第5章-12

「――エージャか」

 目覚めるように悟った瞬間、ソーレイは店主に礼を言い、店を出た。

 そのまま馬に飛び乗り屋敷に走るつもりだったが、不意に目の端に映ったものに思わず足を止める。

「ミュシャ」

 道の先の方から小さい身体で一生懸命手を振り走ってくるのは、金髪に新緑の瞳をもつ女の子。

 シャラの、末の妹だ。

「やっぱり騎士のお兄ちゃんだー! お馬さんいたから、お兄ちゃんだと思った!」

 ミュシャは顔を合わせるなりソーレイの腰に飛びかかってきた。

 いつものことだった。

 シャラの送迎をするうちにすっかりなつかれてしまったのである。

「ひとりで来たのか? 兄ちゃんと姉ちゃんは?」

 ソーレイは小さな身体を軽々と抱き上げた。

 目下お姫様抱っこがお気に入りの彼女は、希望通りの横抱きに顔いっぱいで笑い、「おうち!」と答える。

「でもね、ラーラ姉ちゃん泣いてるの。ミュシャ、シャラ姉ちゃんになぐさめてほしいな」

 シャラ姉ちゃんはどこー、と問われて、ソーレイは一瞬口ごもった。

「えと、まだ仕事なんだ。俺は用事があって来ただけ」

「えーっ。シャラ姉ちゃんやっぱり帰ってこないの?」

「……『やっぱり』?」

 妙な物言いに顔をしかめた。

 まだ小さな子どもだ、変なこと言うことはあるだろうけれど、それにしても放っておけなかった。

 ラーラという、シャラに代わって留守を預かるようになっている十歳の少女が「泣いている」というのも気にかかった。

「ラーラ、ライ、いるかー?」

 ひとまず馬を置いてシャラの家に走り、家の前でシャラのすぐ下の妹と、その下の弟を順に呼ぶと、まず金髪のいがぐり頭が「お兄ちゃん!」と叫んで飛び出してきた。

「ねえ、何か大変だって、ラーラが泣くんだよ。来て」

 確か六歳といったか、クトバ家の長男坊は不安そうに手を引っ張ってくる。

 ソーレイは途中から彼を追いこし家の中に入り込んだ。

 この家は両親とも働きに出ていて、昼間は子どもたちだけなのだ。

 単純に、心配だった。

「ラーラ、どうした? 何かあったのか?」

「お兄ちゃん! これ見て!」

 シャラに一番よく似ている十歳のラーラは、涙目で一枚の紙を押し付けてきた。

 ミュシャを床に下ろし、素早くその紙を受け取る。

 表面の目が粗い、安っぽい紙だった。

 ――すべてわたしの責任です。もう家には帰れません。ごめんなさい。

 レタリングの見本のような、際立って美しい文字が並んでいた。

 シャラの字だ。

「なんだ、これ……」

「ねえ、お姉ちゃんは? なんで帰ってこないの?」

 つい、眉間に皺を寄せていたソーレイは、不安げな三組の瞳に気づいて表情を改めた。

「な、これどうした? シャラが持ってきたのか?」

「ううん。ミュシャが外で遊んでるときに、もらったって」

「もらったよ。青い服のお兄ちゃんがくれた。おかしもくれた」

 うれしそうに飴玉を見せるミュシャ。

 ソーレイは上の二人にも目をやる。

「ラーラたちは見てないのか、その人。知ってる人じゃなかったか?」

「ぼく見たよ。でも知らない人。カッコいい服だけど、お兄ちゃんみたいなのじゃなかった」

(てことは少なくとも騎士じゃない……か。でも)

 嫌な予感に突き動かされ、ソーレイは便箋に鼻を寄せた。

 何のにおいもしなかった。

 書いたばかりなら、インクの香りが残るはずなのに。

(インクの色みといいにおいといい、今日書いたもんじゃないぞ、これ)

 いったいいつから仕組まれていたのか。

 ソーレイは歯がゆい思いを抑え込むようにしばし瞑目し、やがて意識して大きく目を開いた。

 三人の子どもたちに、にっと笑みを見せる。

「大丈夫だ、シャラはちゃんと帰ってくるよ。まだお屋敷で公女の相手してるんだ。ちょっと遅くなるかもしれないけど、また俺が連れて帰ってくるから」

 小さい頭を順に撫で、「じゃあな」と、ソーレイは踵を返した。

 背を向けた瞬間には、彼は騎士の顔をしていた。

(カッコいい青い服、か)

 馬を放しその背に飛び乗り、ソーレイは舌打ちした。

 青服は国従の職種にある証だ。

 具体的には騎士や事務官、王宮勤めの書記官など。

 国政会議に出席する公家の人間も青黒い立て襟の上着を羽織る。

 風合いは違うがいずれも一般に「かっこいい」と言われる制服であるが――この辺りでも普通に見られるのは騎士か事務官だ。

(冗談じゃないぞ)

 ソーレイは焦るまま馬を走らせた。

 自分は友の「潔白を証明」するために奔走しているつもりだった。

「罪を立証」するために走り回っているつもりなど、毛頭ない。

(でも――)

 馬の脚が力強く大地を蹴った。

 走るほどに冷気の塊が襲いかかり、ソーレイの身体を冷やしていく。

 そして一気に屋敷まで駆け戻ったソーレイが公女の執務室に踏み込むと、監禁されているはずの疑惑の事務官ガッタ・ルーサーは姿を消し、代わりに、

「エージャがシャラを連れ出したわ。見張りがミノリハで潰されてる」

 イナ公女が険しい表情で告げた。

 ――目の前が、真っ暗になった。

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