第12話・愛が重い


 俺は白鳥の言葉に硬直する。

「父親が裁判官?」

「うん」

 白鳥はオムライスの乗ったスプーンを咥えながら頷いた。

「……有り得ない。冗談はやめてくれ」

「えー本当なのに」

 裁判官って、あれだろ。法の番人だろ。そんな立派な人の娘が詐欺師とか。そんなふざけた話があるわけ……。

「……待てよ」

 俺は再び硬直した。

「ん?」

「お前、名前は?」

「今さらなに言いってるの。白鳥泉水だよ」

 白鳥はころころと笑っている。俺はそんな白鳥をじっと見つめた。

 嫌な予感。

 コイツの名前はそう、白鳥泉水。つまり、父親は白鳥という名の裁判官ということだ。そして、その名前には聞き覚えがある。

「もしかして、白鳥望裁判官か? 東京地方裁判所所長の」

「お? よく知ってんね」

「嘘だろ。お前、あの人の娘なの!?」

 白鳥望裁判官とは、紳士的な柔らかい物腰と丁寧な言葉遣い、そして柔和で老若男女問わず虜にしてしまう天使の微笑みを武器に持つ、ダントツ人気の裁判官。

「司法の天使がお前の親父!?」

「ははっ、うちのパピヨン、実は法の番人なんですヨ」

 白鳥はケロリとしている。嘘の反応はない。ということは、つまり……。

「マジなのか」

「晴くん相手に嘘をつくほど、泉水は馬鹿じゃないよ」

「彼が受け持つ裁判はいつも傍聴人が溢れ返って抽選になり、傍聴席に座る人たちはスケブを片手に被告人ではなく白鳥裁判官を見つめ、ありがたく説法を聞くという……」

「なにそれウケる」

「それだけ白鳥裁判官がすごいってことだ」

「泉水にはよくわからん」

「俺も何度彼の裁判を傍聴して彼へファンレターを送ったことか」

「マジ!?」

「ま、全部返ってきたけどな」

「私たち、やっぱり運命だったんじゃん」

 白鳥の瞳が輝く。

 これが、あの偉大な白鳥裁判官の娘?

「本当にこの単細胞詐欺師の親があんな立派な……」

「おーい、心の声漏れてるよ」

「冗談だと言ってくれ……」

「そんな驚く?」

「お前の親の顔は見てみたいと思ってたよ。だけどまさか、父親が白鳥裁判官だなんて。夢なら覚めてくれ!」

 思わず叫ぶと、白鳥の手がぽんと肩に落ちた。

「現実を見て、晴くん」

 いや、見れない。見てたまるか。

「どんな被告人でも判決後の説法を聴くとたちまち更生すると有名な、あの白鳥裁判官の娘がこれだなんて信じられるか!」

「泉水は正義の子なのよ」

「黙らっしゃい!」

 なにを悟りを開いたような顔をして。


 深く息を吐き、平静を取り戻した俺はあらためて白鳥を見た。

 容姿は完璧だ。それはもうこの際認めよう。だが。

「……お前、あんな立派な人を父親に持って、なんでこうなった?」

「真顔で言うんじゃないよ」

 さすがの白鳥も癪に障ったのか、目を細めて俺を見た。

「だってそうだろう。生きているだけで善意の塊のような人の娘がこんな」

 詐欺師。つか、部屋で元彼自殺してっけど。

 他所の子矯正する前に自分の子はどうにかならなかったのか。

「……今日ってエイプリルフールだったっけ?」

「おや晴くん。とうとう現実逃避?」

「残念過ぎてお前のパパを憐れむよ」

「パパはね、泉水のこと大好きなの。ちっちゃい頃からなにをやっても褒めてくれるの。絶対怒んないし、泉水の言うことは無条件に信じてくれるし。なんせ泉水ちゃん、探偵事務所を経営していることになってますからね」

 ……呆れた。

「お前、親まで騙してんのか」

 コイツの性格は一体どうなってんだ。

「パパは泉水がなにか事件に巻き込まれるとね、すぐに助けてくれるの」

「事件を起こすと、の間違いだろ? 被害者面するな」

「ちゃうわい。私は大体どの事件でも被害者なのよ?」

「どの口が言う」

「今回だってそうじゃん? 男が勝手に家で燃えてるんだもん」

「そもそも自分の家で人が死んだっつー日に、なんでケロリとしてやがる? お前に罪悪感はないのか? 仮にも一度愛した男がお前のマンションで自殺したんだぞ?」

 すると、白鳥は顔の前で指を振った。

「晴くんや」

「……聞こう」

「女の恋は上書き保存なのよ」

 ドヤ顔の白鳥。片手で払うように長い黒髪をふわりとわざとらしく巻き上げ、且つ鼻は上を向いている。

「え? 嘘、無反応? よく言うでしょーよ」

「知らん。俺は寝る。それ、洗っておけよ」

 もう付き合ってられん。俺は立ち上がり、白鳥に背中を向けた。

「だーかーらー! 泉水を裏切った男がどこで野垂れ死にしようと泉水ちゃんはどうでもいいの! あ、でも、だからといって落ち込んでないわけじゃないんだよ。晴くん話聞いてよー!」

 白鳥は俺の足に絡みついて離れない。

「うわ、離せ! つか他人の家でこんなにくつろぎやがって。とても落ち込んでいるようには見えねぇよ!」

「落ち込んでます。泉水ちゃんはガラスのハートだから。でも晴くん、君よ」

「……俺がなんだよ」

「晴君と運命の出会いをして、泉水は立ち直りました」

「俺らは今日が初対面だよ! 変わり身早すぎだっつーの!」


 思わずツッコむと、白鳥はペロリと舌を出す。

「俺を巻き込むな!」

「んもう、照れちゃってー」

 白鳥は俺の肩をつんつんしながら笑ってやがる。

「なんなんだよお前……そもそも今日元彼が死んだのに、刑事の俺の部屋に転がり込んでくるこの度胸。普通じゃねぇぞ」

「だって野宿は嫌だし」

 白鳥は顎をなぞりながら小首を傾げた。

「……お前、なにを企んでるんだ?」

「うーんそうねぇ。あわよくば晴くんのお嫁さんになりたい」

 ちらりと俺を意味深に見る。

「今度は俺を騙す気か! 言っておくが、俺に嘘は効かないからな!」

「知ってますよ。もちろん、晴くんを騙そうだなんてこれっぽっちも思ってません」

「パパは知ってんのか? 今日のこと」

「知らないけど」

 いいことを思いついた。

「ふん。それならあとで俺から伝えておいてやろう」

 にやりと笑いながら言うと、白鳥はおもむろに電話をかけ始めた。


「……おい、なにしてる」

「パパに晴くんの追加情報を調べてもらおうと」

 俺は光の速度で白鳥からスマホを奪った。そして床に頭をつけ、

「やめてください。ごめんなさい」

「おやおや」

 クソ。パパを使えば勝てると思ったのに。

「あーっ!」

「なんだよ、うるさいな」

「もう! 話し込んでたらオムライス冷めちゃったじゃん。晴くんも食べよ?」

「俺はもう飲んできたから」

「泉水の分あげるから」

「いいよ。一人で食え」

「一人で食べたって美味しくないじゃん」

「ガキか」

「ほら、座って」


 俺は仕方なく座り直し、頬杖をつきながら呑気にオムライスを頬張る白鳥を見た。


 その姿に、ふと疑問を覚える。

「……それにしても、お前のパパは納豆の食べ方は教えてくれなかったのか」

「バカにしないでよね。納豆は全部藁に入ってると思ってたんだよ!」

「お前こそ納豆バカにすんなよ。パックが通常版だっつーの」

「だったら私は特別版を食べて育ってきたんですぅー」

「なんだ特別版って……。あぁ、ダメだ。お前と話してると頭が痛くなってくる」

「おっ! それなら泉水ちゃんのキスであっという間に元気になっちゃうヨ!」


 言うや否や、白鳥が俺に襲いかかってきた。あろうことか、納豆で糸を引いた唇を突き出して。

「うわぁやめろ! お前今納豆食ってただろ! 来んな!」

「照れなくていいんだよ、晴くんー」

「なんか粘ってるから! マジでやめて!」

 翌日。隣人と下の階の住人から、家のポストに苦情の手紙が入れられていた。

 

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