第19話 Deferment(猶予)
彦善たちに生まれた、偶然の猶予期間。
しかしながらそれを知りようがない彼らは、『ノヴァがマルスの子機である』という情報を知っても、それ以上深掘りしようとはしなかった。
「へーそうなんだ。なぁ彦善、こんなところにいても危ないしさ、そろそろわたしん家行こうぜ」
「そ、そうだな。もう少し話もしたいけど危ないし」
冷や汗をかきながら、荷物をまとめる2人。2人は30年前のマルス襲来を直に見たいわゆる『直撃世代』では無いにしろ、『マルスの子機(≒仲間)と契約して闘う』という行為がいかに反社会的か、という程度の常識は理解していた。
ここまでピースメイカーや刑事に化けたアンドロイドに襲われていたのが『敵が警察を操るか、警察を利用しているのかも』くらいの認識だったのがぐるりと切り替わって、『ノヴァという人類の敵を駆逐しようとする行為』にすら見える2人。
もしも敵が学校を破壊し、事務の三宅さんに銃口を向けていなければ、今から警察署に向かうことすら考えたかもしれなかった。
「お姉ちゃんの家かあ、楽しみ!」
「ここより安全、ということであれば強く推奨いたします」
とはいえもう、この話からは降りられない。かくして夕映がタクシーを呼んで、4名は何事もなく商店街前に着いたのだった。
「電子マネーでお願いします」
「はい、ありがとうございました」
夕映のスマホから電子マネーで支払いが終わり、傍目には3名、実際には4名が車から降りる。
「夕映、お金……」
そう言って彦善がサイフを開くと、
「良いよ別に。ってか今の、『例の小遣い』から出したし」
と、夕映が断る。
「アレは別に僕のお金じゃ……」
「ウチのバカ親が渡してる金だろうと、お前に渡してんならお前の金だよ」
「……好きじゃないんだよ、あのお金。夕映が管理しててくれると……」
「んなこた分かってるけどさ、使えるもんは使おうぜ。金に罪はないし、状況が状況なんだから」
「……ん」
「にひひ」
笑う夕映とは対象的に、しぶしぶ、と言った様子で彦善がサイフをポケットにしまう。
「ねぇお兄ちゃん、今のやり取り、どういう意味?」
「いや……」
ノヴァが尋ねたが、彦善は口ごもった。
「今払った金は、ウチの親が毎月コイツに渡してる金なんだよ、半ば無理矢理な」
「へー、お金って無理矢理渡すの?」
「知らねぇけど、普通は無理矢理渡さないかな。なぁ彦善」
「ん……だろうね」
尋ねる夕映から、彦善はさらに目をそらした。
「?」
「『友達料』ってやつさ、わたしが……」
「夕映」
「分かってるよ。そんなのの為にお前が頑張ってるわけじゃないもんな」
満足げな笑みを浮かべて彦善の腕にしがみつく夕映が、彦善の顔を見上げてさらに笑みを濃くした。
「……」
「ふーん?」
セバスチャンは無言で、ノヴァは首を傾げながら、それ以上何も言わないまま、人通りもまばらな商店街を進んだ。
「ねぇ、アレ何!?」
「はちみつ抹茶ソフト?」
そんな中、コンビニの店先に立つのぼりを見たノヴァが顔を輝かせる。
「ソフトと言うことは、あの螺旋状のものを外付けしてインストールするのでしょう。有料のようですが、かなり安価ですね。期間限定のようです」
「違うって。……いや、合ってはいるのか? まぁいいや、ちょっと待ってて」
そう言って彦善はコンビニに入り、はちみつ抹茶ソフトを2つ手にして戻ってくる。
「インストールするのですか?」
「食べるんだよ。溶けるから早めにね」
「溶ける……食料だと理解はしましたが、融点が低すぎるのでは? なぜこのような……」
よく分かってないセバスチャンに呆れながら、夕映はすでに口をつけていた。
「いいから食……ってかお前、食えるの?」
「エネルギーへの変換は可能です」
「いただきまーす」
「あ」
ぱくん、と、一口で消えたはちみつ抹茶ソフト。冷たさに一切怯まない様子に驚きつつも、3名は言葉を失った。
「んー、あまーい。……んぐ」
「ノヴァ様?」
「どうしたのセバスチャン」
「いえ、何も」
その様子を見ていた彦善と夕映が目を合わせ、小さくため息をついた夕映がスプーンで一口掬う。
「ほらセバスチャン、食えるか?」
「ありがとうございま……い、いえ、遠慮させて頂きま……」
「なーに遠慮してんだよ、食えるんなら食えって」
「……感謝します」
光るセバスチャンがスプーンに近づくと、抹茶ソフトが消えた。
「旨いか?」
「はい、とても」
「そっか。ほらお前も食え、彦善!」
「わぶぶ」
そんなやり取りをしながら夕映の家の前にたどり着いた4名。
「……?」
しかしその扉を開く前に、
「彦善」
夕映が、言った。
「後ろで、上だ」
「……気づかなかった」
「しょうがねぇよ……でも死ね!」
放り投げられたのは、傘立てにあった雨傘。回転するそれが当たったのは、彼らの後ろ、山肌にかかる落石防止ネットの中腹にいた――人影だった。
「ぐえっ!」
声とともに落下したのは、スーツ姿の男性。数メートルの高さを背中から思い切りアスファルトに落下したその男は、顔を忍者のように覆面で隠した不審人物。
「おー痛……妹よ! お兄ちゃんになんてことを!」
「うっせ黙れ変態クソ兄貴!」
色黒の肌をした、長身の成人男性。
立ち上がって覆面を取り、ホコリをはたく彼は、傍目には輝かしいほどの美貌を持ったスーツの男性だが、
「変態? それは他人に欲情する連中を指す言葉だ。俺はこうして妹だけを
実のところ、何故かスーツの前を堂々とおっ広げて家族愛を語るド変人だった。
「お久しぶりです、
「おっすヒコヨシくん、元気してる? 病気とかしてない?」
「五体満足ですね」
「そりゃ何より」
ちなみに名前はあだ名でもなんでもなく、瓜山 向日葵である。
名前に恥じない陽気なお兄さんだろ? と、初対面で言われたのを彦善は覚えていたが、変人に見えて瓜山財閥傘下の企業をいくつか仕切る代表取締役である。
たまに雑誌からのインタビューを受ければ、漏れなくその端麗な姿が表紙を飾っていたのを彦善は思い出していた。
「……何しに来たんだよ」
「お兄ちゃんが妹のところに来て、なにか悪いか? お前の学校が吹っ飛んだとか言うからお兄ちゃん心配したぞ」
「クソ親父やあの人たちの差し金か?」
「バカな。お兄ちゃんはあんな連中に1回言われる前に100回来るタイプだぞ」
せっせとスーツを整えて、髪に櫛を入れながら向日葵は答える。
「それは知ってるけど……わたしの様子を見に来たんならもう良いじゃん、帰ってくれよ」
「すごく残念だがそうする。お兄ちゃんはヒコヨシ君と違ってお前の部屋に入れて貰えないからな、辛いぜ……ん? おっとすまない、妹だけを見ていた。キミとは初めましてだな、世界で2番目に美しいお嬢さん。向日葵です」
ノヴァを見つけ、うやうやしく頭を下げる向日葵だったが、奇行めいて見えるのは発言のせいだろう。
ちなみに今のノヴァの服装は適当にネットの画像を真似させた一般的な女子の私服なので、
「ノヴァです。2番目ですか?」
「世界一は夕映だからな。キミは外国人なのかな? どうやら自分に自信があるタイプらしいね。嫌いじゃないぞ」
「……?」
「クソ兄貴! キライになるぞ!」
「わかったわかった、それだけは勘弁だな。アディオス」
そう言って、向日葵は背を向ける。
こうして家の前でだけ言葉を交わすのは珍しくないが、実のところ彦善はよく心が折れないなあ、と感心している。
「あ、そうそう。これはいつも言ってることだが……」
珍しく去り際に顔を見せないまま、向日葵は言った。
「……お前は好きに生きれば良いが、何かあったら好きなだけお兄ちゃんを頼れよ。俺には金も愛も腐るほどあるからな」
「わかってるよ……心配してくれて、ありがと」
「ふふふ、じゃあな……あ、それと」
「まだなんかあるのかよ」
「こっちの先って大通りに出れたっけ?」
「引き返せば良いだろ」
「いや、この雰囲気でそっちに引き返すのも格好悪いから……」
「帰れ!」
そうしてこちらに振り返り、サングラスをかけ、すごすごと彦善たちの前を通り過ぎる向日葵だったが、
「――」
すれ違うほんの一瞬だけ、その鋭い眼光がノヴァの視線と重なったのを、彦善と夕映は見逃さなかった。
「またな」
「ん」
「それと彦善くん、『キライになるぞ』って『今は大好き』って解釈しても……」
「帰れっつってんだよ!」
「わははは、じゃーな!」
そうして、歩き去っていく男性を見送る4名。
「……あの人って、夕映お姉ちゃんのお兄さん?」
「まーな。一応血は繋がってないけど、それを意識したくない」
「変わってるけど良い人じゃん、変わってるけど」
2割程度の社交辞令で、彦善は言う。実際に、あれで悪い人間ではないのだ。
「最悪だよ。てかお前だって初対面の時はヒサンだったじゃん。あのときのこと、たまに気にしてるぞ」
「別に僕は気にしてないけどなあ……」
「独特な言語感覚のようですね」
「そっちは忘れろ」
かくして、4名は改めて家に入り、鍵をかけたのだった。
――一方で、それを見届けた向日葵が商店街に出たタイミングでスマホが鳴り、
「……なんだよ親父」
不機嫌そうに、即座に電話に出た。
「あー見てきたよ……言われなくても見に行ったけどな! ああ、別に今まで通り特に何も……は? 商談?」
そう言った瞬間、向日葵の前に二人の人間が立つ。
「……クソ、そう言うことか」
苛立ちを声に込めて、通話を切る。
商談相手を前にして、自然と向日葵の顔つきが変わった。
「
「
握手を交わす前に向日葵はサングラスを外すが、その目に笑みは無い。ビジネス的な笑顔すらも。
「
時刻は昼過ぎ、昼食には遅すぎる時間帯。にも関わらずそう誘われた事実を踏まえて、向日葵の心にはクソオヤジ、の五文字が浮かんだ。自分が昼飯よりも、妹と会う時間を優先するのはバレていたらしい。
「……
そう応じた向日葵と、『その二人』は連れ立って歩く。
「えっ、ねぇアレ……」
「例の動画のシスターの人じゃない?」
「隣の人ってボディーガード?」
「違うわよ、あの色黒の人、向日葵社長よ、瓜山財閥の!」
周りの声を気にしないフリをしながら並んで歩けば、商店街の出口には大きな黒塗りの国産車。
「今日はいい天気ですね、Mr.瓜山……いえ、瓜山様」
「どうも。動画拝見しましたが、日本語お上手ですね」
日本語で構わないことを言外に示され、向日葵もそれに応える。
「ふふ、すごく沢山言われました」
笑う女性は、向日葵と並ぶほどに背の高い、修道服のシスター。
「では向かいましょうか」
「よろしくお願いします、マルコ・ニュートさん」
車の扉が開いて、後部座席に正しい順序で全員乗り込む。
走り去った国産車は、ビル街に向かって大通りを進んで行った。
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