第18話 Public enemy(公共の敵)
「え?」
彦善の眼の前に浮かぶ書類には、自分と、夕映の名前が書いてある。
そしてそれが音もなく消えて、
「それでは契約が成立しました。今この瞬間から……」
「待っ、夕映、お前……!」
「悪いかよ」
2つの契約が、成立してしまった。
「下手すりゃ死ぬんだぞ!?」
「バカ、よく考えろ! こうしないと、お前が私の家に来られないだろ!?」
「え……えぇ?」
真正面から反論され、彦善はたじろぐ。
そこにあったのはいつもの泥のような甘い熱ではなく、冷たい理性だった。
「さっきの話、聞いてないのか? 学校で大暴れする奴が相手なんだから、安全地帯は多い方が良いだろ」
「だからって……」
「じゃあお前、わたしん家に来ないつもりか? 一軒家でパソコンも食料もたくさん、人目にもつかないあの場所に?」
堂々と言葉を続ける夕映。しかしその真意を察しかねて、彦善が弱々しく反論する。
「だったらここも……」
「へっ」
「笑われた!?」
「わたしがお前の敵なら、明日にでもこのマンションごと買い取るね。それで出てきたところをぶっ殺してやる」
「あ……」
あんぐりと口を開けて、彦善は呆けた。
言われてみればその通りで、借り物のマンションの一室など、まるで安心できない拠点なのだった。
「ったく、自分のことになるとお前はさぁ……で? 賢いわたしに言いたいことは?」
「申し訳ありませんでした、お世話になります」
「よろしい」
「話はまとまったようですね。それでは改めまして、契約成立です」
どこか上機嫌そうな声色で、セバスチャンがふわふわと浮かびながら言う。
「あ、それは良いんだけどさ」
「はい?」
「ノヴァって誰のアンドロイドなの?」
「誰の……と、言いますと?」
「なんて言うのかな、ノヴァや敵がアークの子供……子供? なんだろ?」
「なるほど、立場的な呼称ですか。アークの皆様は『親機』、ノヴァ様のような【spectaculum】に属する皆様はその『子機』にあたりますが……確かに『親と子供』の関係性と同一性は強いですね。そのままそうお呼びください」
「じゃあ改めて、ノヴァってどのアークの子供? 京都の『
「沖縄の、『ニライカナイ』じゃねぇの?」
「あ、それもあるか。あとは……」
「いえ、北海道の『オキクルミ』様でもありませんね。というより、日本の方ではありません」
「……え?」
日本じゃない。
じゃあどこだ、と尋ねるより早く、
「ノヴァ様は、あの『マルス』様の子機ですよ」
最悪の、答えが返った。
――そして、これと同時間帯。
彦善たちは――否、彦善たち以外も誰一人として知る由もなかったが、複雑に絡み合った今日この日の運命は、『複雑な奇跡』を起こしていた。
少し時間は戻って、とあるパトカーの中のこと。
「こちら3号車、これから天星高校へ向かうところです、どうぞ」
「了解。そちらの駐車予定場所を連絡願う」
「駐車……? 高校北側の公園に駐車予定、どうぞ」
「了解。到着次第、改めて連絡する」
「? 了解」
警察無線の通信が切れ、刑事・
「ヤマさん、どういう事ッスかね?」
「さぁ……なんかおかしいな。駐車場所なんて聞かれたの、初めてだぞ」
ヤマさんと呼ばれた助手席の刑事・
「……ッスよね」
「よくわからんな、近隣になんか言われたとかか?」
「あーなるほど、たぶんそれッス」
車内には、まさに刑事といった格好の男性が二人。片方はグレーのスーツの若い男性で、もう一人は黒いスーツにトレンチコートの中年男性だった。
つまり彼らは、彦善を襲撃したアンドロイドと全く同じ外見。しかし彼らは、自分達の姿が利用されたことも、ましてや高校での爆発事件も、この時まるで知らなかった。
彼らからしてみれば、上司の指示で『学校に現れた不良を通報した』少年に事情を聞くよう言われ、こうして高校に向かっていた……のだが、
突然後部タイヤの両方がパンクしたことにより、大通りの脇にあったタイヤショップで修理するハメになり、そこからようやく向かうところだったのだ。
しかも修理を依頼して車を離れたタイミングだったため、爆発事件の無線も二人は耳にしていない。
「ったく、まさか一気に2つのタイヤが破裂するとはな」
「事故らなくて良かったッスよ」
「本当だよ、お前の言葉遣いはクソだが運転は上手……ん?」
やれやれといった様子で、公園の駐車場に入るパトカー。しかしその後ろにぴったりと、一台の車がついた。
「……何してんだ?」
「あれ、ウチの覆面ッスよね」
「だよな、停めるぞ」
それはよく知る天星署の覆面パトカーで、まるで犯人を停車させる時のような動きを訝しんだ二人は早々に車を停める。
すると停めたパトカーを囲うように、先に来ていた覆面パトカーが周りを塞いだ。
「はぁあ!?」
「何してんスか!?」
思わず両手を上げ、パトカーから出る2人。
「動くな! ……って、サバとヤマさん!?」
すると、覆面パトカーを盾にしたよく知る仲間たちが銃を向けつつ、何故か驚いていた。
「お前ら何なんだ!? 下らない冗談ならぶん殴るぞ!」
「何なんッスか!?」
「と、とにかく二人とも手帳を出してください!」
「手帳!? ほら、これで良いのか?」
「持ってますけど!」
それを双眼鏡で確認するのも、同じ課の仲間だ。意味が分からず、警官が刑事に銃を向ける異常な光景が展開する。
「……本物です!」
「ヤマさん! ヤマさんのお孫さんって何人ですか?」
「はぁ!? 2人だよ! ヒナとサクナ!」
「サバ! お前この前マッチングアプリ登録しただろ!?」
「し、したけど何なんッスか!?」
「間違いありません、本人です!」
その言葉に銃を下ろし、一人の制服の警官が近づく。
「……一体どうした」
真剣な様子で、山坂が聞く。
「ヤマさん、見てくださいコレ……天星高校の、監視カメラ画像です」
「ん?」
「なっ……」
タブレットから浮き上がった画像に、2人は絶句する。
「どう見ても貴方たちですよね。それと、
さっきあった天星高校の爆発事件を知ってますか?」
「いや……もしかして、俺たちがタイヤショップにいたときか?」
「ええ。ですがその直前に、タイヤショップからの連絡と、学校からの連絡がほぼ同時にあったんです。『あなた達が来ている』って内容のものがね」
「……意味が、わからん」
「何が起きてるんスか……?」
「俺たちも何がなんだか……とにかく、署に行きましょう。今朝のピースメイカーの件と言い、明らかに何か起きてますよ」
「……」
刑事たちの勘が、警鐘を鳴らす。
そしてこの時起きた混乱によって彦善たちへ及ぶ捜査の手がわずかに遅れたのは、この後に別の影響を生んだのだった。
――それと言うのも、さらにその同時刻、天星神社の詰所の一室。
「あ〜気持ちいい……」
「あの、トモトギ様……」
「名前で良いってば」
「せ、セキナ様……一体これは?」
「だから身を清めるって言ったじゃないか、エンリョせず身を任せなさいって」
「はぁ……」
詰所の脇の、住み込みの巫女が使う風呂場の隣にあった、小さな小屋。
そこは、照明や穏やかなBGMまで用意された、エステルームだった。
アリスと
「せきな様、私は
困惑したように八咫は言うが、
「そう水臭いこと言わないでくれよ、人間を模してるんだし、人間のマネくらい良いじゃないか」
うつ伏せのまま、せきなが促す。
「……これ以上の善意の否定は、非推奨……参加します」
「うんうん、いい判断だよ。ほらアリスちゃんも緊張しないでさ、長旅でまだまだ疲れてるだろう?」
「は、はい、ありがとう、ございます」
もとより短髪の八咫はともかく、髪を下ろしたせきなとアリスの外見は、よりリラックスしたイメージが強い。
理論的に言えばこのマッサージがアリスのパフォーマンスを上げることは異論の余地がないため、こうまで用意されては従わざるを得ない八咫とアリス。
しかし当然、ただのマッサージなどではなく……
――ピルケースの中身は脱法薬物 副作用の弱い類似品にすり替え 入手方法は不明
もみほぐしに見せかけたエステティシャンの暗号が、せきなに伝えられていた。
(ちっ、久々に巫女の仕事をしたらこれだよ。僕を舐めやがってあのクソ野郎)
内心の憤りで、せきなの顔がこわばる。
裏の顔を持つ巫女の彼女だったが、アリスのピルケースを見た瞬間、即座にこのマッサージを手配していた。
この国の『裏』を少なからず知るせきなではあったが、それでも彼女は、薬に取り憑かれた少女を闘いに放り込んで平然と出来る人間ではない。
「せきな様、お顔の表情筋が凝ってますね」
「あ、そうかい? 久々だからかなぁ、そちらの2人にも念入りに頼むね」
「かしこまりました」
その目つきは、警戒と優しさの入り混じった複雑なもの。
(胡散臭いアンドロイドに、薬の味を覚えさせられた女の子、か)
イラつきで浮かぶシワをなだめるように、手配した部下がマッサージを施す。
(闘いってのはどこも変わらないね……)
こうして彼女たちが『未契約』のまま、せきなの善意と正義感がもたらした猶予期間。
それがこの後の闘いを大きく左右したことを、まだ誰も知る由もなかった。
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