第36話
潜入中の宿として確保していたのは、下等でも上等でもない中等のもの。他都市から
口内に仕込んでいた進化促進剤を飲み込んだケンは、最小限の変異を起こして耳に集中する。姿形はほぼ変わらないが、
諜報部隊固有の伝達手段である指信号を使い、キルシュへ伝えたのは機械三。平凡(というのもおかしな話だが)な盗聴機と盗撮機、魔術検知機だろうとケンは推察する。
これについて宿の主人に訴えた所で、御客様の幸福のためだとのらりくらりと言い逃れされて終わるだろう。御客様の幸福のために、御客様の御不満などを聞き漏らさぬよう見逃さぬよう設置しているのだと。
都市が違えば常識も異なるため、そして
「大丈夫~……? ダメそう? 横になる? 薬いる?」
「大丈夫……薬はほしいかも……」
「わかった~……」
頷き、背嚢から取り出したのは錠剤。それは感情抑制剤と呼ばれているもの。その名の通り、喜怒哀楽を含む感情全般を抑制するためのもので、今回の使い方は本来の用途と異なるのだがーー一つ、飲み下したキルシュの顔色があからさまに変わる。
恐怖もまた感情であり、感情抑制剤で押さえつけられるものだ。アイドルの魔術に気圧されていたキルシュはもういない。す、と不自然にならない程度の笑顔を作り、わざとらしくならないように声を上げる。
「ありがとう、大分良くなったわ」
「それなら良かった~……どうする? 予定通りにする? もう少し休む?」
「予定通りにしましょう、体調は悪くないもの」
「そう~……?」
口頭で交わす意思と指信号で交わす意図は重なりつつもずれている。予定通りにするならば、貴族の居住区へ潜入するつもりだったのだ。確かに、今のキルシュならば貴族に会ったとて平気ではあるだろうけれど、この感情抑制剤の効果は長くて半日。即効性重視の短期決戦型だ。
ケンは目を閉じ、黙考する。このままキルシュの主張に従って貴族の居住区へ行くか、計画を変えて別の場所に行くか。敢えて感情抑制剤が効いている間にというのは合理的な判断にも思えるがしかし。
「なら、予定通りにしよっか~……」
「えぇ、何も問題はないわ」
問題だらけなんだよなぁ~……と、ケンは内心で呟くも。笑顔のまま佇んでいるキルシュに向かって、首を縦に振った。
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