あなたのネタ、売ります買います

ハスノ アカツキ

あなたのネタ、売ります買います

 どこをどう歩いたかも分からない。

 あてどなく歩いたはずだが、まるでそこを探していたかのように曇りガラスがはめられた扉の前で立ち尽くしていた。


 あなたのネタ、売ります買います。


 宣伝にしてはあまりに控えめ過ぎる小さな貼り紙が、僕を捕らえて離さなかった。

 呼吸が荒くなっている自分に気付き、慌てて目を逸らす。

 周囲を見渡すが、誰もいない。それが少し安心させ、また不安にさせる。

 ここは、どこなんだ?

 ビルとビルに挟まれた細い路地のようだ。ビルにへばりついた室外機やら乱雑に置かれたゴミ袋やらばかりが目に入ってくる。どう考えてもこの路地へ出るビルの扉は裏口に決まっている。扉どころか窓すらなくても全く問題にならないだろう路地だ。

 なのに、目の前には僕を誘う扉がある。貼り紙があるということは、恐るべきことに正面の扉だ。いや、それとも路地を抜けて回り込めば立派な正面玄関でもあるのだろうか。

 そんなことをうだうだ考えながら、結局は中へ入ってしまう。


「いらっしゃい」


 天井まで届く本棚に四方を囲まれた狭い部屋の中央で、白髪交じりの男がこちらを見ている。しわの刻まれた顔でにやにやと何か企んでいるようにも見える。

 店主を気味悪く感じながらも、心のどこかでは胸が高鳴るのも感じた。

 本棚には、厚さも背の高さもバラバラの本が無造作に置かれていた。中には横倒しになっているものもある。

 そっと1冊取り、ぱらぱらとめくる。と、ページをめくる度、見たこともない建築物のスケッチと構造の気を付けるべき点が細かく書かれていた。建築の分野は全く分からないが、画期的な構造ということは何となく伝わる。普通の本屋に並んでいる種類の本には載っていない内容であることも。

 他の本を見遣る。マジックに関する書籍だ。僕の所望するものではない。隣はデザイン、その隣には料理、とジャンルもバラバラのようだ。

 でも必ず、どこかに僕の求める本が。

 じわりと背中流れる汗を感じながら本棚を見渡すと。

 古びた本が、僕を見ていた。

 小説に関する本。

 あった。

 この何日間かずっとずっと考えて、夢の中でも考え続けた悩みの種だ。

 この本が、先程見た建築の本のようだったら。夢のようなアイディアであふれていたら。

 今悩んでいる作品が書き上がるかもしれない。いや、今作だけじゃない。次の作品も、その次の作品も、そのまた次の作品も。いやいや、もしかすると僕が生きている内に書く全ての作品。

 ぼんやりと考え、手を伸ばす。

 これで、もう解放される。

 そう思い至ったとき。

 途端に、その本が全く必要のないものに思えた。

「お兄さん、買わないのかい?」

 にやにやと笑う店主がしわがれた声で問う。

 本当にいいのか?

 この機会を逃すと、二度と手に入らないということも何となく理解していた。

 「いいんです。まだ僕は、書くのを苦しみたい」

 そう言うと店主は満足気に頷いた。

「この店はいろんなお客さんが来る。でもね」

 とても優しい瞳で僕を、そして本たちを見つめる。

「どの本も、誰にも買われたことがないんだよ」

 ため息を吐きながら、店主は誇らしげだった。


 もう、ここへ来てはいけないよ。

 そう言った店主の声を、僕はきっと忘れないだろう。

 この先、今日のことを何度も悔やむかもしれない。

 その度に優しいあの声が聞こえるように思えた。


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あなたのネタ、売ります買います ハスノ アカツキ @shefiroth7

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