人魚の絵
どうせ、一緒に食堂へ行くことになるのだと思い、俺は己龍の泊まっているウツボの部屋の扉をノックした。返事はない。試しにドアノブを回してみると、鍵がかかっていない。不用心にも程がある。
己龍はロボットだから、たいていのことは大丈夫だと高を括っているのかもしれない。ロボットでも機能が停止すれば、自分では動けなくなるんだから、危機感を持ってほしい。
俺がウツボの部屋に入っても反応はない。ベッドの上で横たわっている己龍を見て、ため息を吐く。
ここが謎解きゲームの会場で、俺たちは遊びに来ているからいいものを、こいつは殺人事件が起こるかもしれない場所でもこうなのだ。いい加減、殺されてもいいやと思って不用心になるのはやめてほしい。
「己龍。おい、己龍。聞こえてるんだろ」
「あ、ああ、今起きたわ」
どうやら、本体の方はすやすやと眠っていたらしい。しばらくロボットが動かなかったのを見るに、どうせ、本体の方が朝の支度をしているのだろう。
時刻は七時を少し過ぎている。もう朝食の時間だ。
時間ぴったりに行かなくても、弁当は昨日自分が座った席に用意されているらしいので急ぐ必要は全くないのだが、果林さんと朝食の後、ホールに集合しようと約束している手前、まったりとしてはいられない。
「さっさと支度を済ませろ」
「悪い悪い。昨日、そのままこっちで推理小説読んでたら、寝ちまってさ」
こっちでスマホを取り上げられているからこそ、あちらで娯楽を嗜んでいるのだろう。
「そういえば、入鹿島の都市伝説について、あっちで調べようとしていたの、すっかり忘れちまってた」
俺は思わずため息を吐く。
どうして、どいつもこいつもするなと言われていることを積極的にしようとするのか。訳が分からない。
「調べようとするなよ」
「俺はお前みたいに真面目じゃないからな」
「そんなことは重々承知してる」
もしかしたら、今夜にでも己龍の本体の方で都市伝説について調べるかもしれない。
「もし、調べても俺には教えなくてもいいからな」
「え、知りたくないのか?」
「カサゴ館でも調べることができるって言われてただろ。それに俺はネットで調べて分かるより、謎解きをしつつ都市伝説の内容を知ったりした方が数倍楽しい」
それもそうか、とようやく俺の意見を理解した己龍はさっさと着替える。ロボットだから、汗もかかない。着替えの必要はないのだが、そこは見栄えを優先して着替えるようにしているらしい。
そもそも、ロボットだから食べ物を食べる必要もないし、着替えの必要もないのに、こいつは人間らしい生活を心がける。トイレには行かないが。
「よし、オッケー。今日はなんの弁当だろうな」
「魚じゃないか?」
昨日はヒレカツ弁当だった。たぶん、おかずは昨日と違うだろう。朝食にヒレカツなど重たいものを出すとは思えない。
食堂には唯一まだ名前を知らない女性の参加者と源太さんがいた。しかし、源太さんは俺たちが食堂に入る時に、ちょうど食事を終え、出て行くところだった。
「あ、琉斗さん! おはようございます!」
「源太さん、おはようございます。謎の調子はどうですか?」
「昨日、夜遅くに資料館に行きましたよ」
その返事だけで彼が二ページ目の謎を解いたことが分かる。
「あ、でも、僕は今日神社には行かないつもりなんです」
「え? そうなんですか?」
「はい。昨日の夜、窓から見た砂浜をちょっと見たくって、ほら、デジカメも持ってきたんですよ。神社以外も回りつつ、謎解きをしようと思ったんです」
あと数日はこの島に滞在しているのだ。謎解きばかりに集中していなくてもいいだろう。
「それもそうですね」
「それじゃあ、早速行ってきますね!」
彼は元気よく手を振りながら食堂から出て行ってしまった。
席に向かった俺たちは 目の前のサラダチキンとご飯の組み合わせを見て、顔を見合わせた。
唯一名前を聞いていない女性がいるので、名前を尋ねたくなったが、どう聞いていいか分からず、貧乏ゆすりをしていると隣の己龍が先に女性に話しかけた。
「お姉さんは、なんて名前なの?」
「あら、私? 私の名前は
柔らかに微笑む柚葉さんは食事の手を止めて、己龍と俺を交互に見た。
「お二人の名前は果林ちゃんから聞いているわ。己龍くんに琉斗くんでしょう?」
果林さんはいつ俺たちのことを柚葉さんに話したのだろうか。昨日、ほとんど俺たちは果林さんと一緒に行動していたはずなのだが。
「昨日、ばったりシャワールームでばったり出会ったの」
俺の疑問を見透かしているかのように彼女はそう答えてくれた。
「なるほどねぇ」
「今日は、これから果林ちゃんと一緒に神社に行くのよね? 気を付けてね」
「柚葉さんは行かないんですか?」
俺の質問に彼女は首を横に振る。
「私は謎解きにはあまり積極的じゃないからね」
彼女はふと、食堂の壁にかかっている絵を指さした。金色の額縁に彩られた絵画には水底で岩に背を預けて、水面を見上げている人魚の後ろ姿があった。水彩画の優しいタッチで暗い水底から眩しい水面まで描かれている縦長の絵画だ。
「私が描いたんです」
思わず目を丸くして、絵画と柚葉さんを交互に見る。
「初めてのゲーム開催ということで、私は特別枠で今回のゲームに呼ばれたの。このカサゴ館に飾られているのは全て私の絵だから、気が向いたら、足を止めて見て行ってほしいわ」
「そうだったんですね」
「すごい綺麗な絵だなぁ。人魚ってことは、やっぱり、絵はこの入鹿島モチーフ?」
昨日、謎解きに使われていた巻物の説明にも〝人魚送り〟という名があった。もしかしたら、柚葉さんはゲームの主催側から明確に描いてほしい絵の内容を指定されたのかもしれない。
彼女はにこりと微笑むだけだった。
主催から絵の内容を指定されているということは、彼女は入鹿島の都市伝説や歴史、謎解きに関わる大切な要素を主催側から聞かされている可能性が高い。
だから、謎解きを頑張る必要がないのだ。
むしろ、内容を知っている彼女が積極的に謎解きを行えば、一人だけ先へ先へと謎を解いてしまう可能性がある。協力してもいいと言われている今回のゲームで、一人だけどんどんと謎を解くのは面白くないだろう。
「……分かりました。カサゴ館に飾られている絵を見かけたら、足を止めてみますね」
「嬉しいです。ありがとうございます」
彼女は微笑むとサラダキチンを食べ終わり、用意されたゴミ袋に弁当の箱を入れると食堂から出て行った。
まだ食事が残っている席は、昨日、果林さんが座っていた席、ノゾコさんが座っていた席、十市さんが座っていた席の三つだ。
「まだ果林さんが来てないなら、ホールじゃなくてここで待つか?」
「あ、悪い、琉斗。俺、調査ノート忘れたわ」
「はぁ?」
謎解きゲームをしているのに謎が書かれたノートを忘れる奴がいるか。しかし、彼は優雅にサラダチキンを食べ進めている。
食べる必要がないんだから、入鹿島調査ノートを取りに行けと殴りたい気持ちはあったが、彼は撲殺で機能が停止するロボットだ。どこまでが大丈夫なのか分からない。
ここで俺が彼を殴り、ロボットの機能が停止したら、己龍がロボットだと知らない参加者たちに俺はただの殺人犯だと思われてしまうだろう。
そんなことで謎解きができなくなるのは御免だ。
俺は震える拳を引っ込めて、サラダチキンを頬張った。
結局、己龍が「お前のノートあるんだから、俺の分は持ってこなくてもよくね?」とか言い出したせいで、俺はあいつの頭を殴りつけた。
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