ミックスソルトを振りかけて
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カンジョウノレール
「――ってことで、俺があいつの心に火をつけたってわけ。すごくね? なあ、サク、そう思うだろ?」
「そうですね! やっぱりカリンくんはすごいですね!」
「だろ。それから別の話になるけど――」カリンくんは意気揚々と話を続けた。
私は、身体の内側から湧き上がる活力を感じた。カリンくんの声を聞くと、幸せな気分に包まれ、前向きな気持ちになれた。
「――って感じで、とにかく、俺がそいつを温めてあげたわけよ。だからなんとか凍え死ぬことはなかったってわけ」
「すごいです! カリンくんは命を救ったわけですね!」
「まっ、別に大したことねぇって。それより、違う話になるんだけどさ――」
カリンくんの話はいつも輝いていた。もちろん、カリンくんも輝いていた。自信に満ちた、まっすぐな光が私を照らした。カリンくんから溢れ出る陽気さが、私を高揚させた。まるで自分も、すごいことをしたかのような、そんな気分を味わうことができたのだ。……でも、それも長くは続かなかった。
「あっ、ごめんなさい、カリンくん。そろそろ時間みたいです」
「なんだ、もうそんな時間か」
「楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうものですね」
「そうだな。それじゃあ、また」
「はい。それでは、また1か月後くらいに」
私はカリンくんから徐々に離れていき、やがて声が届かないほどの距離まで離れた。
「はあー、1か月後か。また会える日までのこの時間が、私をとても苦しめるの」
心の叫びを広い空間に漂わせてみたが、虚しいだけだった。
カリンくんとの時間はとても楽しいけど、それが終わった後は胸が苦しくてとてもつらい。まるで、起伏のあるレールの上を走るジェットコースターのように、私の感情は激しく浮き沈みするのだ。
「カリンくん。早く会いたいよ」さっきまで会って話をしていたのに、もうすでにこんな言葉が出てきてしまう。「早く、会いたいよ……」
私は、およそ1ヶ月に1回だけカリンくんに会える。それは規則で決められていた。私はこの規則が憎かった。規則は私を精神的に苦しめ、そして私の息を苦しめた。
「会いたいよ……。時間を飛び越えたいよ……」
私は声を絞り出して願いを口にした。――その時。
「その願い、叶えてあげよう」目の前に男がいきなり姿を現し、そう言った。その男は白いひげをたくわえた、荒々しさをまったく感じない痩せた体のおじさんだった。
「えっ!? 誰? っていうか何? マジ、意味不明なんですけど」
「おや? カリンという奴と話している時とは、口調がまるで違うな」
「あんた、私達の会話を盗み聞きしてたの!? きもっ! マジでキモイ!」
「ふむ。どうやら、こやつには表の顔と裏の顔があるようだな。――とはいえ、それはこやつに限ったことではないが」
「なにをぶつぶつ言ってんの?」
「気にするな。単なる
「……は? まあいいや。結局、あんた誰なのよ? 盗み聞きが好きな変態さん」
「ワタシを変態と呼ぶか。なんとも失礼な奴だな」
「だってほんとのことじゃない」
「ふむ。たしかに盗み聞きをしたことは事実だな」男は、あごにたくわえた白いひげをなでながら、わずかに目を細めた。「まあ、こやつはワタシが何者であるか知らないから、このような口をきいてしまうのだ。今回ばかりはこやつの失礼を許そうではないか」
「だから、ぶつぶつとしゃべらないでよ」
「ああ、すまんな。つまり、ワタシはなんて心の広い神様なんだろうか、ということだ」
「はあ? あんたが神様? まっさかー」
「いやいや、ワタシは神だ。その証拠に、ワタシには白いひげがある」
「うーん。まあ、たしかに神様といえば白いひげだけど……」正直、この情報がこの男が何者であるかを決定する要素にはならないとは思った。でも、私はこの男が本当に神様だったらいいなと思った。だから私は、
「そうだ。……だが、君のその言葉は本心からではないな? 君の言葉には影が見える」
ドキリとした。心を覗かれてしまった気がしたからだ。「いえ、そのようなことは……」
「ワタシにはわかる。心の内を盗み見たからではない。ワタシが神であるから、そんなことは当然、わかるのだ」神様であろう男は、表情を変えずに淡々と話した。「しかし、疑うこともないだろう。ワタシが君の目の前にいきなり姿を現したことを忘れてしまったか? それがなによりの証拠であろう」
そうだった。たしかに、そんなことができるのは神様ぐらいだろう。だからこの時から、私はこの男が神様であると心から信じた。――悪魔だってありえたかもしれないけど。「それで、神様は私に何の用なのでしょうか?」
「君の願いを叶えに来たのだ。カリンとやらに会いたいと願ったであろう?」
「はい。私がカリン君に会えるのはおよそ1か月後なのです。その会えない時間がとても苦しいのです」
「うむ、知っておる。君の独り言、いや、ヒトリゴッドを盗み聞きしたからの。そして、君がその苦しみを味わなくていい方法さえも、ワタシは知っている」
「えっ、まさか――」
「ああ。時間を飛び越える力、
「なんと! さすが神様。では、まさに、今ここで、私に
「いいだろう」神様は表情を変えずに、白くて細い腕をピンと上に伸ばし、指をパチンと鳴らした。「どうだ? 力を感じるか?」
「はい! 感じます!」直感的に
すぐにでもこの力を使って、カリン君に会いに行きたいところだったが、その前にどうしても聞いておきたいことがあった。「でも、どうして神様は私に力を授けてくれたのですか?」
私の問いに、神様は相変わらず表情を変えずに「慈悲の心だ」と、ただ真実だけを述べるように言った。
その様子が私にはひどく冷たく思えた。たとえ神様であろうと、たとえ無茶なお願いでも叶えてくれる存在であろうと、もう少し愛想よく接してはくれないものだろうか。嘘でもいいから、にこやかにしてくれたらいいのに――せめて、会話らしい会話をしてくれさえすればそれだけでもいいのに。
だが、神様も同じように思ったのかもしれない。物足りない言葉を補うように、ぶつぶつと語り出したのだった。
「しかし、自分で言っておきながら、『慈悲の心』とは可笑しいものだ。実際は単なる
「あの、なんと言いましたか?」
「気にするな。単なる――」
「ヒトリゴッド、ですね」
「ああ、そうだ。わかっているじゃないか」
神様の頬が少し緩んだように見えた。でも、それはなんだかおかしいことのように思えた。だって、神様に感情があるのだろうか?
「さて、それでは、色々とありがとうございました」とりあえず聞きたいことは聞けたので、そろそろカリンくんに会いに行こう。「早速、力を使わせてもらいます」
「待て。君にはその力について説明をしなくてはならない」
「説明……」
私は説明という言葉が好きではなかった。説明には息苦しさがあるからだ。その息苦しさは規則が持っているものと同じ雰囲気を持っていた。有無を言わせない強情さ。ぶっきらぼうな薄情さ。私はこれらが示すそんな態度に、嫌気がさしてしょうがなかった。
「私、難しいことは理解できません。だから、簡単に説明してください」
「わかった。手短に言おう。――この力を使うと人が死ぬ」
「え? 死?」
「この力の代償は、人間の命だ」
神様があまりにも淡々と語るので、思わず通り過ぎてしまいそうになるが、この言葉が持つとんでもなさを、じっくりと見つめる必要がありそうだった。「……何人の命を犠牲にすればいいのでしょうか?」
「1億だ」
そう言い放った神様の口角が少し上がったように見えた。だが、気のせいだ。私の気のせいに違いない。だって、1億人の命を犠牲にするという事実に、笑みを浮かべることができる者などいるはずがないのだから。神様ならなおさらそうだ。
「なんて数なの……。いや、それより、神様ならこの代償を無しにするぐらい出来るのではないのですか?」
「もちろん出来る。むしろ、ワタシがあえてこの代償を設定したのだ」
「なんで……そんなひどいことを?」
「たしかに君にとっては、ひどいことに思えるかもしれない。しかし、私にとってはそうでもないのだ。この力――人間の命を代償とした力を手にした君が、何を考え、どんな言葉を発し、どういう選択をするか。それを観察して、退屈しのぎができるのだからな」
「……神様って意地悪なんですね」
「君を中心に世界は回っていないということさ」そう言い終えた後、神様は声をあげて思い切り笑った。いやらしさの全くない純真な様子で、涙をためながら笑った。
その姿を見てもなお、神様に感情があるのだろうか、という私の疑問は解消されなかった。――だって、この男が神様であるはずがないのだから。
「さあ、君はどうする?」こぼれ落ちそうな涙をぬぐいながら、男は私に問いかけた。「力を使うのか?」
莫大な命の代償を前にすれば、力を使うかどうか大いに迷うだろう。と、男は考えたのだろうが、すでに、私は迷いを断ち切っていた。なぜなら、私には命の重さを量ることなどできなかったからだ。しかしそれは、命を天秤にかけることなど出来ない、という道徳的な意味ではない。
「力を使うわ」
「決断が早いな。しかし、いいのか? 1億人の命を犠牲にするんだぞ?」
「私にはカリンくんが全てなの。それ以外は宇宙の塵のようなものよ。だから、比べるまでもないし、比べることさえできないわ」
「そうか。もう少し苦悩してくれたほうが、面白かったんだがな」
「あなたの思い通りにはならないわ」私がすぐに迷いを断ち切れたのは、男の思惑に乗せられてしまうことに嫌気がさしたからでもあった。――反抗心。それは、すがすがしいほどの夏の青であり、若々しく揺れる春の緑であり、そして、触れることができないほどに熱くたぎった冬の赤であった。それらは混ざり合って一筋の強い光となって私の行く先を照らした。「私は、私の思い通りに進むわ」
「くくくっ、そうかい。――さて、そうなると君とはもうお別れだな」
「ええ。力を授けてくれたことには感謝するわ。でも、それだけ。あなたに残す言葉はそれだけよ」
「そうか。では、ワタシからも最後に言葉を残しておこう。実にありがたい言葉だ」男はそう言って、開いた右の手のひらを差し出した。「君は手のひらの上を転がるボールに過ぎない。そして、君はその手からは逃れることはできない。だが、もし君がその手から逃れた時は、こぼれ落ちた自由を楽しむといい――しかし、そんな時でさえ見えざる手が君を操るのだがな。……それでも、その手の存在を憎んではいけない。手は空虚から君を救おうとするのだから。手は繋がって
私は男に対して感謝の気持ち半分くらいと、余計なお世話だという気持ち半分くらいを抱いた。そしてその割合と同じだけ、男の言葉を真摯に受け取る分と、この場に置き去りにする分に分けた。「ありがとう。ええ、たいへんありがたいお言葉だわ。それじゃあ」私は最後にそう言って、およそ1ヶ月後に
***
「サク、元気だったか?」
カリンくんの声が聞こえる。カリンくんの温もりを感じる。カリンくんの光を感じる。カリンくんが目の前にいる。カリンくん、カリンくん、会いたかったよ。
「はい。カリンくんも元気でしたか?」
「ああ。――それより、サク。この前、大量の人間が一斉に死んだみたいなんだが、何があったか知ってるか?」
「私が力を使ったから、その代償として1億の人間が死んだんです」
「あー、えっと、どういうことだ? 力? 代償? 何それって感じだ」
「私は神――いや、とある男から
「なるほどな。信じがたい話だけど、サクが言うんだから信じないわけにはいかないな。だって、サクは嘘をつかないもんな。そこがサクの良いところだと俺は思ってるぜ」
「信じてくれて、嬉しい。褒めてくれて、ありがとう。やっぱり、カリンくんは優しいね」
「そうでもないさ。それにしても、こんなに気分の良いことはないよな」
「何がですか?」
「だって、1億の人間が死んだんだぜ。それってつまり、地球が浄化されたってことじゃん。ほんの少しばかりだけどさ」
「地球の浄化? そんなの考えたことなかったよ。カリンくんは視野が広いんだね」
「人間は、自らの繁栄のために自然破壊や環境汚染を繰り返し、地球を傷つけてきたんだ。今の時代もなお、いや、今の時代の方がよっぽど深刻だった。だけど、大量の人間が死んだことによって、それも少しは抑えられたはずだ」
「つまり、私が地球を救ったってこと、かな。なんてね」
「ああ、そうだぞ。サクは地球を救った。もっと誇っていいんだぜ」
「うん!」私は身体の内側から熱くなるのを感じた。少しカリンくんに近づけた気がして嬉しかった。
「それに、サクは地球の心も救った」
「地球の心?」
「地球は、自身を壊して汚した人間たちを憎んでいたはずだ。復讐をしたいとも思っていたはずだ。そんな地球に代わってサクが人間に罰を与えた。少しばかりだが、地球もスカッとした気分になっただろうさ」
「そっか。うん、そうですね!」
「いやー、しかし、感心したよ。まさか、ここまでの度胸がサクにあったなんて。あのサクが、1億の人間を殺したとはな」
「えっ、待って。殺し……た?」
「ああ、そうだろ? サクが言ったじゃん。力の代償は1億人の命で、その力を使ったって。つまり、サクが1億の人間を殺した」
「やめて!」
「はぁ? 何が?」
「殺したって言わないで!」
「なんだよ、別に嫌がることはないだろ。まあ、じゃあ、死んだ。お前が力を使ったことで1億人が死んだ。これならどうだ?」
「……うん。それなら」私は殺したという言葉の重さに耐えられなかった。その言葉は、犠牲にした命に重さを与えた。その重さが私の心を押し潰した。そして体さえも押し潰し、私に痛みに与えた。……だが、それは幸運だったかもしれない。その痛みが私の目を覚まさせたのだ。「私、思いあがっていました。自分はすごいんだって。でも、その誇らしさは全部、私の物じゃなかったんです。私が輝いて見えたのは、誰かが私を照らしていたからなんです。私自身が輝いているわけじゃなかった」
「うーん、やっぱ、サクっていちいち重いんだよ。もっと軽いノリでいこうぜ? 人生は長いんだ。楽しんでいこうぜ?」
カリンくんの言葉は、残酷で温かかった。その言葉に
「……ごめんなさい」
「まあ、落ち込みたい時もあるか。――っと、そろそろ時間みたいだな。楽しい時間はあっという間だな。それじゃあ、また1か月後くらいに――あっ、でも、サクは時間跳躍ができるから一瞬か」
「……ごめんなさい」
「あー、そうだよな。悪い。……まあ、なんつーか、俺はサクの真面目なところ、結構好きなんだぜ。でも、重く考えすぎなところが、ちょっと心配なんだよ。なっ? だからさ、なんつーか、えっと、また1か月後、楽しみにしてるぜ」
「……うん。カリンくん、ありがとう」私はなんとか、そう言葉を吐き出して、カリンくんから徐々に離れていった。やがて、カリンくんに声が届かない距離まで離れ、広い空間に置き去りにされたような虚しさを抱えながら、私は呟いた。「これから……私はどうすれば……」
途方に暮れる私の視界に、鳥の群れが映った。その群れはエサを求めて、温かい大陸へ移動しているように見えた。規則正しい隊列を作って飛んでいた鳥の群れだったが、突如、隊列の一番後ろにいた1羽が隊列から外れ、天を目指して飛び出した。他の鳥たちは、その鳥の行動に気づかなかったのか、後ろを見たり、動きを緩めたり、などすることなく飛び続けた。
光に導かれるように一直線に天を目指したその鳥の目には、希望が満ちているように見えた。それだけではなく、うらやましいほどの高ぶりがその鳥からは見て取れた。
やがて、その鳥は誰よりも(他のどの鳥たちよりも、という意味で)天に近づいた。――だが、決して天に到達することはなかった。そして、その鳥は二度と天を目指すことはできなくなった。なぜなら、その鳥の羽は溶けてしまったからだ。
今まさにその鳥は、地へと真っ逆さまに堕ちているところだった。堕ちていくさなか、その鳥は何を思っただろうか。
――誰よりも天高く飛べて誇らしい! 天を目指すことができて幸せだ!
そう思っただろうか。……いや、そんなはずがない。
「こんなこと、しなければよかった!」そう、後悔しかありえない。その後悔は、規則に従っていれば抱くことはなかったのに。規則を破るなんて、身の程をわきまえない振る舞いをするべきではなかったのに。「ねっ、そうでしょ?」
問いかけたのに、誰も答えてはくれなかった。……それでも、別に構わない。だって、すでに私は、答えを得ているのだから。
この広大な宇宙の中で、公転軌道に従う人生こそが――
ミックスソルトを振りかけて sudo(Mat_Enter) @mora-mora
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