第22話 Before Dinner(夕食前)

 地下室の整理を終えた彦善たちは、またタクシーで天星神社に向かっていた。

 一応用心して中腹で降り、少し歩きで夕方の坂道を登っていたが、


「彦善、おんぶ」

「早くね?」


 ものの数分で、夕映が音を上げた。

 仕方なくそのまま夕映を背負って、坂道を進む4名。

 夕暮れと呼ぶにはまだ明るい陽の下、口を開いたのは彦善だった。


「あのさ、ノヴァ」

「なあに?」

「僕の身体って、あと何日で治るんだ?」

「うーん、万能ナノマシンを抜くのは、明日以降かなぁ」

「……明日、か」


 背負われたまま、彦善の左肩を見る夕映。服越しとはいえ密着して尚、その左腕に一切の違和感は無い。


「……ごめんね、お兄ちゃん」

「え?」

「迷惑だったでしょ? こんなことに巻き込んで」

「え、いや……」


 迷惑。

 そう言われ、反射的に浮かんだ感覚は、否定だった。


「そんなことないよ、助けてくれなきゃ死んでたし……治してくれたんだろ?」

「うん……そうだけど、でも」

「なら気にしないし、気にしてないよ」

「そう……」


 先頭を歩くノヴァの顔は見えないが、そこで言葉は途切れた。

 すると彦善の背中から、


「ふーん……死にかけたんだぁ……」


 ねっとりと、絡みつくような声がした。

 ぎくりと彦善の身体が跳ねるが、耳元に口を寄せて、笑顔で夕映は言葉を続ける。


「昨夜はわたしと約束してたのになぁ〜、どこにも行かないって。それが早速そんな事になってるなんてなぁ〜……」

「ぐぇえ」


 腕が首に回るが、その声と指先がかすかに震えていた事を彦善は察する。

 そのことで彦善は、


(……これで、良かったんだよな)


 自分に言い聞かせるように、心中で呟いた。そして段々と締まっていく呼吸に彦善の足が止まり、タップしたところで無人の駐車場にたどり着く。

 夕焼けに染まる山かげの駐車場には誰もおらず、敷き詰められた白い砂利を踏む音だけが周囲に吸い込まれていくような、隔絶された世界。そこで自然と夕映が彦善の背中から降りて、周りを見回した。


「……なぁ彦善、なんかさ……変な事言うけど、ここって前からこんな風だったか……?」

「いや……」


 絶対に何かが違うと、断言できた。

 何が違うのかと問われれば『何か』としか捉えられない、そんな空気。


「……周囲に、不審な人・物品はありません。いわゆる『気のせい』では?」

「私もよくわかんない」


 きょとんとした様子で、ノヴァが言う。

 しかしそこへ、かこん、と音が一つした瞬間、全員の目がそちらへ向く。


「やぁいらっしゃい、早かったね」


 その姿を視覚が捉えて、その声が脳に届いた瞬間、全員が動きを止めた。


「初めまして」


 そこにいたのは、巫女服の女性。

 白衣びゃくえに緋袴という巫女としてはありふれた姿で、通話で聞いたときそのままの声で、ただ、挨拶しただけ。


 にもかかわらず、彼女以外の存在全てが、まるで肉食獣を目の前にした草食動物がそうするように、動きを再開できなかった。


「……と、言うべきところだけどねぇ。なぁんだ、キミもいたのかユエちゃん。何年ぶりだっけ?」

「え? 知り合い?」


 驚いた彦善が振り返ると、そこには青ざめた夕映がいた。

 彦善も他愛なく声を発したつもりだったが、自分の口が自然に動くことがまるで珍しいことかのように感じるほど、この場にはまるで意味の分からない緊張感が満ちている。


「覚えてない……でも、確かにこの人、わたし知ってる……」

「ほら、一昨年のキミのお兄さんの誕生会だよ。普段ならそこまでの義理はないんだけど、あの日はちょっとお腹が空いててね。ついでに会場のホテルは、フランス帰りのシェフがホテル就任初仕事だったから行ったのさ。覚えてないかなあ」

「あ……でも、あの時はそんな服じゃなかったし……」

「あっはは、そっかそっかそうだった。あの時は楽しかったねぇ」

「いえ、あ、はい……光栄、です」


 普段から傍若無人を絵に書いたような夕映すらも、すっかり大人しくなっていた。


「初めまして、迦具夜 彦善です」

「初めまして、倶利 せきなだよ」


 そこへ、彦善が声を挟む。

 名前を聞いただけで夕映が緊張するような存在だとは思い知ったが、震える足で引き下がる場合ではない。


「……貴女が、僕らと同じ契約者パラディウムですか?」

「いやそれがさ、実は違うんだよ。僕はあくまで横から引っ付いただけの協力者……ま、立ち話もなんだから、上で話さないかい?」


 ――現れて、笑顔で誘った。ただ、それだけ。


「……お手柔らかに」


 本当にただそれだけのやり取りで、彦善と夕映は、悟ってしまった。


「こちらこそだよ、よろしく」


 ――世の中には、絶対に勝てない存在があると、思い知ってしまったのだった。

 そして彦善たちは無言で、境内に向かう石段を登り、上がった先で、


「せきな様! ああ、こんなところに……勝手に抜け出されては困ります!」


 と、別の巫女さんに叱られていた。


「お硬いなあ、お客様が来たくせにキミ達が気づかないんだからしょうがないだろ?」

「えっ、あっ……」

「修業が足りないね」


 そしてそれを軽く流して、石畳の道のど真ん中を歩くせきな。

『神社における道の中央は空ける』という聞き覚えのあるルールを、目の前の、うっかりすれば彦善たちが同年代と間違えかねない存在が、堂々と歩いていく。


「ああ、僕はこうして真ん中を歩くタチだから気にしないでくれ。神に仕えてる間は神の前くらい胸張って歩けないとね」


 その言葉を真に受けるかはともかくとして、周りの巫女……明らかに先日までこの町にいなかった人々が、彼女に敬意を払いながら過ごしていた。


「セバスチャン、今のどういう意味?」

「この国の一部宗教的施設におけるルールです。逸話によりこの場にある道の中央を歩くことが不適格ですが、彼女にはそれが異なる理屈によって適用されない、という説明ですね」

「ふーん」

「おや、そっちのセバスチャンは説明が上手だね。後でキミと宗教的な雑談とかしてみたいなあ」

「宗教的……ですか。例えば?」


 満更でもなさそうに、セバスチャンが応じる。


「人生と宇宙と全ての答えとかさ」

「……少なくとも、42ではありませんね」

「あっははは、そうなんだ!」

「……彦善、分かるか?」

「いや全然……」


 どうやらお互い何かしらの共通認識で通じ合っているようだが、二人にはさっぱり分からなかった。


「さ、どうぞ。お菓子の家ってわけじゃないんだ、遠慮なく入りなよ」


 しかし話が面白かったのか、巫女服の女性――せきなは上機嫌に下駄を鳴らして、離れの小屋に彦善たちを招き入れる。

 傍目にはありふれた、見覚えすらある神社の離れの中は、いつも通り綺麗に掃除されて、見てわかるほどに空気は別のものだった。


「お邪魔します」


 そう言って玄関に入り靴を脱いで振り返ると、現れたのは黒子服の人間。

 男女すら判断しかねるその誰かは、無言で奥の部屋を示した。


「そちらの部屋で待っててもらえるかな」


 そう言ってスタスタとせきなは歩き去り、彦善たちが通されたのは畳敷きの、しかし黒塗りの椅子と机がある部屋。

 別の黒子が椅子を引いて促し、4名2列の彦善たちから見て手前側、一番奥の椅子から、ノヴァ、彦善、夕映、セバスチャンの順で座らされる。

 すぐに出されたお茶を誰も口にすることなく、ついにその時は来た。

 するりと襖が開いて、


「お待たせしたね、キミ達。こちらがウチのコたちだ」


 そう言われ、彦善が席から立つと両側の二人もそれに合わせて立ち上がる。


「初めまして、皆様」


 現れたのは、ゴスロリ服を着た、金髪ツインテールの少女。そしてそれに付き従う真珠のように白い髪色をしたアンドロイドと、黒色に光る、浮かぶ球体。


「この度は、正々堂々と――よろしくお願いいたします」


 そう、うやうやしく頭を下げた金髪ツインテールの彼女に対して、


「……いや、どの口が言ってんだよ」


 呆れた顔で、彦善が突っ込んだ。

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