第14話 Introduction(説明)

 そこは、ありふれたマンションの一室だった。


「で……話を、聞かせてもらえるんだよな?」


 彦善にとっては見慣れた自宅キッチンの椅子に座るのは、アンドロイドの少女と、さっきまでカラスだった光の球。

 律儀にカップを用意したところで、


「……コーヒー、飲んだりする?」


 と、彦善が尋ねると、


「『コーヒー』!? 飲みたい!」


 少女がガタン、と椅子から立ち上がるほどの食いつきを見せた。


「……ちょっと待っててな」

「うん!」


 ゴリゴリと音を立てて豆を挽き、正しい手順でサイフォンを操作して、しばらくすると部屋に香ばしい香りが満ちる。


「私は砂糖と……出来れば牛乳を一滴、先にお願いいたします」

「あっはい」


 お前が拘るのかよ、と内心思ったが、彦善は口に出さなかった。

 言われた通り先にカップに一滴注いだ牛乳の上から注がれたコーヒーと、そのまま何も入れないコーヒーと、角砂糖を5個入れたコーヒーがテーブルに並ぶ。


「いただきます!」


 大きな声でそう言ったアンドロイドの少女がそのまま一口飲んで、


「にっが……」


 赤い舌を出した。

 苦いというより、まず冷まさないと飲めない温度のはずだが、やはり彼女が人間ではないということだけは伝わってくる。

 そして光の珠は、空中に浮いたままひょろりとした触手を伸ばしてコーヒーを吸い上げていた。


「無作法をお許し下さい」

「いや……その……身体? なら仕方ないと思うよ、うん」


 言いつつ、彦善はいつも通りの味のコーヒーに口をつけた。が、その手はわずかに震えている。


「それで……話を聞かせてくれないかな」

「まずはどこから……いえ、何から話しましょうか」

「あ、キミが話すの?」

「はい、しかしお望みなら、ノヴァ様からの説明は可能です」

「ぷはー、お代わりください」


 言われて彦善は少女を見るが、話をするには光の球の方が的確そうだった。


「……いや、キミに頼むわ。あとおかわりね、はい」

「今度はセバスチャンと同じで!」

「セバスチャン?」

「私です」

「へー……」


 光の球は、そう言う名前らしい。

 アンドロイドの名前はノヴァで、光の球はセバスチャン……どうにもと、コーヒーを淹れながら彦善は思う。


「ありがとうお兄ちゃん。今度はゆっくり飲むね」

「どーも」


 そうして、ようやく本題。


「まずじゃあ……キミたちは何者か、ってことからかな」

「答えましょう。まずこちらが、ノヴァ様。私の仕える主にあたる方です」

「主……ってことはキミは執事?」


なんたってセバスチャンだし、と内心で彦善は呟く。


「その認識でも構いませんが、さらに齟齬を無くすために、『従者』とでも思って頂ければ結構です。私はノヴァ様に仕える、疑似人格AI。セバスチャンと申します。改めまして、宜しくお願い致します」

「……宜しく」


 何を『宜しく』すれば良いのかはまだまるで分からないが、今はそれより先に聞くべきことが山ほどあった。


「君が従者として、じゃあキミのご主人様は……何なんだ? 少なくともアンドロイドで、僕を助けてくれたってのは思い出したけど、まさかそれが僕の左腕になってくれるとは思わなかった」


 言いながら、彦善の脳内では腕に化け物が取り憑いた有名なマンガのイメージが展開していた。まぁあれは右だったが。

 今、目の前でコーヒーに口をつけるのは化け物ではなく人形のように美しい少女だが、それが左腕になれるとなれば、今見ているこの形も仮のものでしかない。


「お答えしましょう。彼女は【万能ナノマシン統合人格】、『spectaculumスペクタクルム』に属する人格番号00001ファースト、個体名【NOVA】です」

「すぺくた……何?」

「組織名……とでも表すべきでしょうか。

spectaculumスペクタクルム』とは、彼女たち【万能ナノマシン統合人格】を闘わせ、覇を競う『組織』、あるいは『集団』です」


 闘わせ、覇を競う。

 その言葉に、彦善は表情を曇らせた。


「じゃあ、君たちは誰かに闘わされてる……ってこと?」

「そうかもだけど、そう思ってはいないかな」

「?」


 口を開いたのは、ノヴァだった。


「例えばお兄ちゃんは、学校に通ってるでしょ? 。学校に通わなかったら生命活動が停止するわけじゃないけど、殆どの同年代がそうしてるから、

 学校に通わないって選択肢はあっても、選ぶ気にならなかったでしょ? でもそれを、『学校に通わされている』って言ったりする?」

「……なるほど」


 理屈は理解したが、学校に通わなくとも死ぬわけじゃない。だからこそ自分達は抵抗なく高校へ進学したわけだが、彼女たちが言う『闘い』は明らかに生命のやり取りだ――という彦善の疑念は、さらに言葉を続けさせた。


「でもさ、闘わなかったら……どうなるの?」

「何かが起こるわけじゃないよ。直接的にはね。でも闘わないことを選んだところで、周りのみんなは闘ってるんだもん。じゃあ私も、自分の身を守る為に闘わないと……でしょ?」

「……なるほど、そうなるのか」


 確かに、話だけを聞いてみれば、自分たちが高校に通うのと変わらない。

 周りがそうしてるし、そうしないと困るから自分たちが自然と高校へ進学するように、彼女たちは闘いに身を投じている。


 ――だが、問題はその闘いの内容だ。


 彼女たちがいっそ勝手に闘って――それこそマンガやゲームのように、どこかの地下格闘技場あたりで死闘を繰り広げてくれるのなら、それで勝手に話は終わる。好きに闘ってくれれば良いし、何ならエンタメとして見てみたい人間もいるだろう。

 しかし彼女らは、自分や、明らかに無関係の他人を、巻き込んでいる。


 彦善にはそれを許せないという気持ちも無くはないが、それ以上にシンプルな感想として、『何故そんなことをするのか』という気持ちの方が強い。


「……僕は助けてもらったわけだから強く言えないけど、だからって学校や警察……っていうか、周りを巻き込まなくても良いんじゃないの?」

「……どゆこと?」

「だから例えばさ、闘いのルールを決めるなりして、周りに被害が出ないようにするとか……」

「……無理じゃないけど、難しいかな」


 コーヒーの入ったカップから口を離して、ノヴァは自嘲するような笑みを浮かべた。


「理由があるの?」

「だって、悪いことでもないでしょ?」

「……ん?」

「極端な話、私たちが人を殺そうが、街を破壊しようが……それって、私たちからしたら『どうでも良い』ことなんだよね」

「は?」

「怒らないでよ。私はこうしてお兄ちゃんのしてるつもりだけど、『今回の私の敵』はそんな事は全然気にしない性格ってこと。学校でのこと考えたら分かるでしょ?」

「……ああ」


 あの刑事だった何かの行動は、基本的に人間の都合を気にしていなかった。が、そう考えると逆に目立つ行動がある。


「……でもさ、その割には一回人間のフリして現れたよね」

「?」

「いやだから、人間こっちの都合を気にしないなら、そんな回りくどいことしなくてもさ……」

「学校を襲いに来た方が早い?」

「そう思うけど」

「確かにそうかもね。だけどそれは……うーん、なんて言おう」

「不可能ではないけれど、非効率、とお答えしましょう」

「非効率?」

「はい」


 再びセバスチャンに、会話のバトンが渡る。


「例えば今日、もっと直接的に襲撃していたとします。おそらくノヴァ様も抵抗し、周囲には甚大な被害が出たでしょう。その場合、その後の勝者はどうなりますか?」

「どうなるって……」

「社会の治安が脅かされれば、当然、人間は力を尽くしてその対応に回ります。我々は人類の脅威としてさらされるでしょう。敗者も、勿論勝者も。それは我々にとって、大きな不利益なのです」

「……さっき、どうでも良いって言って無かった?」

「あらゆる事において、ミクロ小規模マクロ大規模では話が異なります。誤って一匹の豚を殺めてしまうことにそこまでの不利益はありませんが、一度に100万匹の豚を殺めてしまえば、あらゆる不利益が起こることは、想像が容易でしょう」

「あーなるほど。でもそう言う割には被害が大きくない? ピースメイカーに学校の部屋一つって……」


 少なくとも、今この街がかなりの騒ぎなのは間違いないだろう。


「そう見えるのは、彦善様が人間だから故でしょう。私どもの『感覚』として、確かに危険行為ではありますが、そこまで大したことではありませんし、私どもの存在が明るみに出たわけでもありません。だからこそあの時、現れた女性はあの女性は排除されそうになりました。感覚的な許容範囲の問題です」

「そう言う感じね……」


 正体がバレなければいい、という事だろうか。まるで特撮ヒーローだな、と思いながら、彦善は冷めかけたコーヒーに口をつける。


「ところで一つ伺いたいのですが」

「?」

「これ以上の話を、今この場ですることは非推奨です。場所を変えますか?」


何かを気遣うように、セバスチャンがふよふよと浮かぶ。


「……何で?」

「何故と言うなら……」

「ごめんセバスチャン、気付かなかった。そう言うモノだって、誤解してたかも」

「?」


 やり取りの意味が分からず、疑問符を浮かべる彦善。それに対してコーヒーを飲み干したノヴァが、口を開いた。


「あのさお兄ちゃん、一つ聞きたいんだけどね?」

「うん」

「どうして?」

「……は?」


 ――♪


 聞き慣れた音の、玄関チャイムが鳴った。


「……あ゛」


 その音一つで全てを悟り、彦善の全身から冷や汗が吹き出す。

 今日、今、この場に来られる知り合いなど……一人しか思い浮かばない。


 ――♪ ♪


 さらにチャイムが鳴るが、彦善は椅子から立ったまま立ち尽くしていた。


「……行かないの?」


 ノヴァが、多少察したように言う。


 ――♪ ♪ ♪ ♪


「そうすべき……なんだけどね……」


 ――♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ 


 段々とテンポの増していく、玄関チャイム。近隣の部屋は空き家だが、そろそろ近所迷惑になるかもしれない。彦善がそう思った瞬間、


 ――ガチャ


 あまりにもあっさりと、扉が開いた音がした。そしてその後に履物を脱ぐ音と、廊下を歩く足音がする。


「♪〜」


 ――聞こえるのは明るい歌声。キッチンと廊下を隔てる磨りガラスの嵌められた扉の前に、その、影が見えた。


「なーんだ。鍵、開けてくれてたんだな、ヒコヨシ。ごめんな、昼間とはいえうるさくしちゃって」


 キィ……と蝶番が軋む音とともに、朗らかな声。しかし火山が歩いてきたような怒気がまるで隠れておらず、さらに彦善は汗をかく。


「で、さ」


 現れた彼女はぶかぶかの白地のシャツを着て、長い髪を垂らして、その手に車の窓を破壊する為の特殊な金槌……通称レスキューハンマーを握り、


「その女、?」


 笑顔のまま首を傾げて、そう言った。

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