第33話

 海上周遊都市サイレン。そこは夢と希望に満ち溢れた幸福都市。都市長たるアイドル=アイコンが運営している幸福理想公社アルファ・ユートスフィアによって、御客様へ最高の幸福が提供され続ける理想都市。



 幸福ではないならば。



 海上周遊都市サイレンは、都市民全員が幸福理想公社アルファ・ユートスフィアの社員となり、御客様へ最高の幸福を提供することこそが幸福であるとされている。

 都市民たちは幼少時から貴族が運営する学舎に通い、その適性によって様々な役職に振り分けられる。裏方を支える労働者ワーカー、華々しい演者アクター、双方の性質を併せ持つ創作者クリエイター。彼等は貴族の指示に従い、最高の幸福を提供するために働き続けている。

 それこそが、幸福なのだ。貴族は都市民の幸福のために存在している。都市民は何も考えず与えられる幸福を享受していれば良い。それこそが、海上周遊都市サイレンの在り方だ。


「いや奴隷制度~……」

「こらっ、外交問題になるでしょ止めなさいっ」


 ぼそりと落とされた呟きに返されたのは鳩尾への拳一発。抑止庁ルーラー諜報部隊の三等補助官、ケン=フント(どこにでもいそうな平々凡々な容姿のバリアルタ成人男性)と同三等戦闘官のキルシュ=サクラバ(こちらもまたどこにでもいそうな平々凡々な容姿のバリアルタ成人女性)は、さっと視線を走らせる。

 周囲に満ちているのは楽しそうな笑い声、話し声。ここには蒸気機関都市ザラマンドで横行しているような小競り合いや犯罪行為は見当たらない。何故ならば、それらは幸福ではないから。だから、先程のような暴行が見咎められればまずいことになる。無論、その直前の発言もだが。

 取り敢えず、幸福理想公社アルファ・ユートスフィアの社員には聞かれても見られてもいなかったらしい。キルシュはほっと安堵の溜め息を吐き、不自然にならない程度の笑顔を維持する。ケンもまた笑顔を作り、幸福ですよと言わんばかりの態度を取る。


「いやだってさぁ~……」

「私たちは?」

「初めて海上周遊都市サイレンに遊びに来た恋人~……」

「よろしい」


 そう、幸福でなければならないのだ。幸福でないならば、すぐに幸福理想公社アルファ・ユートスフィアの社員が飛んできて「対応」される。それがただ単にもてなされるなら兎も角、そうでないならば。


「ようこそ海乙女の都、海上周遊都市サイレンへ! 何かお探しですか? それともどこかへ行かれますか? 我々、幸福理想公社アルファ・ユートスフィアの社員は、御客様の幸福のために何でもいたしますよぉ!」

「ありがとう、大丈夫、幸福です!」

「それは良かった! 最高に幸福な一日をお過ごしくださいねぇ!」


 まだ年若くぎこちない部分のある演者アクターに声をかけられたキルシュは、にっこりと笑顔を作って答える。その演者アクターは大袈裟に喜びを表現し、立ち去っていった。

 キルシュは、また一つ溜め息を吐く。それは、先刻のような安堵のものではなく、幸福でなければ人権さえ失われる幸福至上都市の都市民を憂いてのものであった。

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