第52話

「ニーナちゃんっ!!」


 諜報部隊二等戦闘官、ニーナ=レンフィールドはその呼びかけに振り向いた。抑止庁第四棟の廊下でのことだ。大牢獄とも称されるこの場所で、自由に動ける人間は少ない。

 ニーナの視界を過ったのは、淡い桃色の髪。さらりと流れたその下で、夜空のような藍色の目が、きらきらと嬉しそうに輝いている。

 しかし、ニーナにはその男が親しげに話しかけてきた理由がわからなかった。彼が自分に話しかけるとすれば、レンフィールド二等戦闘官という位階つきの呼びかけでなければおかしい。


「……あれ? ニーナちゃん?」

「フライハイト二等補助官、何か御用ですか?」


 何故なら、同格とはいえ他部隊の人間だからだ。ケッヒェン=フライハイト二等補助官、またの呼称を、尋問部隊副隊長こと「親友」ケッヒェン=フライハイト。


「おかしいな……」


 もご、と彼が口の中で転がした呟きが耳に入る。しかし、彼はすぐに表情を繕い、さも親しげな顔でニーナに近づいてくる。


「用事って用事はないけど、友達に会ったら声をかけるものでしょ?」

「いつ友達になったのでしょうか?」

「うーん、オレたちずっと友達だったのに、何か怒らせるようなことしちゃったのかな……」


 大袈裟に肩を落とし、情けない笑顔を見せるケッヒェン。ニーナはそんなケッヒェンを冷たい目で見詰めている。ケッヒェンの目が、また僅かに揺れた。

 ケッヒェンは、自分が思う通りに事が進まないことに疑問を抱く。おかしい、本来なら、最初の一言で全てが決まっていたはずなのに。

 相手に気づかれずしかして並みの二等官程度なら一瞬で洗脳可能な威力の闇属性妨害系歌唱魔術。その後も強弱はあれど延々と流し続けているのに、彼女は自分の親友にならない。


「彼女はどうか知りませんけど、僕の逆鱗には触れ続けているんですよねぇ」


 そんな彼女の口から、変声期前の少年のような声が漏れた。ふふ、と歪に笑う彼女がまばたき、開いた目が澱んだ紫色に変わる。その色を、ケッヒェンはとてもよく知っていた。


「化けて出てくんなよ……!!」

「何せ「化物」ですので。彼女を引き抜こうとするのをいい加減止めてくれませんかねぇ、拷問にかけるぞ」

「他部隊の副隊長を拷問にかけたら懲罰房だからな!!」

「先輩から学びを得たんですけど、逆に考えるんですよ」

「逆に?」

「懲罰房にさえ入れば他部隊の誰であれ拷問できるって」

「そんな馬鹿な理論ある!?」


 更に、彼女が髪を掻き上げれば、その色が深い緑へと変わる。顔と体はニーナの形をしているが、その色味は諜報部隊長、「化物」へレシィ=ジェファのそれであった。

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