第26話

 その後、フィニスはシンク=リチュア一等戦闘官に保護された。そうして、見てはいけないものを見てしまっていたがために、心療部隊による記憶処理を施された(フィニスへの説明としては、目の前で友人が殺害されたことによる精神面への悪影響を緩和するためと言われたが)。

 故にフィニスは、またしても犯罪者に殺害されたことによって心を壊してしまい療養所へ送られた彼女の名前も、犯罪者への恐怖心によって自宅に引きこもってしまった彼の名前も覚えていない。彼女たちもまた、フィニスのことを覚えていないだろう。

 フィニスは思う。世界は正しくないことばかりだ。世界が正しかったならばこんな風にはならなかった。殺人は神が忌避されているのに。他者の権利を根刮ぎ奪い去る行為は法によって禁じられているのに。

 殺人犯は刑務として抑止庁ルーラーで働くことになったという。あの時フィニスを無視した機人の主人は殺人未遂を見逃されてまだ抑止庁ルーラーに所属しているという(そう、フィニスは後から知ったことだが、あの黒髪金目の男、サイトウは遊撃部隊の三等技官だったのだ)。

 正しくない、正しくない、正しくない。フィニスは大学校への進学ではなく、抑止庁ルーラーの入庁試験のために勉強を始めた。正しくないことは正さなければならない、正しくないことを正すためには力が必要だ。無力は罪だ、だから無力であることは正しくないことなのだ。フィニスは正しく在らねばならなかった、正しくなければならないのだ。

 元々、大学校への進学を視野に入れていたため、筆記試験の方は何とかなった。問題は実技試験だった。フィニスは高等学校で学ぶ自衛以上の戦闘力はなかった。しかしそれは正しくないことだ。フィニスはそれまであまり交流のなかった魔術担当の教員に依頼して、入庁試験までの間に魔術の訓練をしてもらうこととなった。

 歌唱魔術はその性質上、感情制御が肝要である。自分が最も発露しやすい感情を選択し、それを維持できるよう何度も繰り返し記憶を手繰る。フィニスが選んだのは憤怒、憎悪。あの時に感じた、不正への怒りを何度も何度も繰り返し思い出しては歌い、奏でた。

 そうして迎えた入庁試験当日。筆記試験は予想通り、自己採点でも余裕の合格。実技試験は三人一組で二等戦闘官に挑むというもので、これにフィニスはーー独力で戦闘官を捩じ伏せた。だって、抑止庁ルーラーの戦闘官は、正しくない。正しくないならば、憤怒の炎を以て焼き尽くさねばならない。それが正しいことで、それこそが正義なのだから。

 とはいえ、幾ら戦闘力があれど協調性に問題があると判断されたフィニスの入庁に関しては、かなり上の方まで話が飛んだらしい。らしい、というのはフィニスが入庁後、配属された初動部隊の隊長からそのように聞いたからであるが。


「……フィニス=センパフローレンス二等補助官、初動部隊副隊長として、これからも法律の番人として務めることを誓います」

「うん、よろしくね。君にはとても期待しているんだ。今回の辞令はその期待故のことだと思ってくれていい」

「ありがとうございます、以後益々精進する所存です」


 フィニスは、つらつらと脳裡を過ぎる回想から現在へと意識を戻した。銅色の制服を纏ったーー抑止庁ルーラーの長官であるカノトの目を見て、深く頭を下げる。

 そう、正義を成すフィニスは、本日付で初動部隊副隊長へと昇進した。これでもっと、正義を成すことができる。正しくない人間を一掃するための大切な一歩だ。頭を上げたフィニスは、再びカノトと目を合わせ、にこりと微笑んで見せた。

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