第15話 Enemy(敵)


 彦善の住むマンションに幼馴染の少女が現れた同時刻、場所は変わって、天星町の中央にある警察署、地下の一室。

 駆け込んだ初老の男性が、安置された死体を目にして、膝から崩れ落ちた。


「あ……ぅ、うああーッ! 替佐流(カエサル)、カエサルーッ!!」

「署長……」


 署長と呼ばれた一人の初老の男性が、死体の横で暴れ、泣き叫ぶ。先に部屋に居て法医学者からの報告を受けていた刑事は、それを痛ましい表情で見ているしかない。


「嘘だ……嘘だっ……こんな……こんなことがあああああ……」


 男性は膝を折り、呆然とひざまずいて、顔を床に伏せた。

 周りの警官や法医学者はこの町の警察署署長、田中 武蔵たなか むさしの変わり果てた様子に同情する表情を浮かべる。そこへ黒服にサングラスの女性が現れ、部屋の扉を閉めたが、それを気にする人間はいなかった。


「……ああ……みんな、すまなかった。邪魔を、してしまったな……私は失礼するが……後のことはっ、いつも通り……よろしくっ、たの、うぐっうぅっ……」

「……田中様、大変申し訳ありませんが、お時間が……」

「そうだな、すまない……」

「俺たちも付きいますよ」

「感謝いたします」


 声をかけたのは、黒服にサングラスの女性だった。後から続いた刑事二人に半ば身体を支えられて部屋を去った署長を見送り終えた、場の空気はあまりにも重い。


「ここまでっ、結構だ……忙しいところへ、本当に済まなかった……ありがとう……」

「いえ……お疲れ様です」

「失礼させて頂きます」


 そしてエレベーターは閉まり、地下から地上へと上がって行った。それを見届けた部下二人は身をひるがえして歩き出し、


「……いくらバカ孫でも、署長サマでもそりゃこーなるわな」

「おい」


 髭面ひげづらの男性刑事が、つぶやいた。もちろんすぐに隣の男性にたしなめられるが、髭面ひげづらの男性は不機嫌な表情を変えない。


「あのガキの補導歴見たか? 万引きに傷害とはいえあの数だぞ、しかも全部が隣町。あの署長サマがどれだけのことをしたのやら、だ」

「言いたいことは分かるがね……」

「葬式で、マスコミ様が何言うか楽しみだよ」

不謹慎ふきんしんだぞ……」

「へっ、ガキが死んだからって悪事がチャラに扱われるくらいなら不謹慎それで結構だよ俺は。スーパーや書店が万引きひとつでどんだけ泣かされるか、是非実家のお袋に語らせたいね」

「気持ちはわかるがねぇ……」


 そのやり取りは誰もいない廊下に響き、彼ら以外にそれを耳にする者は、どこにもいなかった。

 一方、泣き崩れる寸前の状態で署の裏手まで歩いた署長――武蔵は、ついにその場でうずくまる。


「うっ、うっ、うっ」

「……やあ、大丈夫かい?」


 と、そこへ現れた、。警察署という場所にまるでそぐわない緋袴ひばかま白衣びゃくえは、もしも誰かが見ていれば注目を集めたことだろうが、近くに人はいない。


倶利ともとぎ様!」


 先程武蔵をうながしたサングラスの黒服女性が、素早い動きで足をそろえ、頭を下げる。


「おっと」


 するとうずくまっていた武蔵も素早く立ち上がって、


「失礼……」


 顔をぬぐい、まるで何事もなかったかのように頭を下げ、気をつけの姿勢に戻ったのだった。


「本日はお時間を頂き、誠にありがとうございます、倶利様。私共の為にお越しいただけるとは……誠に恐悦至極としか言いようがありません」


 そして用意してきたかのように言葉を発するが、そこに先程までの狼狽ろうばい微塵みじんもない。まるで人間が入れ替わったかのような変化に、巫女服の女性は顔をしかめる。


「いや、それは良いんだけどさ、もう大丈夫なのかい?」

「はっ、何のことでしょうか」

「キミ、今朝、お孫さんを亡くしたんだろう? ニュースで見たよ」

「はい。ですので今、思う存分泣いてスッキリしました」

「……ああ、そう」


 軽蔑する視線をその巫女の女性――倶利 せきなは向けたが、武蔵はまるで意に介さない。

 いや、意に介さないと言うより、軽蔑されていることを毛ほども理解していない――そんな顔だった。


「ま、久々のの仕事だからね。誠心誠意、全身全霊でやらせてもらうよ」

「倶利様直々の御祈祷ごきとう、拝見させて頂きます。宮内庁でのおうわさはかねがね……」

「……へぇ。どんなだい?」

「文字通り、比類なき日本一の巫女だと」

「ふん、大げさだなあ。やってるのはただのおまじないだけどね。それで、可哀想なお孫さんのはどこなんだい?」

「はい、それが……」


 そこへ、じゃっ、とアスファルトを踏む靴の音が響いた。その場の全員がそちらに目をやると、


「お祖父じい様!」

「おお、アリス!」


 金髪のツインテールをしたゴスロリ服の少女が、仁王立ちで立っていた。

 歳は16歳ほどだろうか、背は低く胸も比較的平たいため幼く見えるが、身につけた持ち物や服の趣味が、背丈ほど幼くはないことを見る者に理解させる。


「ねぇお祖父様、私の相棒はどこ?」


 そして響いた高い音程のその声は、いかにも性格の強気さを表していた。


「こらアリス、それより先にご挨拶しなさい。こちらが……」

「セキナ・トモトギでしょ? それくらい知って……」

「違う」

「え?」

「倶利 せきな『様』だ。二度と間違えるな」


 黒い雰囲気が武蔵から発せられ、金髪の少女の表情から余裕が消える。


「……ハイ、お祖父じい様」

「分かれば良い。そして、きちんと謝罪をしなさい」

「……モウシワケ、ありません、でした」

「気にしなくて良いよ。日本語上手だね」

「ありがとう、ございます」


 深々と頭を下げた少女の礼は、しっかりとした淑女しゅくじょのものだった。態度は生意気だが、それなりに上品な教育は受けているらしい。


「さて、痛ましい事件も起きたが、しきたりはしきたりだからね。神社うちで身を清めてもらおうか。準備は済ませてあるけど、勿論男子禁制だよ」

「心得ております。では私は戻らせていただきますので……」


 と、武蔵が下げた頭を上げた時だった。


「……」


 一切の音も気配もなく、『それ』はそこに、既に在る。


「……失礼、気づきませんでした。貴女は?」


 頭を上げた武蔵の前にいたのは、黒いマントを羽織はおり、フードを被った、漆黒しっこくの女性。


「……八咫やた


 ボリュームは小さいが、通る声が伝わる。

 全身が黒色のコーディネートの中で、唯一真珠のように白い髪色をした前髪が右眼を隠しているが、たたずまいだけであまりにも異彩いさいが強い。

 言葉どころか音すらなく、異常性を理解さわからせる――そんな存在が、倶利の隣にいつの間にか立っていた。


「日本国旗下きか、アーク番号005『天照』の『端末』、八咫。……よしなに、よろしく」


 傍目はためには少し変わった姿の少女にしか見えないが、眼の前にしてわかる、その異質さ。人間の本能的な感覚が、彼女をと警告する。


「成る程、コレは聞きしに勝る……よろしく頼みます。アリス、お前は……いや、お前も、私の大切な孫だ。くれぐれも油断せず、身体には気をつけてな」


 そう言うと、くるりと身を翻して武蔵は去って行った。

 黒服が付き従う先には刑事らしき人間が駐車スペースに車を止めており、この後の記者会見がどうのと話をしている。


「お祖父様……」


 車が発進するのを見送って、アリスは名残惜しそうに呟いた。

 しかしその顔が振り返れば、そのひとみには強い決意が宿っている。


「……トモドギ様、よろしくお願いいたします」

「名前で良いよ。じゃあまずはお風呂を用意してあるから、ゆっくりしようか。どれくらい聞いているかな?」

「わかりました、セキナ様。聞いているのは、全部です。『八咫』のことも……この『戦い』の、ルールも」


 それに対してせきなは内心、用意のいい事で、と呟く。


「そりゃ何よりだ。君のデータを見たけどお兄さんより優秀みたいだし、期待して良いの……」


 と、その時、シャカッ、と何かを振るような音がして、反射的にせきなは後方にいるアリスを見た。


「?」


 言葉を切ったせきなを不思議がったのか、アリスもまた足が止まる。


 ――その口元に添えられた指には、ピルケースから出された色とりどりの錠剤がはさまれていた。

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