くした。

 わざわざ調査したいと口に出すなんて、こいつは何を考えているんだと己龍を睨みつけると彼はウインクをしてきた。気持ち悪いから俺に対してそういうことをするなと言ってやりたい。


「調べるって……死体をですか?」

「素人が探偵の真似事をしたって何も分からねぇぞ」

「大丈夫大丈夫。この島には今、幽霊探偵と名高い人間がいるんだから!」


 目立ってどうするんだと思わず口を挟もうとすると、思いっきり足の甲を踏まれ、俺は思わず口を噤んだ。痛い。膝に続いて、足の甲なんて、今日は厄日だ。


「幽霊探偵……? え、僕でも知ってますけど、本当に?」

「俺も知ってるぜ。顔もメディアに出してなかったが、まさかお前がそうだったとはな」


 どうして、二人ともこんなところに探偵がいると簡単に信じてしまうのか。ていうか、本当に幽霊探偵と言われている人間は俺であって、己龍ではない。

 それでも、二人は己龍の方を見て、感心している。


「じゃあ、琉斗さんは助手か何かですか?」

「謎解きゲームが好きな知り合いだ」


 どうして、探偵を騙る時だけそんなに嘘がぽんぽんと出てくるのか分かったものじゃない。

 元々、こいつは幽霊探偵は自分だと名乗るために口上を準備しているのではないかと疑うレベルだ。


「俺ほどじゃないけど、こいつもまぁまぁ頭がいいからな」


 そう言って、己龍が肩を組んでくる。もういい加減にしてくれ。それよりも水槽の状況だ。細かいガラスが飛び散っている床。水を失った魚がいつの間にか、床で動かなくなっている。姫子さんの死体が見つかった後は慌ただしかったため、魚にまで気を遣っている暇がなかったのだ。


「だが、探偵が出る幕もなく、水槽に姫子さんを落とした人間なんて一人しかいないだろ?」


 俺が水槽の前に屈んでいると、十市さんが大きくため息をついた。

 姫子さんが水槽の中に落ちてきた時、俺たちは食堂にいた。

 死んだ姫子さんと、今どこにいるのか分からない魚澤さん以外は、全員この食堂にいたのだ。

 確かに、姫子さんを水槽に落とせる人間は一人しかいないのかもしれない。


「魚澤さんが犯人だって?」


 己龍が首を傾げる。手を切らないように冷たいガラスに触れる。ふと、顔をあげると、水槽の底に残った水に赤い色が混じっているのが見えた。

 どこからこの赤い色は出てきているのかと思って、視線で赤い色を辿ると、姫子さんの下半身に巻かれている赤い布に行きついた。


「……己龍」

「なんだ?」

「姫子さんの下半身から、たぶん、血が流れてる」

「……マジか」


 とりあえず、ビニール手袋はないかと十市さんと俺でキッチンからビニール手袋を持ち出し、四人全員、手にはめ、姫子さんを水槽から移動させることにした。

 彼女を床にそのまま置くのも忍びないので源太さんが慌てて、自分の部屋から持ってきたベッドのシーツの上にやっと彼女をのせる。


「見たくない奴は目を逸らしてろよ」


 己龍がそう言ってから姫子さんの下半身を覆っている赤い布を取り払う。

 姫子さんが今日履いていた白いスカートがその下にあるのを見て少しだけ安心したのもつかの間、スカートから足が出ていないことに気づいて、血の気が引いた。


 足が折り曲げられているのではない。

 スカートの上からでも膝までのふくらみはあるのが分かる。しかし、その下がない。隠す場所はない。明らかになくなっている。そして、彼女の白いスカートも、膝から下の部分が真っ赤に染まっているのがなによりの証拠だ。


 スカートの中の足を確認しようと言い出す人間は、誰一人いなかった。


「……魚澤さんに話を聞きに行こう。彼が犯人でなくとも、主催者側だし、スマホを返してもらわないと警察にも連絡ができない」


 俺の言葉に全員が頷いた。


 亡くなった彼女の下半身に赤い布をかけて食堂の端に寄せる。この死体をこのままにしてはおけないだろう。いや、死体を移動させたところで、誰ももうここで食事をしようなどとは思わないはずだ。


 俺たちは魚澤さんがいるはずの二階の彼の部屋を訪れることにした。

 もしかしたら、彼は姫子さんを殺したかもしれない。

 率先して、己龍が魚澤さんの滞在しているシーラカンスの部屋の扉をノックした。返事はない。


「魚澤さん、いますか!」


 部屋の中に聞こえる大きさの声を出しても、中から反応はない。しかし、ドアノブを回そうとしても、部屋の扉は開かない。部屋にはいないのか、それともいるけれど、反応しないだけなのかは分からない。


「開けないのなら、無理やり開けるぞ、魚澤!」


 舌打ちをした十市さんが扉に向かって怒鳴り声をあげる。今度は扉の向こうから反応が返ってきた。


「ほ、放っておいてくれ! 死にたくないんだ!」


 俺と己龍は思わず目を合わせた。

 死んだのは姫子さんだ。仮に魚澤さんが犯人だとして「死にたくないんだ」と言い出すのはどういうことなのか。


「はぁ? 篠崎さんが死んだんだぞ! アリバイがないのはあんただけだろ!」

「ひ、姫子さんがっ⁉ 次は絶対に私だ! 嫌だ、死にたくない! 死にたくない! 一人にしてくれ!」


 悲痛そうな叫びは決して演技には聞こえなかった。後ろから袖を引っ張られた感覚がして振り返ると源太さんと目が合う。


「気が動転しているみたいなので刺激するのは逆効果かもしれないですね」

「そうですね……十市さん、己龍。とりあえず彼のことを問い詰めるのは今はやめておこう」


 とりあえず、階段の前まで戻り、話を再開する。怖がっている魚澤さんの部屋の前で会話を続けるわけにもいかない。


「魚澤さんは犯人なのか怪しいよな。あんなに死にたくないって騒いでたし……」

「そんなもん、自分が人を殺したから、もしかしたら、自分も他人に殺されるかもしれないとでも思ってるんだろうよ。ここには警察もいないからな」


 人を殺したから自分が殺される。


 報復をされるにしても、ここに姫子さんの報復をしようと考える人間がいるだろうか。人殺しは罪を償うべきだと思う人は大半だろうが、殺してまで償わせようと考える人間は少数だ。

 自分が殺人を犯すほど、殺された人間のことを大切に思っている人間がいるのかだろうか。


 俺たちは、当選したからこの島にやってきた人間ばかりだ。柚葉さんは姫子さんたちと関わりがあったが、彼女は主催者側から絵を描いてほしいと言われただけだろう。依頼人にそこまで愛着があるとは思えない。


 だったら、いったい魚澤さんはいったい何に怯えているというのだ。


「そもそも姫子さんの死因はなんなんだ?」

「足を切ったことによる失血死とかでしょうか?」


 己龍の疑問に源太さんが答える。しかし、足を切られているのに、あんな穏やかな表情をして死ぬだろうか。


「とりあえず、魚澤をどうするか決めようぜ。バリケードでも作っておくか?」

「え、バリケードなんて作ったら、魚澤さんが出てこれなくなるじゃないですか。見張りとかは……」


 源太さんの言葉を十市さんが鼻で笑う。


「じゃあ、お前、魚澤の部屋の前でずっと立っておくっていうのか? やりたかったら、一人でやっていいんだぞ?」

「それは、嫌ですけど……」


 一日中、魚澤さんの扉の前で見張るなんて嫌に決まっている。


「それじゃあ、魚澤が出てこれないように閉じ込めるか」

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