翻訳本屋の図書子さん

橋本洋一

翻訳本屋の図書子さん

 『翻訳本屋ほんやくほんや』という奇妙としか形容できない、異形としか名状しがたいネーミングの本屋は『店主が翻訳した本』しか売っていないという、なんとも奇をてらった店だった。しかし昨今の本屋離れや活字離れ、あるいは出版業界の不況の波にのまれることなく、今まで営業できたのは驚嘆に値する。


 というのも翻訳本屋には常連客が多いのだ。それは店主の翻訳センスが素晴らしいのか、それとも普段読んだことのない海外の本が陳列されているのか、はたまた両方なのかは不明だが、とにかく圧倒的な人気を誇っていた。


 とにもかくにも、翻訳本屋は地元の人間なら誰しもが足を踏み入れる本屋、というのは間違いない。熊本県の片隅、佐津市汐里町さつししおりちょうのそのまた隅にある本屋を訪れるのは、もはや住民の義務でもあるのだろう――


「うわあ。すげえ本屋だな……」


 翻訳本屋の前で驚いているのはタカシという青年だった。

 年は十七の高校生。臨時で応募していた翻訳本屋のアルバイトの面接でやってきたのだ。

 しかし、タカシは地元の住民でありながら、一度も翻訳本屋に来たことが無かった。

 というのも、彼は本を読むと眠くなってしまう体質だった。


 そんな彼が驚く翻訳本屋の外観は、一言で言えばお化け屋敷だった。

 屋根や壁にツタが這い回り、ところどころ蜘蛛の巣が張っていた。

 それでいて日当たりも悪く不気味な印象を与えている。


「怖えなあ。でもまあ、一応受けてみるか」


 本を読むと眠くなってしまうタカシが何故、翻訳本屋の面接を受けるのか。

 それは自身の体質を弱めるためだった。

 本、すなわち教科書すら読めば眠くなる体質のタカシは来年の受験に備えて、必死に改善させなければと思い立ったのだった。


「こんにちは……」


 中に入ると、そこは外観よりも綺麗で清潔感のある、本がたくさん並べられた空間だった。

 まるでイギリスの大英図書館のよう――まあタカシの印象ではあるが。


「あ。今度のバイトの子ですね」


 レジ台の向こう側にいた女性が、嬉しそうにタカシのほうへ寄ってくる。

 ポニーテールが良く似合う、素敵な女性だった。背が低くメガネをかけている。


「初めまして、和下図書子わげとしょこといいます。あなたはタカシさんですね」

「ええまあ。そうっすけど」

「ではさっそく、面接始めますね」


 そう言って取り出したのは一冊の本。

 図書子は「この本を八ページまで読んでください」と言う。


「ちゃんと感想も言ってくださいね」

「はあ……」


 タカシはよく分からないまま、本を読む。

 そこに書かれていたのは推理小説だった。

 冒頭から始まる、深刻な展開。

 タカシはいつもなら眠くなるところだったが、不思議と八ページまで眠気は来なかった。


「っと。読みました。気になる出だしですね」


 眠気のせいで八ページまでしか読めなかったタカシ。

 すると図書子は驚いたように「凄いです!」と褒めた。


「この本、続きが気になるので、絶対八ページで止められる人、いないんですよ!」

「はあ。そうですか」

「他の人は夢中になってしまって。でも、本屋で働くのにお客さんを無視して読んじゃうのは駄目なんです。かといってまったく興味がないのも駄目ですが」


 図書子はにっこりと笑って「合格です!」と言う。


「是非、一緒に働きましょう!」

「えっと、いいんすか? 店長に聞かないと……」

「あ、言ってませんでしたね」


 図書子は胸を張ってメガネを直し、タカシに言った。


「翻訳本屋、二代目の店主、和下図書子です!」

「に、二代目……」

「よろしくお願いします。タカシさん!」


 本を読むと眠くなる体質のタカシ。

 それを望んでいた女店主の図書子。

 これからどうなるのかは、結末を読むまで分からない――

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翻訳本屋の図書子さん 橋本洋一 @hashimotoyoichi

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