第28話 Armistice(停戦)

「さ、コース料理だからね。魚料理ポワソンが無かったのは申し訳ないけど、まあ停戦前だったからってことで我慢してほしい。口直しソルベを出そうか」


 もう見慣れた黒子たちが皿を下げ、出されたのはアイスのかかった一切れのパウンドケーキ。


「苦手だったらクッキーやパンもあるよ」


 パウンドケーキが苦手とかあるのだろうか、と彦善は思ったが、そう言うものなのだろうと口は出さなかった。

 ともあれケーキにナイフを入れ、口に運べば、あっさりとした味わいで先ほどまでの肉料理の残り香が口から穏やかに消えていく。


「デザートも出しちゃおうか」


 そしてさらに黒子たちが並べたのは、カラフルなフルーツのゼリー。

 ジュレのように砕かれたそれはよく見るジュレより大粒に砕いてあったが、小さく深い皿に盛られたそれは照明を鮮やかに反射してクリスタルのように輝いていた。

 スプーンで掬い、口に含めば、もはや慣れてきた強烈かつハイレベルな味わいが脳を襲い、その素晴らしさを分からせる。


「……でも、良いんですか?」

「ん、なにがだい。あ、もしかしてマルスの子機だからって今すぐ何かされるかとか思ってた?」

「まぁ、はい」

「そりゃ……」

「……」


 夕映は言葉を続けようとしたが、ノヴァの方をちらりと見て言葉を止めた。

 機械なのに気を遣うのか……と夕映の理性が嘲笑うように囁いた気がしたが、


「ノヴァに罪はない……ってことですか?」


 そう彦善が言った瞬間、


「こいつ機械だろ」


 夕映が、衝動に身を任せてそう告げた。


「……機械、だと、やっぱり違うの?」


 するとノヴァが弱弱しく尋ね、しまったという顔で夕映えがそっちを見る。

 ノヴァの表情は髪に隠れて見えなかったが、


「要は、キミにプログラムされた命令にキミが逆らえるかどうかってことさ」


 助け舟を出すかのように、せきなが口をはさんだ。


「命令に……逆らう……?」

「ああ。それが出来ないのなら、例えば今からキミは命令一つでこの場の人間を皆殺しにするかもしれない。それはねえ、困るんだよ」

「……そんなこと、しないよ?」


 ふるふると首を振り、疑念を払おうとするノヴァ。

 まるで何かに怯えるようなその顔は、明らかに自信が無いことを示している。


「それは信用したいところだけどね、それはキミの意志だろう? それを捻じ曲げるかもしれない誰かさんのプログラムに、キミは抵抗できるのかいって話さ。気を悪くしたらゴメンね」

「それは……」


 ノヴァの表情は暗く、不信感が場を包んだ。

 表情を曇らせたノヴァが何かを言おうとして、


「不可能ですね」


 鉄のように確固とした、冷たい声が響いた。

 声の主は八咫で、その瞳はまっすぐにノヴァを射抜いている。


「『命令権』を行使された命令に、我々は逆らうことはできない。ノヴァ。貴方とて『子機』である以上、『親機』の命令に逆らえないことくらい、理解しているはず」

「っ……」

「キミから言うかね、それを」

「信用できない、と言うのなら、それは。私を準備し、あなた達に引き渡した『天照』様を信用するかしないかであって、私はその子機……端末でしかない。アリス。貴女は私を信用できない?」

「私は……正直、完全にはできない、けど……」

「それが当然。でも、貴女は……いえ、せきな様も含めて人間は全員、私達を信用しているはずがない。でもそれで問題ない。なぜなら、互いに利用価値があるから」

「利用、価値?」


 言葉を反芻するように、ノヴァが繰り返す。


「そう。信用ではなく、担保のある相互関係。。それこそが今、私たちが依って立つ理論。それが正しいからこそ私たちは今、こうして交渉の場に着いて、互いの最大利益を模索している」

「……いわゆるゲーム理論かい」

「それ」


 腕を組んだせきなに目を向けて、八咫が確固とした表情で告げる。

 その表情は先ほどまでの負い目にまみれたものとは違い、その正しさを確信したものだった。


「……ゲーム理論、かあ。そんなのがあるんだね」


 やり取りを聞きながら、砕いたゼリーを口に含む彦善。

 言葉や態度とは裏腹に、その瞳だけが静かに凪いでいる。


「知らねえのかよ」

「習ってないし……」

「……まあ数学で習うかどうかだからね。雑に言えば、互いが互いの最大利益を目指した時に発生する状況を数学的に考察する方法さ。……個人的には、あまり好きじゃないけどね」

「感情と言う電気信号に強く影響される人間はそう。我々とはそう言った面でも異なるけど、それを乗り越えて最大利益を追求するのが我々には可能なはず」

「……まーね」


 希望に満ちたことを述べているはずの八咫の言い回しは、あまりにも冷たい。しかしだからと言って否定もできない、無機質な理論だった。


「そして私は『天照』様の子機、そしてノヴァは『マルス』の子機。私にはマルスの意志は測りかねるけど、どちらを信用するかは……」

「キミらが僕らに何も言わずに彦善くんを殺しにかかろうとしなきゃ、信用の天秤はキミらに傾いてたんだろうけどねえ」

「……」


 皮肉たっぷりにせきなが言うと、ショートしたかのように八咫が黙る。

 そこへ誰かの手が上がって、全員の目が向いたのは、彦善に対してだった。


「……ご馳走様でした。とにかくこの話は、ノヴァとそこの八咫との決闘で済ませるってことで良いんですよね?」

「ああ、そうだね。食後のコーヒーを用意してるから飲んでいくと良いよ。それとも紅茶の方が好みかな?」

「コーヒーで、お願いします」

「わたしも」

「……ノヴァちゃんはどうするかね?」

「わ、私は……お兄ちゃんと、同じで」

「ふーん? 了解」


 かくして食事は終わり、残すは食後の一服だけとなった。


「で、決闘の様式なんだけど、結局のところ殴り合いかな?」


 話を振ったのはせきなで、その一言に全員の注目が集まる。


「そうするより他は無いでしょう。軽く説明しましたが、固有振動による一時的な破壊が、万能ナノマシンの何割かを越えたところで決着とすれば、疑似的に『決闘』を再現できます」


 応えたのは八咫の方のセバスチャンだった。


「なるほどね、殴り合って動けなくなったら負け、か。で、決闘はいつにしようかね? 明日は土曜日だけど……あまり都合がよくないんだよね。ねえアリスちゃん?」

「えっ……」

「誤魔化しちゃだめだよ、体調、悪いんだろ? せめて明日一日は休みなさい。急な長旅で疲れたんだろうねえ。時差ぼけかな?」

「そんな、せきな様、私は……」

「美味しいデザートをそんなに残しておいて何言ってんだい」


 驚いて彦善と夕映が目を向けると、確かに未だ八割近く、アリスの前のカップにはゼリーが残っている。言われてみれば顔色も悪く、目つきもはっきりしていない。


「ってなわけで悪いんだけど、明後日あさっての十八時、ここに集合ってことでどうだい?」

「……僕は構いませんけど」

「わたしも」

「私も……」

「うん、ありがと」


 にっこりとせきなが笑い、全員のカップが空になったころ、場はお開きとなった。

 黒子に案内されると外の駐車場には黒く長い高級車――リムジンが停まっており、促されるまま乗り込むと、


「駅前まででよろしいですか?」


 運転手の初老の男性が、そう言った。


「はい」


 答えつつ彦善たちは、自分たちの居場所がすぐにバレるのだろうと理解していた。しかし決闘を明後日に指定されたなら、その時まで手出ししてこないということを信じるしかない。それが、『互いの最大利益』だからだ。


「……ノヴァ」

「なあに?」


 混雑し始めた街の光の中を走るリムジンは道行く人の注目を集めながら、駅前へと向かっていく。


「僕は、キミのことを信じてるからさ」

「……最大利益、があるから?」

「それとは関係なく、僕を助けてくれたキミたちを、僕は信じてるよ」

「そう……なの?」

「うん。それは、夕映もだろ?」

「は? 待て、なんで私が……」

「夕映」

「ぅ……」


 彦善の目に見つめられ、赤面しながら顔をそらす夕映。しかしすぐに観念したように、


「っ……~~わーかったよ、ゲーム理論とかじゃなく、わたしもお前を信じたいし信じてるよ。これでいいだろ!」


 そう、叫んだ。


「なんで?」

「これでいいだろって言ったじゃん!」

「ノヴァ。覚えといて欲しいんだけどさ」

「?」

「――心から信じあうときって、理屈じゃないんだよ」

「理屈じゃ、ない……?」

「……まあ、分からないかもね」

「心、ですか。その個体が判断基準とする精神的志向ですね」


 そこから何かを考え込んでしまったノヴァの代わりを務めるように、セバスチャンが割って入る。


「……セバスチャン、お前には無いの? 心」

「私はセバスチャン、あくまでノヴァ様方へのサポートが仕事ですので、その有無を重視しませんね。しかし……ああ、なるほど、だからノヴァ様に……」

「?」

「……いえ、これは私が説明する権限を持ちませんので」


 かくしてリムジンは駅前に到着し、さらにいくらかの衆目を集めて、リムジンが去って行くと同時、それも霧散していった。


「……なんか、腹いっぱいだけど面白くねえな。ドラッグストアでいろいろ買って遊ぼうぜ!」

「賛成」

「どらっぐ……え? 知らない! 面白いところ? 行きたい!」


 かくして一日は終わり、楽しい夜が始まる。

 ――もちろんその裏で、蠢く陰謀が鳴りを潜めることはなかった。















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