第5章-13

 ――シャラ、結婚しよ。

 最近では目を閉じるたびにあの日のことを夢に見る。

 身体のあちこちに雪の粉をつけ、照れたような、焦ったような顔をして、彼は――ソーレイ・クラッドは求婚の言葉を口にしたのだ。

 そしてそのプロポーズの五秒後にするりと「ごめんなさい」の言葉が出て、死ぬほど後悔して、でも仕事をもらってソーレイと再び顔を合わせるようになって。

 やがて自分の愚かな秘密がばれてしまったけれど、そんなシャラにも彼はあたたかな抱擁をくれた。

 守りのキスをくれた。

 しあわせにしたいと、言ってくれた。

 応えたい、と、思った。

 あの言葉をもう一度とは願わない。

 けれど彼がくれる想いの分だけ、シャラも想いを返したい。

 そんなことを、夢の中で考えた。


「ここ、どこ……」

 目を開けたシャラは、その瞬間蒼白になった。

 さっきまで監視のついた公女の私室で窓の外を見つめていたはずだった。

 奥間で公女がベールの仕上げに入っていて、手伝いたかったが状況的に言いだせず、ソーレイの帰りをひたすら待っていたのだ。

 それなのに、今、シャラは屋外にいる。

 しかもいつもより視界が低い。

 当然だった。

 そこは周りの土地より低い所につくられた場所――水路の上。

 そこに浮かんだ小さな舟に、シャラは乗っていたのである。

「な、な、なんで……」

 シャラは慌てて右に左に視線を振った。

 舟は三日月形をした「浮遊物」でしかなく、オールや櫂のようなものは付いていなかった。

 乗せられたままずいぶん流されたらしい、周囲はすでに見たことのない風景だ。

「うそ。やだ、流れてる……」

 上流の水門が開けられているのか、舟は流れに乗って勝手に進んでいく。

 岸に寄りたくて水に手を突っ込みかこうとしたが、あまりの冷たさにすぐに引っ込めた。

「――大丈夫よ、心配しないで」

 不意に後ろから声を掛けられ、シャラはびくりと肩を跳ねあげた。

 振り返ると、船尾に座りこんだエージャがにっこり微笑みかけてくる。

「エージャさん……どうなってるんですか? わたし、なんで舟なんかに」

「心配しないで。私たち、スーティー家に行くのよ」

「スーティー家?」

 聞きおぼえがあった。

 最近屋敷内で「ロッドバルクかスーティーか」と、噂になっている、イナ公女の花婿候補がいる家。

 しかしなぜここでその名が出るのか分からない。

「どういう、ことですか?」

「言ったでしょう、私、孤児だったって。引き取られた先がスーティー家なの」

「は……?」

 シャラが唖然とするも、エージャは気に留めなかった。

 でもね、と悲しげに眉を寄せ、

「私、戸籍に入れてもらえなかったの。すごく大事にしてもらって、勉強も、お洒落も、礼儀作法も存分に教えてもらったのに。戸籍にだけ、入れてもらえなかった」

 どうして今昔の話をし始めるのか。

 いぶかしむシャラに、エージャは続きを聞かせてくる。

「あるとき約束したの。大きな公家に勤めに出られるほど優秀な子になって、その公家の子どもとスーティー家の兄弟の縁を取り持って、無事縁談がまとまったら――私のこと、ちゃんと戸籍に入れてくれるって。本物の家族にしてくれるって」

 その瞬間、喉に息が張り付いた。

 シャラは自分が決して利口ではないことを知っているけれど、エージャの話を聞いて事を理解できないほど馬鹿ではなかった。

「――エージャさんが、偽造したんですか……あの手紙」

「ええ。ああやって仕向ければロッドバルク家はイナ公女に結婚を迫るわ。でもあんな縁談公女が受け入れるはずがない。たちまち話は立ち消えて、オーサ公子が候補に残る……」

 そのときシャラは全身が粟立つのを感じた。

 エージャの瞳がふつうではなかったからだ。

 周りのものを見ているようで、見ていないような、曖昧な目。

 きっと目的しか見えていないのだ。

 スーティー家に行き、本当の家族を得る、という目的だけ。

「――エージャさん、舟を止めて。わたしを帰してください。あなたのことは誰にも言いません。手紙のことも何とかしますから。だから――」

「無理よ。この舟は流れに乗って大運河に出るの。対岸に着けばスーティー領よ」

「大運河に……?」

 事もなげに告げられた事実に、シャラはいよいよ恐怖した。

 こんな、大波ひとつで転覆しそうな舟で大運河に出るのか。

 この寒い中、川に落ちれば命を落とすことは確実なのに。

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