第11話・パパの正体


「お前も手伝えよ。タダで飯が出てくると思うな」

「初めての共同作業ね!」

「気色悪い言い方すんな」

「照れちゃって。カワイイ」

 咳払いをして呼吸を整えると、白鳥に卵が入ったボウルを渡す。

「お前は、卵をこのボウルに割ってくれ」

「あいわかった」

 俺は白鳥に指示を出すと、冷蔵庫を開けて納豆と白だしを取り出した。

 と同時に。

 グッチャン。

「…………」

 背後で聞き間違いか疑いたくなるような不穏な音がして、手を止める。

 おかしい、変な音がしたな。殻と液体が混ざったような、気持ちの悪い音が。

 がっしゃん。

 額に青筋が立つ。

「あれぇ? おっかしーなー」

 ぐっしゃ。がががしゃっ。

「……もういいもういい。やめろ。お願いだからやめてくれ」

 振り向くと、卵の殻と中身が飛び散り、キッチンがとんでもないことになっていた。だから振り返りたくなかったんだ。

「卵はもういい。卵は俺がやるから、お前は納豆を炒めておいてくれ」

「……炒めるってなに?」

 想像はしていたが、やはりそこからか。

「その納豆をフライパンに入れて、火をつけろ」

「おっけ。まかせろ」

 さすがにこれなら卵のような大惨事にはならないだろう。

 そう思い、俺は懲りもせずに白鳥に背中を向きかけて、ふと思う。

 いや、待て。本当に目を逸らしていいのか?

 コイツは卵を砕き潰した女だぞ?

 犯罪者云々の前に、一般常識が壊滅的に欠落した女。なにをしでかすか分からない。目を逸らしてはダメだ。そう、本能が訴えていた。

「待て。なにをしている」

「なにって、納豆を炒め……」

 白鳥は火をつけたコンロの上のフライパンに、納豆の容器ごと放り込もうとしている。

「なにをどう解釈したらそうなるんだ? 容器ごと入れるやつがあるか!」

「この容器、熱で溶けるようになってるんじゃないの? あ、ほらちゃんと溶けてるよ」

「いや、たしかに容器は熱で溶けるだろうけど! つか燃えるわ!!」

 溶けたそれを食う気かお前は。

「……聞いていいか」

「なあに?」

「お前、本当に文明で育ってきたのか?」

「ブンメイ? あ、運命?」

 悪意のない丸い瞳が俺を見た。

 俺は頭を抱えた。ツッコミ過ぎて頭が痛い。というか、人生でこんなにも自分がツッコミをする日が来ようとは思いもしなかった。

「もういい。お前はリビングで待ってろ」

「手伝う! 泉水、お世話になる分の御奉仕はする主義!」

「気持ちだけで十分だ」

「そう言わんと」

「ほれ。あっち行ってろ」

 しっしっと手で追い払いながら思う。

 これ以上キッチンが崩壊していくのは困る。

「いいんです。もうお腹いっぱいなんです。頼むから大人しくしててください」

「わ、わかったよ」

 さすがの白鳥も、この真顔には素直に頷き、しゅんとした足取りでリビングに戻っていった。


 ――そして、十分後。

「ほれ」

 オリジナルメニューの納豆炒飯オムライスが完成した。目の前に出してやると、子供のように目を輝かせる白鳥。

「オムライスだ! 中に納豆入ってるの!? さすが、晴くん天才!」

「そ、そうか?」

 白鳥の瞳には、きらきらと煌めく無数の星が宿っている。不覚にも俺は、時間を忘れてその笑顔に見惚れてしまった。

「……こんなの誰だって作れるだろ」

 なるほど。言われてみれば霙の言う通り、たしかに可愛い顔をしているかもしれない。

「泉水にはとても作れないよ」と、真顔を向けてくる白鳥。

「だろうな。そもそも容器ごとって……少し考えればわかるだろ。どうしてあんなことになったんだ?」

「あー泉水、昔から家事が苦手なんだよね。 お皿に触るとヒビが入ってたり、火をつけた途端に換気扇が燃え始めたこともあったなぁ。包丁も気がつくと壁に突き刺さってたり。なんでかな?」

 それは俺が聞きたいよ。

「……重症だな」

 憐れ過ぎて言葉にならない。

「歴代の恋人には冗談だよねってよく聞かれた!」

「苦労したんだな……」

 歴代の恋人たちは。

「だって泉水は大真面目にやってるんだから! でもま、家政婦さん雇った方が早いってことに気付いて早々に家事は諦めた!」

「懸命だな」

 俺は白鳥の話に大きく頷き、やれやれと肩を竦めた。

 まったく、親の顔が見てみたいもんだ。

「そんでね、泉水ちゃん気づいたんだよ」

 嬉々として語りかけてくる白鳥に、俺はジト目を向ける。

「どうせろくでもないことだろ」

「当時男の家政婦さんを頼んだときにね、気付いたら下着とか小物がなくなって、あれって思って」

「……」

「もしかしてこの人と付き合っちゃえば、タダで身の回りの世話してもらえるんじゃないかってさ! いやぁ泉水ちゃん、これはいい商売を思いついちゃったかもと思って」

「その前にその男はどこの誰だ。名前は?」

 普通に話しているが、明らかな犯罪だろう。

「えー、昔の男の名前なんて忘れた」

 白鳥は過去のことだと割り切っているのか、あっけらかんと言う。

 女ってこういう生き物なのか?

 思考回路も価値観も、まったくもって理解不能なんだが。

 ……いや、待てよ。今は重要なのはそれより他にある。

 さっきの台詞、たしかコイツ、その下着泥棒を『昔の男』と言ったよな?

「お前まさか、その下着泥棒と付き合ったのか!?」

「うん。付き合ったら結構な変態さんで困ったね!」

「なんて命知らずな……」

 ケロケロと笑う白鳥を、俺は信じられない思いで見つめた。

「ま、そういうことで泉水ちゃんは誰かが世話をしてくれないと生きていけないんですよ」

「それはいいとして。なんでここを知ってたんだ?」

「お話しようじゃないか。そう。警視庁を出た泉水ちゃんは、新しい家が見つかるまで住処はネカフェか、はたまた野宿か……そう思っていたところに晴君の住所が目の前にぺろんとぶら下がってきちゃったと!」

 脈絡が無さ過ぎる。

 つか素直に実家帰れよ。

「なんでそんな都合よく俺の情報がぺろんとぶら下がってくんだよ。有り得ないだろ。誰に聞いたんだ? 怒らないから言いなさい」

 詰め寄ると、白鳥はあっさりと吐いた。

「パパだよ」

 俺は予想外の答えに目を丸くした。

「パ、パパ?」

 さすがの俺も、その答えは予想していなかった。

「お前のパパが、なんで俺の住所を知ってんだよ」

 反社か政治家か。はたまた警察関係者? いや、さすがに同業者ではないと思いたい……だって、娘詐欺師だし。

 すると白鳥は、またも思ってもみない言葉を口にしたのだ。

「パパは裁判官だよ」

「……は?」

 衝撃の事実に、俺は穴という穴を全開にして放心した。

 

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