第10話・口喧嘩は敵わない


 中に入ったその瞬間から、さも自分の家かのごとくくつろぎ始める白鳥。

「ねー晴くん。泉水汗かいちゃった。シャワーと服貸して。着替えたい」

 白鳥は着ているワンピースの裾をパタパタと翻させながら俺を見る。そう、わざとらしく生脚を見せ付けながら。


「……余計な小細工はやめろ。俺がお前に欲情することはない」

「チッ……据え膳食わぬは男の恥って知ってるぅ?」

「ぶっ飛ばすぞコノヤロウ。いいか、着替えは持ってくるから、その前にソファに座るなよ。汚いから」

 腹が立ったので、『汚いから』をわざと強調して言ってやる。すると案の定、白鳥はムッと口を尖らせた。

 

「泉水の汗はフローラルの香りだよ!」

「逆に気持ち悪いわ。なんだ、フローラルの香りって」

 クソ、想像した。

「とりあえず着替えたらそこに座れ」

「うい。ではさっそく」

 白鳥は素直に頷き、服に手をかけた。そして、あろうことかその場で服を脱ぎ出した。

「……待て。なにしてる」

 ため息混じりにその行動を静止すると、白鳥はきょとんとした顔で小首を傾げた。

「なにって、着替え?」

「ここで脱ぐな。脱衣所で脱げ」

「いやん脱げだなんて。なんなら晴くんが脱がしてくれても……」

「追い出されたいか」

「脱衣所お借りしまーす」

 低い声で半ば脅すように囁くと、白鳥は素直に立ち上がって脱衣所へ消えた。


 それから小一時間が経ち、ちゃっかりシャワーと着替えを済ませた白鳥が戻ってくる。

「よし。じゃあそこに座れ」

「うい」

 白鳥は素直にソファの上に正座をする。そんな白鳥に、俺はきっぱりと言った。

「いいか。泊めるのは今日だけだ。明日になったら出ていけよ」

「分かってるって」

 やけに素直だがコイツは本当に分かっているのだろうか。

 白鳥はといえば、澄んだ瞳で俺を見上げている。

「晴くんって目綺麗だよね」

 気が付けば、鼻先が触れそうな距離で白鳥が言った。彼女の吐息が顔にかかり、ハッとする

「!」

「いやん。私の方が欲情しちゃいそ」

 咄嗟に離れようとすると、白鳥の手が首に回り、さらに距離が近づく。

「変な声出すなっ! 離れろ」

「彼女いないなら、溜まってるでしょ? 泊めてもらう代わりに夜の相手してあげるよ、刑事さん」

 白鳥は意味深に首筋をなぞっていく。ぞわりと気持ち悪い感覚に全身を支配され、一瞬にして鳥肌が立った。

「いいから離れろ!」

 強く白鳥を押し返すと、彼女の体温は呆気なく消えた。

「そう遠慮しなさんなって」

 半笑いの白鳥。

 俺は思う。ここまで女を殴りたいと思ったことが、かつてあっただろうか、と。

「現行犯で捕まりたいか?」

「いやだ、晴くんてば。今は時間外でしょーよ」

「とにかく離れろ」

「それより泉水お腹減ったんだけど」

「てめぇ……」

 拳を震わせながらも、俺は息を吐いて自身を落ち着かせる。そして、無駄だと思いながらも白鳥に訊ねた。

「ひとついいか」

「なぁに?」

「お前、遠慮って言葉知ってるか?」

「私も気になってた。晴くん、配慮って言葉知ってる?」

「やかましい」

 俺は学んだ。

 詐欺師に口喧嘩はふっかけるもんじゃない。

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