資料館


 資料館にはすでに先客が二人いた。

 黒い鍵のケースの前で顎に手を当てたまま、微動だにせずに考えこんでいるノゾコさんの後ろ姿に果林さんが教えてくれたエピソードを思い出す。


「ノーゾーコーちゃん!」

「うひゃあ!」


 ぴょんぴょんと静かに六歩ほど跳んで、ノゾコさんの後ろにやってきた果林さんが彼女の肩を軽く二回ほど叩くとノゾコさんは高い悲鳴をあげて、目の前の鍵のケースに左半身を打ち付けながら、その場にへたりこんだ。


「え、えっと……ごめん」

「痛い……」


 なんとも言えない現場を見てしまった俺は目を逸らしたが、笑いを堪えきれなかった己龍が爆笑しながら「大丈夫?」と近づいて、尻餅をついたノゾコに手を差し伸べていた。


「まったくもう! 毎度毎度驚かせないでください! 心臓が縮み上がったじゃないですか!」

「ごめん、ノゾコちゃん! まさか、二回目も同じ手に引っかかるとは思ってなくて……!」

「引っかかる引っかからないじゃなくて、こういうことをするなって言ってるんですけど!」


 ノゾコさんは己龍の手を借り、立ち上がると烈火のごとく、果林さんのことを怒鳴りつけた。果林さんは「ごめんごめん!」と両手を合わせて、姿勢を低くして謝っている。

 きっと果林さんに悪気はなかったのだろう。


 驚いた拍子に黒い鍵のケースに体をぶつけたノゾコさんを思い出し、俺は思わず、自分の左腕をさすった。絶対にあれは痛い。ケースの角の部分ではないことが唯一の救いか。


 ふと、視線を逸らした先に、もう一つの先客がいた。


 彼は禁煙をしていると言いながら、火をつけていない煙草をずっと咥えていた参加者だ。


 彼の前には鍵がのせられた正方形の台とは違い、横に長いケースがあった。その中には巻物のようなものが入っているのが遠目からでも確認できる。

 資料館にある巻物に何が書かれているのか、気になって、俺は彼の視界にギリギリ入らないように少し離れた位置に立って巻物を覗き込んだ。


 読めない。

 目を細めても読めない。


「おい、坊主」

「俺は坊主じゃないです」


 思わず、顔をあげて、男性を睨みつけると彼はまだ火のついていない煙草を咥えていた。


「ここに訳した文章が書いてあるぞ」


 彼は広げられた巻物の正面に置かれている銀色のプレートを指さした。彼の身体に隠れて今まで銀のプレートがあることに気づかなかったとはいえ、巻物を見て、顔を顰める俺の表情は傍から見て面白かっただろう。


 ついつい恥ずかしくなる。


 いや、人前で高い悲鳴をあげて、尻餅をついたノゾコさんと比べると俺の羞恥心など猫の額ほどもないだろう。


「あ、ありがとうございます……」


 男性がどいてくれたので、俺は少しだけ銀のプレートの前に寄って、ガラスケースの中の巻物を覗き込んだ。

 銀のプレートに書かれている内容は思ったよりも簡素なものらしく、縦に六行ほど文章が並んでいた。



『数十年に一度、巫女を人魚とし、送り出す〝人魚送り〟または〝魚弔い〟を島民は行うべし。


 子供たちには、魂が足に宿るという伝承を親から伝え、人形を作らせ、その足を赤い糸で縫わせる。人形は人を、赤い糸は血管を、人形に詰める赤い綿は内臓を意味する。他の色の綿と糸は使ってはならない。


 子供たちは作った人形を本殿前の人形小屋へと納め、大人は夜に行われる〝人魚送り〟または〝魚弔い〟に参加すべし。


 〝人魚送り〟または〝魚弔い〟を行うことにより、島には次の〝人魚送り〟または〝魚弔い〟の時期まで魚などの海の恵みに困ることはないだろう。』



 この巻物がどこで見つかったのかなどは一切書かれておらず、銀のプレートには巻物の内容ともとれる文章のみが書かれていた。


「きな臭いよなぁ」


 頭の中で巻物の文章を反芻していると隣で男性が口から煙草を離し、携帯灰皿に押し込むとそうぼやいた。


「人形に赤い糸に赤い綿。しかも、糸を血管、綿を内臓と例えるなんて、ひとりかくれんぼに似てないか?」

「ああ、そういえば、ひとりかくれんぼは米を内臓に見立てて人形に入れて、糸でぬいぐるみを縫いますよね。米と赤い綿は違いますけど、糸を血管として見立てるのは同じですね」


 ひとりかくれんぼ。


 自分でぬいぐるみを用意して、腹の中から綿を取り除き、中身に米を入れる。そして、裂いた腹を糸で縫う。やり方は話ごとに変わってしまうが、真夜中、暗闇の中で、ぬいぐるみとかくれんぼをするのだ。


 見つかってしまったら、どうなるかは不明。


 そんなどこにでもありそうな都市伝説。


 わざわざ買ったぬいぐるみの腹を裂いてまで、やることがかくれんぼ。

 成功しても、ただかくれんぼが終わるだけ。


 そもそもどうして、そんなことをやろうと思ったのか。


「今回のゲームは都市伝説モチーフですから、同じような不気味な内容のものを持ってきたかもしれないですね」


 怖い話は苦手というわけではないが、好き好んで触れるようなものでもない。

 俺が笑いながら隣の男性を見ると彼は自分の髭を撫でた。


「単なる作り話でもないかもしれないぞ?」

「え?」


 俺の反応がお気に召したようで、彼はにやりと笑う。口寂しくなったようで、新しい煙草を一本、半分くしゃくしゃになった煙草の箱から取り出して、咥える。


「元々、この島には都市伝説があるっていう話だろう? だから、調べてきたんだが、この島では四十年前に」

「ちょっと待ってください」


 彼の話の続きは気になるが、俺はこれ以上、それを聞いてはいけない気がした。


「最初に送られたゲームの説明に、注意事項が書いてありましたよね? 都市伝説について調べないようにって」


 彼は肩を竦める。


「都市伝説のことは調べてねぇさ。俺が調べたのはこの入鹿島のことだ」


 彼が資料館の壁に広げられた黄ばんだ地図を指さした。

 マナティのような形をした島。

 マナティーの胸ヒレの部分が船着き場で、俺たちはマナティの腹の部分に今いる。


「俺だって、このゲームを楽しみたいからな」

「うーん……それはいいんですかね?」


 どうしても、ルールの抜け道を探っているようで悪いことをしている気分になる。


「一応、主催の魚澤にも聞いたぜ? 渋い顔をしていたが、調べてしまったものはしょうがないですねって」

「いや、それ、本当はいけなかったけど、知っちゃったからもう止める意味もないっていう感じじゃないですか」

「お前も俺の共犯にしてやる」

「聞きませんからね」

「島民が全員失踪したんだよ」

「は?」


 聞いてなるものかと耳を塞ごうと手を持ち上げたが遅かった。俺の耳に、聞いてはいけない言葉が届く。ルールを遵守しようとする俺よりも、ルールの抜け道を探って共犯を作ろうとする彼の方が一枚上手だったらしい。


 しかし、聞いてしまえば、忘れられない。


 それほど、インパクトのある言葉だった。


「島民が、全員失踪?」

「ああ。気になるだろ?」

「確かに気になりますけど……」


 それ以上を聞いてもいいのか。俺も彼と一緒にルールの抜け道へと片足どころか全身で飛び込んでいいものか。


 助けを求めるつもりで一通りのやり取りを終えたらしい己龍達の方を見てしまう。

 ノゾコさんはげっそりとして、肩を落としたまま、資料室の入口へ向かった。己龍と果林さんはこちらへ歩いてくる。


「……その続きはまた別の機会に」


 今は聞くべきではないだろうと判断して、首を横に振る。


「そうか」

「そういえば、お名前、まだでしたね」


 もう俺に用事などないと言わんばかりに背を向けた彼に声をかけると、彼は何も言わずにポケットの中から少し端の折れた名刺を取り出し、俺に手渡した。


 小野山おのやま十市といち。フリーのウェブライター。


 名刺から顔をあげると十市さんは資料館の扉を開けて、さっさと出て行ってしまったところだった。


「なんの話してたんだ?」

「この不気味な巻物の話だ」


 己龍が俺の手元を覗き込んできたから、名刺を渡してやろうとすると拒否するかのように彼は俺から離れて、広げられた巻物へと近づいた。


「んー? 不気味だとは思わないけどなぁ~。ていうか、文字、全然読めないんだけど!」

「達筆だなぁ……。これ、琉斗の字よりも読めねぇな」


 悪かったな、読めなくて。操っている人間がどうであれ、自動で補正されて綺麗な字が書けるロボットと一緒にするな。


 俺は手に持っていたクリアファイルから入鹿島調査ノートを取り出した。


 二ページ目の同じ意味の言葉を繋げる謎解きは解けたも同然だろう。

 ノートに挟んでおいた小さな鉛筆を手にとると、目敏くその行動を己龍に指摘される。


「謎、解けたのか?」

「これから解く」

「てことは、解き方が分かったのか?」

「まぁな」


 果林さんが「えぇ!」とずいぶんとオーバーに驚きながら、己龍と共に近づいてくる。己龍のいつものノリが二倍に増えたようで視界がうるさい。


「教えて教えて!」

「そのケースに入ってる巻物の説明を読んだら、二人にも解けるって」


 俺はまだ何も書いていないのにも関わらず、半ば反射で二人に入鹿島調査ノートを見せないように自分の胸に押し付けて隠す。

 ケチだケチだと言いながらも巻物のケースの前まで行き、銀のプレートを覗き込む辺り、二人とも素直なんだなと思いつつ、安心してノートのページを見る。


「カサゴ」「人魚」「子供」「海の神」「大人」「人形」「恵み」「足」「魚」「太陽」「島民」「入鹿」「赤い糸」「血管」「魂」「アナゴ」「巫女」「波」「サンゴ」「砂」


『同じ意味を繋げて、目的の場所を見つけよう!』


 その問題文の意味をそのまま受け止めて線を繋げれば、答えは分かるだろう。

 先ほど、銀のプレートに書かれていた巻物の説明。〝人魚送り〟または〝魚弔い〟の話。


「ああ、これ、もしかして、赤い糸は血管と同じ意味ってことじゃない?」

「じゃあ、巫女は人魚か?」


 展示されている巻物に謎を解くヒントがあると分かれば、この謎は簡単に解ける。

 まずは「巫女」と「人魚」を繋ぐ横棒を書き、次に「赤い糸」と「血管」を繋ぐ縦棒を書く。


 あとは「恵み」と「魚」を繋ぐ縦棒を加える。足に宿ると言っていた魂は同じ意味になるのか怪しかったが、「魂」と「足」を繋ぐ横棒を追加する。


 先程追加した「巫女」と「人魚」を繋げる横の棒よりも下にあり、少しだけ短い「魂」と「足」を繋いだ棒。


 この四本の線が答えに違いない。


 俺は出来上がった鳥居の形を確認して、入鹿島調査ノートを閉じた。


 少しして、果林さんと己龍も同じ答えに辿り着いたようで、果林さんは次の謎を確認するためにページを捲っていた。


「神社か~」

「どこにあるんだろうな」


 俺は資料館の奥へと進み、入鹿島のパノラマが入っているケースの前に立つ。


 入鹿島のほとんどは林だったが、マナティの顔部分に赤い小さな建物と鳥居のようなものがある。あれが神社に違いない。


 そして、マナティの尻尾側には家のようなものがいくつか点在している。島民が住んでいる場所と神社は逆の場所にあったのだろう。

 村と神社の間に建っているカサゴ館も、パノラマ上に存在していた。


「目的の場所を見つけようってことは、神社に明日行くってことでしょ? じゃあ、今日の行動は終わりってことでいいかな?」


 パノラマをじっと見ていると果林さんがそう提案してきた。

 どうせ、俺も己龍も他のゲーム参加者も明日の朝食が終わるまではカサゴ館から出ることはできない。


「そうしましょうか」

「じゃあ、解散っていうことで! 私はさくっとシャワーを浴びて寝ることにするわ!」


 シャワーについては夕食として弁当を配られる時に姫子さんから説明を受けた。

 シャワールームは食堂の一階の通路を挟んだ向かい側にあり、タオルなどは自由に使っていいらしく、ふかふかのタオルが荷物を置くための籠の中に置いてあったのを己龍が確認している。俺も早くシャワーを浴びたい。


「明日は朝食後にカサゴ館のホールに集合ね! それじゃ!」


 果林さんはこちらの言葉を聞く前に迅速に資料館から出て行ってしまった。


「ずいぶん、果林さんと仲良くなってるんだな」

「お前の方こそ、果林ちゃん以外の参加者と仲良くなってるじゃん」


 確かに仲良くはなっている。十市さんは仲良くなっているとはまた違うが。


「お前はシャワーを浴びに行くのか?」

「俺はいいや。汗かかねぇし」


 ロボットだもんな、と頭に浮かんだ言葉を言うのはやめておいた。どこで誰が聞いているのか分かったものではない。


 俺と己龍は、自分たちの部屋の前まで一緒に行動し、己龍はそのまま部屋へ、俺は着替え一式を持って、一階へと向かった。


 シャワールームは当たり前だが、男女で別れていた。

 運動部の合宿で見かけるシャワールームのように足元に隙間があり、誰かが入っているのは分かるような仕様になっている。


 今は誰も使っていないようだ。

 俺は一番手前のシャワーの個室に入った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る