第13話 Game start(開始)
――音が、響いた。
「えっ」
ガラス窓を、『割る』――ではなく、アルミの枠ごと『握り潰す』音。
部屋の端から端まで伸びた彦善の左腕は機械に変わり果て、先端にあるはずの拳は彦善の意志と関係なく、広がった指でガラス窓を枠ごと握り潰した。
そして彦善の肩を重みが奪われたような感触が襲うと、機械の左腕は銀髪の人間――否、アンドロイドに『変形する』。
身に纏うのは昨晩の白いワンピースではなく、露出の多い、『衣装』……と言うには近未来的な、身体をガードするプロテクターのような
「……ねぇ、これって
「いいえ。彼の理解度に関係なく、既に『ポリオ』は始まっていますから」
「そう」
外にいたカラスが、左腕だったアンドロイドと言葉を交わす。
刑事に化けていたアンドロイドたちは、彦善とアンドロイド、どちらを狙うべきか迷うような動きをしたが、
「遅い」
針が、2体のアンドロイドを貫いて――
「耳を塞いで!」
――突風が、部屋に吹いた。
パァン! と音がして入口の扉の小窓が割れ、彦善を襲った『敵』たちは銀髪のアンドロイドの脇をかすめ、窓のあった壁に激突して尚それを砕き、文字通り『吹っ飛んで』行く。
悪役のお約束のように襲撃者たちは空の彼方へ消え、8割近く崩壊した部屋の壁に空いた大穴からは外の風が吹き込んだ。
「時速、約1500km。『尖兵』が完全に破壊されたことを確認しました」
「へー今のって『尖兵』なんだ……ま、いいや。立てる? お兄ちゃん」
「……ああ」
校内には非常ベルが鳴り響き、廊下では教師たちが慌てて動いて、生徒たちの避難誘導に向かう。
「説明は……後の方が良いみたい」
大穴の空いた壁を背景に、笑う銀髪のアンドロイド。差し出した腕を掴んだ彦善の目は既に鋭く、怯えや困惑はもう無い。
「とりあえず、逃げよっか」
「分かった」
短く答えた彦善は、上靴のまま壁の穴から外へ飛び出す。
「カグヤくん!」
その後に生徒指導室の扉が開き、体育教師が現れる頃には、
「そんな……」
『3名』の姿は、校内から消えていた。
――場所は変わって、高校の隣の公園の、グラウンドの隅。
救急車と消防車とパトカーのサイレンが街中から響く中、彦善は水飲み場の水を大量に飲んで、大きく息を吐く。
「落ち着いた?」
「あー……一応」
ハンカチで口を拭いながら、警戒の視線を2人(?)に向ける彦善。
しかしその態度にネガティブな空気は無く、半分程度、彼は現実を受け入れていた。
「脈拍や血圧、呼吸数は正常値。『治療』を兼ねた同化は上手く行ったと判断出来ますね、ノヴァ様」
「思い出した? 『お兄ちゃん』」
「うん……まぁ、お前らのお兄ちゃんではないけどな」
「あはは」
防災備蓄倉庫のコンクリート壁に背を預けて、彦善は思い出した記憶を
――昨晩、神社の石段から落ちた自分。
思い出してみれば、間違いなくアレは致命傷だった。しかしそれを『治され』、ピースメイカーに襲われ、破壊されていたはずの『彼女』は今、彦善の左腕から現れた――ご丁寧に、彦善の左腕すら元通りにして。
「思考の整理はついた?」
「左腕が本物なのかわからない」
「あはは、大丈夫だよ。万能ナノマシンでお兄ちゃんの細胞をコピーしただけで、私は『重さを消して』まとわりついてただけだから。その腕はもう殆ど正真正銘お兄ちゃんの身体が治したモノ。……材料はいっぱい必要だったけどね?」
「あーなるほど……え? 重さを消して、ってまさか……」
「知ってるでしょ? 反・重・力」
「へー……」
納得しつつ彦善は、今朝のキッチンの散らかりようはそう言うことか、と、理解は出来ないまでも納得する。
『万能ナノマシン』が具体的にどんなものかは知らないが、とにかくそれが自分の身体を操るか何かして、食料を食わせ、自分を治療し、彼女が重さを消した状態で同化していたようだ。
彦善としては、何か得体の知れないものに自分の身体を作り変えられた気持ち悪さを感じなくもないが……死にかけた昨晩のことを思い返せば、『死ぬよりも遥かにマシ』どころか、感謝に近い感情すら湧く。
――もしかしたらこの感情すらも目の前の2人が意図したものかも知れないが、それを理性が分かっていても、彦善の精神は恐怖しない。半ば理性的な思考すらも、
『助けてくれたんだから多少はしゃーないだろ』
と、戸惑いを抑えようとしていた。
「……で、何から聞きたいの?」
「状況、かな。『何がどうなってるの』、じゃなくて、『僕は今どうすれば良いのか』を、教えて欲しい」
その瞳に怯えも、困惑もなかった。
彦善の声色だけで、聞く者にその覚悟が伝わる、重い声音。
「ふふ、凄いね。ちゃんとお兄ちゃんはこういうコトに慣れてる。……それとも、染み付いてる、かな?」
何かを知っているような口ぶりに、彦善は一瞬だけ目を鋭くした。
「……僕はこれから、無事に済むの?」
「たぶん済まない」
「たぶん?」
「無傷で済まない確率が70%くらいかな。だから、お兄ちゃんの最適解は、これからゆっくり私たちの話を聞くこと。そして、備えること」
「了解。ここで?」
何に備えるのか、とは聞かなかった。
彦善の思考が、疑問の解消より安全の確保を選ぶ。が、
「んー……えっとね、たった今、そうでもなくなったかも」
「?」
首を傾げた銀髪のアンドロイドが、何かを察したように言う。
「今お兄ちゃんの家の近くにね、スマホが届いたの。無いと、色々不便でしょ?」
「届いた? 宅配便か何かで?」
「ううん、梓さん」
「……」
告げられたその名前に、彦善の警戒度がさらに上がる。
すでに目の前の存在は、自分の知人を知っているのだ。
「あ、それと、はい靴。色は黒で良いよね? あーあと、私のこの格好も目立っちゃうか……」
そう言いながらアンドロイドの少女は魔法のように彦善の靴と自分の服を生み出し、変わらない笑顔を向ける。
「これで良いかな? 行こうか、お兄ちゃん」
その姿は、完璧に人間に擬態していた。
――一方場所は変わって、彦善の住むマンションの前。
パトカーや救急車、消防車のサイレンが響く街の喧騒を多少気にしながらも、おどおどとその女性、梓は電信柱の脇に立って、マンションの入口を見ていた。
(ど、どうしよう、コレどうやって渡せば良いのかな……)
その手には、ビニール袋に入った、バキバキに壊れたスマホがある。
昨晩追い回されていた彦善の件はあの後すぐ、彼女なりに必死に通報した後、交番で伝えたのだが、夜中まで説明した挙げ句、対応した女性警官から告げられた結論は、
「じゃあまた何かあればお伝えしますから、今日のところはお帰りください。送りますよ」
だった。
しかも最後にスマホの件を伝え忘れたのに気づいたのだが、
「……まだ何か?」
「い、え、あのっ、いいえ!」
というやり取りの後、心の中で泣きながらパトカーに乗せられ、帰宅して、シャワーを浴びて、ゆっくり寝て、起きて、しっかり朝食を食べたあと、以前縁があって覚えていた彦善の自宅マンション前に来たのだった。
(こういうのって管理人さんとかいないのかな……来ればどうにかなると思った私って本当にバカ……)
彼女の目論見ではマンションに着けば管理人室があって、そこに彦善の投げたスマホを渡せばどうにかなる筈だった。
しかし来てみればそれらしいモノは特になく、一階から各部屋が並ぶだけ。
実は彼女の視界にある植え込み脇には、管理人室への電話連絡先が書かれた看板があったのだが、彼女は一切そのことに気づいていなかった。
(はぁ……帰ろう。今日もバイト行かなきゃ……)
そう肩を落とす梓を、一羽のカラスが電柱の上から見ている。
するとその視界の中、梓にとっては背後から彦善が近づいて、
「ぴぃっ!」
声をかけられた梓は、変な声を響かせた。
「ひ、彦善くん?」
「ありがとうございます、梓さん。それ、僕のスマホですよね」
「う、うん……壊れてるけど……い、いる? よね」
「は、はい、いります……」
言いながら、何言ってるの私、と梓は脳内で自分に絶望する。
「本当にありがとうございます。お礼とかしたいんですけど、僕、今日は学校を早退したんでまた今度……」
「あ、い、いいの、彦善くんが無事なら! あ、あ、ありがとう、ね! バイトだからもう行くね! お大事に!」
そうして恥ずかしさのあまり足早に去っていく梓を見て彦善は、
「本当に、良い人だなぁ……」
彼女が無事で良かったと、心底思ったのだった。
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