第8話 御使の聖痕
◯
理事長との通話を切ると、グレナが男たちに振り向いた。何かを言おうとした瞬間、二人の男が苦しみ出した。
「「?!」」
「なにあれ!」
突如として男たちの胸に、怒り狂ったようなヤギの紋様が浮き出てきた。あれは、王族として生まれたならば絶対に知っておかなければならないものの一つ。
「あれは、御使の聖痕?!」
「まずいっ!!」
隣にいたグレナが焦ったような声を上げると、親指の先を噛み切って血を出し、床に何かを書き殴っていった。
「天空の覇者たる天馬たちよ、我が名はルイグアリナ。我が言葉に応え、我らを守り、敵を殲滅せよ!」
グレナが血で描いていく陣には見覚えがあった。天空の支配者とも呼ばれる天馬を呼び出す召喚陣だった。
「天馬召喚!」
陣を描き終わると陣が光りだし、馬がいななく声が聴こえた。同時に、男たちから発せられる怒る山羊の紋章も紫色に光だした。なにか危険なことが起こると、肌で感じる。冷や汗をかいているグレナの目にはまだ諦めの色はなかった。
紫の光が最高潮に達するかと思ったその時、白い馬に翼が生えた、伝説の生物たちが現れた。
「ペガサスたちよ!
グレナの言葉よりも前に、天馬たちはいななき、見えにくい結界を何重にも重ねた。何枚も重なったのち、奥にいた男たちは爆発した。
爆発の影響で何枚かの結界が割れる。その衝撃がこっち側にも届いた。爆風のような風を全身に浴びて、ぶっ飛びそうになった。机に座っていた生徒は、机の下に隠れて爆風から免れている。
しばらくして、爆発が収まった。最後の一枚の結界にヒビが入っていたが、耐えてくれたようだ。そしてその奥にあった男たちはいなかった。あの威力だから跡形もなく消し飛んだのだろう。
「はぁ、はぁ、はぁ……くっそ、キッツイ……」
グレナの小さなつぶやきを拾うと同時に振り向くと、グレナが倒れた。
「グレナ?!」
ギリギリで抱き留められたが、あと少し遅ければ受け止められなかったな。そんなことを思っていると、心配しているのか、三匹の天馬たちが近寄ってきて、グレナの顔に鼻を寄せた。
「みんな、ありがとうね……」
天馬たちの顎を順番に書いてやると、満足そうな顔をして少しだけ離れた。
「あーー、久しぶりにやると、きっついわぁぁ……魔力全部持ってかれた……」
「大丈夫か?」
「むりー……こんなことになるなら、封印解いておけばよかったぁ……」
「封印?」
「そー。私さー、昔はちょーっと強い魔術師でさー、その力、9割まで封印してんのよ……」
「9割?!」
封印していたこともそうだけど、9割も封印してて俺ら全員よりも強いって、強すぎだろ。底が見えなさすぎる。
「そー。9割。」
「グレナ……自分の正体隠す気なくしたの?」
「あれ、もしかして知ってるの?」
「ごめん、この前全部理事長から聞いたんだ。勝手に聞いてごめん。」
「いいよー、別に。もう、ここの子達には隠せないでしょうからね。やることやったら、ここから離れないと……」
俺が勝手に聞いたことはそんなに気にしてなさそうだった。だけど、すぐに表情が曇った。その理由が俺たちと離れること?
「え、なんで?!」
「なんでって、逆に離れなくていい理由なくない?」
「俺ら、まだグレナから教わりたいことあるんだけど?」
ジトっとした目で訴えると、目をパチクリとまたたいた。
「そうですよー、グレナ先生!」
「グレナ先生が何者だろうと、俺たちはグレナ先生しかSクラスの担任は認めません。」
俺の言葉にイズリアルトとアリサが便乗すると、全員が同意した。
「そーだそーだ!」
「全く。この子達は、もう。仕方ないなぁ。でも、私の話を聞いてから判断しなさい。」
「「「えぇぇぇぇ?」」」
「えーじゃないの!」
「「「はーーーい……」」」
「さて、どっから話そうかな。まず、私は数百年前の公爵家の長女だった話をしようか。」
魔力がごっそり抜けて力が入らない体を起こして、壁に寄りかかった。
公爵家の長女であったこと。
15歳の時にドジって不老魔術を行使してしまったこと。
後に十傑の魔術師と言われる10人が所属していた、王国魔法騎士団特殊部隊隊長だったこと。
グレナもその十傑の一人であること。
魔物活性化の原因が魔族が出現する前兆であること。
魔族を倒した後、グレナの力を脅威と見た当時の王族の策略によって十傑は騙され、グレナは異界に閉じ込められたこと。
その後助け出されたことを順番に話していった。
「そんなことが……」
アリサが悲しそうな顔でうつむいた。グレナはアリサを呼んで手招くと、近寄ったアリサの頭を撫でた。
「当時の王族は憎いし今でも殺したいとは思う。だけど、今の王族はそれほど興味ないから安心して。昔は昔、今は今だと思ってるから。あなたたちがこの話を聞いても怖がらずにいてくれた、それだけでいいの。」
「ですが……」
「アリサは私に何かした?」
「そもそも生まれてませんので、何も……」
「でしょ? 気にしなくていいよ。言っとくけど、シドニスも。ね?」
「理事長にも同じこと言われた。やはり姉妹だな。」
「自慢の妹だもの。その後に、この世界に戻ってきた私は、自分の力を9割ほど封印したの。本当は全部封印しようとしたんだけど、エレナに止められてね。それはやめた。」
「そりゃそうですよ。自己防衛すらできなくなりますからね。」
イズリアルトがメガネのブリッジをあげながら言った。
「理事長の止める気持ちもわかります!」
「美少女なんですから、人攫いにあいますよ?」
美少女と言われて、顔を顰めた。普通美少女って言われたら喜びそうなものなのにな。
「おばさんだっつの。まぁ、それは置いといて。あなたたちも知ってる通り、私はそこそこ強いから今までは力を封印して、魔術の研究しかしてこなかった。だけど、それも終わりが近づいている。」
「魔物の活性化、ですよね? 数百年前と同じ……」
「そういうこと。今すぐじゃない、とは言い切れないけど、まだそれほど脅威じゃない、はず……」
最後は自身なさげに言った。
「はずなんだ。」
「だぁって、魔術師弱体化しすぎじゃない?? 第三階梯があの程度って、どうかしてるわよ?! 弱すぎて!!」
「あはは……」
「本当、エレナが国防に駆り出されるわけねぇ……」
「耳が痛い……」
本来国防を担うのは王国の魔法師団や近衛騎士団なのだ。しかし、実情としては学園長であるエレナーデが国防に駆り出されている。王国の騎士が弱いと言ってるも同然で、王族としてはとても耳が痛い。
「まぁ、なにも、魔術師の弱体化は王国だけの問題じゃないのよ。」
「そうなんですか?」
「そう。王国に騙されたことで、十傑たちが王族を信用できなくなっちゃったの。だから、現世から隔絶して、隠居生活してる奴がほとんどよ。つか、エレナ以外全員よ、ぜ・ん・い・ん!」
理事長以外全員を強調した。確かに、言われてみれば、十傑という叡智の魔導士たちがいれば、弱体化はここまでしなかったように思う。まぁ、王族のせいなんだけど。
「どうりで理事長以外の誰も知らないわけですわ。」
「そゆことー。まぁ、でも。そんなこと言ってられる状況じゃないのよね。」
「「「???」」」
「魔族が復活すれば、十傑の魔術師のみでは対抗できないわ。」
「グレナが力を取り戻したとしても?」
第零階梯だったというグレナが対処できないほどの脅威とは思えなかった。
「無理ね。相当な数を減らせても、多勢に無勢。一国を守ってる間、他の国は全滅でしょうね。」
「……っ、」
その可能性に思い当たらないあたり、俺もまだまだだな。近衛騎士団で魔物を討伐していたはずなのにな。
「私ですら全国を守れるほどの大魔術なんてできないわ。それこそいるのかわからない神様だけでしょうね。」
「ですよねー。」
「では、当時はどう対処したのですか?」
「全魔導士が死ぬ気で守った。」
「シンプル……」
「実際、あの人たちも守ることに必死だったのよ。まぁ、当時は私たち特殊部隊が中心になって王国を守ってたってのもあるけど。」
「なるほど。」
「ん? 待ってください。たしか、数百年前の魔術師の実力って……」
そこでアリサが何かに気づいた。
「今よりもずっとレベル高いわよ。」
「それ……近いうちに、僕らは死ぬってことじゃ……」
「お国滅亡……」
クラスメイト全員が不安そうな顔をしだした。今よりもずっと強い魔術師がいて、やっと守れたのに、弱体化した今じゃ全滅も時間の問題だろう。どうしたら……
「だぁから、言ってんの! このままじゃダメだって。この王国も! 私たち十傑も! 全員!」
「「「は、はい!!」」」
グレナが訓練の時のような叱責をすると、全員が反射的に返事をした。体に叩き込まれている。俺もだけど。
「さて、それじゃあ……エレナー?」
ここにはいないはずの理事長の名前を呼ぶと、どこかから返事が聞こえてきた。
「はーい! ですわ!」
「うわっ、」
「理事長?! 一体どこから?!」
俺たちの後ろに理事長が出現した。転移魔法を使ったのだろう。
「ピアスから一通り会話を聞いていたので、呼ばれたタイミングで転移魔法を使ったのですわ。学園内は私のテリトリーですから、どこでも自由に出入りできますのよ。」
胸を張って言っているが、その顔は泣いたのが少しわかる。おそらくみんなも気づいているだろうが誰も指摘はしない。
「神出鬼没ねぇ……相変わらず能力の無駄遣い。」
「お姉様ったら、辛辣ですわ。それより、あの子達を呼び寄せるのですね?」
「そ。よろしくね。ついでに言うと、5日以内に来ないと、お仕置きね? って言ってくれる?」
「ふふ、畏まりましたわ。誰か。紙とペンを貸してくださらない? 紙は読めれば何でもいいですわ。」
「え、あ、はい!」
席から一番近いアリサが自分の机の中からメモ帳を取り出して、それをエレナに渡すと、エレナは4枚ほどもらっていいかと申し訳なさそうに聞いた。アリサから許可をもらうと、四枚とも半分ほどの大きさに切って何かを書いていった。
描き終わった8枚の紙は一瞬にして理事長の手から消えた。
「終わりましたわ。」
「何をしたんですか?」
「ある人物たちに手紙を書いたのです。5日後の正午にこの学園にくること。遅れたら、お姉様から楽しいお仕置きタイムですの。と書いて転移魔法で送りました。座標はある人物たちですので、今頃血相変えて慌ててますわ。」
ふふふっと笑った。イタズラできて楽しそうな少女のようだった。
「……」
「さてさて。後5日。待ってみましょうかね。」
「5日もいりませんわ。明日には来ますわよ?」
「うそーん、流石に明日は無理でしょ。」
「いいえ。わたくしが言うんですもの。絶対来ますわ。」
「じゃあ、あの子達が来てから、話の続きをしましょう。」
「グレナ、あの子達って誰だ?」
「秘密。来てからのお楽しみ〜。だから、今日は解散しましょ。今日の午後の授業はあとで教えてあげるわ。」
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