第17話

 抑止庁ルーラーの第三棟には職員の生活に必要な設備があり、その中には浴場も当然ある。時間がない、さっと済ませたい人間には散湯浴場。ゆっくり広々と浸かりたい人間には大浴場。それらとは別に、何らかの理由があって集団用の浴場が使えない人間のために作られた小規模な浴場。

 ヴィクスンは自身の美学と信条により、返り血を浴びるような戦い方をしないが、それでも外回りの仕事から帰ったらまず風呂に入りたいと思う程度には綺麗好きであった。


「ふぁ~、きもちい~」

「あ、フィーロ先輩、お疲れ様です」

「おつかれ~」


 煉瓦色の浴槽で四肢を広げて寛いでいるヴィクスンに声をかけたのは、マオマオ=トゥファ。結い上げた黒髪の間から柔らかそうな猫耳が突き出ている彼女は、ヴィクスンと同じ強襲部隊に所属する三等補助官である。


「副隊長がはちゃめちゃに怒ってましたよ、「白猫」様が怒るのは相当では?」

「ん~?」

「お隣失礼します……んにゃっ」

「あっははは」


 右手と左手を組み、ぎゅっと握り合わせればぴゅっと湯が噴き出す。自分の隣で湯に浸かったマオマオの顔にそれを浴びせたヴィクスンは、無邪気な笑い声を上げた。

 対して、マオマオの腰から伸びる猫の尾。マオマオは輪廻士の中でも珍しい、常時変異型の輪廻士である。本人はそれを気にしていて、隠せる限り隠しているのだが、まだ不意打ちには弱い。


「もう! 何なんですか先輩!」

「か~わいい~」

「わっ、にゃっ、あー!」


 ぷんぷんと怒るマオマオを抱き寄せて頭を撫で、そのまま喉元を擽るヴィクスン。その手つきに負けて、本能的に喉を鳴らしかけたマオマオは、うにゃー! と大声で鳴いてヴィクスンの魔の手から脱出した。

 ふーっ! と尻尾を膨らませて猫そのものの威嚇を放つマオマオだが、ヴィクスンには全く届いていない。そもそも三等補助官と二等戦闘官というだけでかなりの戦力差があり、それに加えてヴィクスンには恐怖心というものがないからだ。


「そういうのよくないにゃ!」

「あっははは」

「聞いてない!」

「ほんとにかわいい~」

「かわいいって言えば許されるとでも!?」

「磔にして飾っておきたいくらいかわいい」

「許してください……自由を謳歌していたいんです……」


 不意に真顔になって告げたヴィクスンの目に本気を感じ取り、尻尾を丸め耳を倒して命乞いを始めるマオマオ。その藍色の目は憐れみを誘うように潤み、凡百の人間ならば無条件にいうことを聞いてしまいそうな風貌だが、やはりヴィクスンには届かない。


「ダメかい? ちゃんと健康管理もしてあげるけど」

「全然断りますけど……」

「身嗜みも整えてあげるし、望むなら日光浴もさせてあげよう」

「断らせてくれません?」

「まぁでもやっちゃったらまた刑期が延びちゃうしなぁ」

「そうですよ止めましょ止めましょ」


 うーん、と眉間に皺を寄せて唸るヴィクスンから、そろりそろりと距離を取るマオマオ。そうして浴槽からも脱出し、一気に駆け出そうとしたがーー狐灯フォクシーに足を引っ掛けられて、床とぶつかる寸前に吊り上げられた。

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