第10話 A Girl & Butler(彼女とその従者)
――とある町の片隅で、2つの命が今、消えてなくなろうとしていた。
「……お嬢様、どうされましたか?」
消えゆく命の傍らに、声が一つ。
しかし、声の主はどこにもいない。
「どうしたもこうしたも無いわよセバスチャン……見て? ホラ」
声が、もう一つ。
中空から音もなく降り立ったのは、裸足の少女。白銀の長い髪に、宇宙のような闇色のワンピースから伸びた青白い肌は木々の間から降り注ぐ月光を神秘的に浴びて、しかし瞳の網膜だけは紅く、子供のような背丈。それらを見る人間がいれば、『彼女』は妖精かのように見えたことだろう。
「……ニンゲン、ですね」
「そう。この
そう言ってしゃがみ込み、石段に広がる赤い血を指で掬い、ちろりと出した赤い舌で舐めた。
「まっず」
「でしょうね」
妖精のような少女は、うぇー、と舌を出して、心底不味そうに口を拭う。そんな間にも、二人の青少年の命の灯火は消えかけていた。
「でも私、コレにする……コレにしたい。よろしくねセバスチャン」
「コレ……ですか? こちらの『石』や、『木』ではなく?」
少女の耳元で、蛍のような光が瞬いた。
どうやらもう一つの声の主はそれのようで、宙に浮かぶ小さな丸い球体は青や赤に光り、少女の周りをくるくると漂う。
「私は反対する権限は持ちませんが、いささか『資材』としては心許ないように思いますが……」
「だったら、そっちに転がってる方も使えば良いでしょう?」
対して、幼さすら感じさせる甘い声が、強く言った。
「あの、それは『制約』が……」
「そっちはもう生命活動なんて止まってるじゃない。だから材料にするの」
「まぁ……確かに心臓が……これは、随分と粗悪な薬品を注入したようですね。筋力の増強は認めますが、戦時中でもないのにこの個体は何故こんな行為を……?」
「さぁ? そんなの知らない。とにかく、お姉様だってあんなに好き放題したんだもの、私だって構わないでしょう?」
「拒否は出来ませんが……」
「決まりね」
そう言って、少女は、手を伸ばした。
しかしそれは本当に文字通りの、人間の骨格を無視した伸ばし方で、くにくにと蠢く指先はまるで糸が解けるように裂けて、虚ろな目を開いたままの彦善の身体へと刺さっていく。
さらに少女の長く白い髪の一本一本が独立したように伸びて動き出し、転がる不良の骸へとまとわりつき、貫いた。
当然どちらの体も、異物の挿入に身体が震えるが、
「動かないで」
そう命じただけで、ぴたりと彦善の身体だけが停止する。
「『同期』は順調ですね」
「ん……そう見える?」
「はい。既に大部分の機能を掌握したのでは?」
「全然。こんなふうになっても、この個体、凄く抵抗してる……うん、やっぱり」
「どうかされましたか?」
「ここ。すっごくとろとろして、熱いところ。『さっきの』は、これが原因……?」
「……さぁ。破損も大きいようですし、私には判断しかねます」
「ん……そう、ね」
少女が伸びた指で示したのは、彦善の額。
そこをつんつんとつついて、伸びた指の先についた血をまたも舌で舐めた。
「今度は何をスキャンしたのですか?」
「遺伝子。ふうん……すごい。まだ処理しきれない……」
「……お遊びもほどほどに。『戦い』に挑むにあたり、それでは……」
「だーいじょうぶ。私、頑張るからさ。好きにさせてよ」
「……」
言っている間にも、少女のあらゆる部分が彦善の身体に侵入する。そしていつしかパキ、パキ、と、骨の鳴るような音とともに、彦善の身体が内側から修復されて行った。対して、不良の身体はまるで何かに吸収されていくかのように、内側から体積を減らしていく。
「……ふう。すぅ……はぁ」
何かを確認するように、少女は呼吸した。先程まで石畳に広がっていた彦善の血は止まり、あらぬ方向に折れていた四肢も、今は正しく直っている。
「終わりましたか?」
「うん、ありがと」
「いえ……仕事ですから。それでは、失礼します」
そう言うと、光の玉が音もなく消える。
それまで糸のように伸びていた彼女の体ももとの人間らしいものに戻り、
「んー……これが『肉』、かぁ。あったかくて柔らかくて、変なの」
むにむにと自分の身体を触りながら、少女の瞳が眠そうに閉じられかけ、上体は船を漕いだ。その上体がふらつき、彦善の胸に倒れ込んだところで、
「げふっ!」
声とともに、空気が彦善の喉を通った。
「ゲホッ、ゲホ……え……あ……!?」
がばりと上体を起こし、何が起きたのかわからない様子で周りを見回す。
すると目の前に、
「……おはよう、お兄ちゃん? 迎えに来たよ」
――彦善のよく知った、妹がいた。
「ああ、ごめんなノヴァ……えっと、なにがあったんだっけ……」
「そんなのは良いから。ほら、家に帰ろう?」
頬に触れ、ノヴァと呼ばれた少女の赤い瞳が妖しく紅く光る。
その瞳に魅入った彦善は、
「ああ、そうだな、帰らないとな……」
素直に『妹』の指示に従って、全てを忘れて帰路についた……つもりだった。
「……え?」
しかし、下り階段に踏み出したその足が、ぴたりと止まる。
「どうしたの? お兄……」
「待て……待て待て待て! お前、誰だ!? 何が起きて……!」
ばっ、と彦善が、振り返る。
思い出してしまった。
自分は薬物でイカれた不良に追いかけ回されて、特攻したはずだった。
そして、そこにあるはずの『それ』……自分を殺そうとした不良の身体は、ミイラのようにやせ衰えて、転がっていた。
「――!!」
「あらら、失敗? おかしいな、そんなに難しくないはずだったんだけど」
首を傾げる、存在しない妹のような何か。
「ならもう一回……」
その時、さらに状況が変わる。
「えっ……な……」
「あら」
――聞こえてきたのは、パトカーのサイレンと同じ音。
神社の石段という神聖な場所にそぐわないサイレンを鳴らして、空から現れた鉄の機体を、彦善は良く知っていた。
「新型の……ピースメイカー!?」
遠隔操作可能な、日本が誇る警察車輌の最新鋭機。
それが荒々しく着地した直後、特殊警棒を構えて、
「あららら」
――威嚇すらなく、少女に向かって振り下ろした。
ドゴン! と凄まじい音がして、土煙が上がる。しかしその爆心地にいたはずの少女は、
「ふわぁ……」
片腕でそれを止めて、眠そうに
「これがご挨拶……ってことなの? まあ良いわ。じゃあ遠慮なく」
言葉とともに、すかっ、と足が空を切った。
「……あら?」
その隙を、逃すはずもなく。再び特殊警棒の一撃が、少女の腹を真正面から突いた。
「あらら」
しかし―停止していたのはピースメイカーの方。
「!?」
機械の巨人が放つ警棒の衝撃を真正面から腹で受けて、少女の身体は微動だにしていない。
代わりに足元の石畳には彼女の両足を軸にしたクレーターが、まるで彼女の腹に浴びた衝撃を肩代わりしたように発生した。
何が起きたのか理解しようとした彦善の視界で、何かがキラキラと光る。
「ふぅ……それじゃお兄ちゃん、もう一度……」
そう言って少女が紅い瞳を向けた、次の瞬間だった。
カチッ、と音がして、特殊警棒に何かのスイッチが入る。
腹で警棒を受け止めていたその少女の方を向いていた特殊警棒の先端に火薬の爆発が起きて、
「あ」
音とともに発射されたゴム弾が、少女の身体を今度こそ『正しく』跳ね飛ばした。
455段の石段を一気に転がり落ちる音がして、血相を変えた彦善が急いで駆け下りる。階段からの落下はすでに忘れ去り、彦善は誰もいない石段の下にたどり着いた。
「あ……お兄……ちゃ……」
そこにいたのは、明らかに人間ではない、機械の体の女の子。
四肢や頬が砕け、中身の見たこともない機械が露わな状態で、彦善に腕を伸ばす。
周囲にはまるで深海にたゆたうクラゲの触手のように、白い髪が蠢いていた。
「な……何なんだ……?」
この時、まだ彦善は誤解していた。
少女の身体が砕け、露出したその『中身』から微かに散る火花は、傍目には確かに満身創痍。だが、
「来てくれて、ありがと」
その触手――髪の先端に現れた眼球が紅い光を発した瞬間、今度こそ彦善の意識は完全に消え去ったのだった。
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