第9話

 大乱闘から大惨事へと急展開した大食堂。血を見慣れない一般都市民たちの恐慌を宥め、他都市からの来訪者たちには言い訳を連ねる給養の三等官たち。救いなどないのか、と誰もが嘆いていたその時だった。


「非常時はすぐに連絡を入れろと言っているだろう」

「隊長!!」

「だって「黒鮫」が勝手に!!」

「遊撃に強く抗議してください!!」


 大食堂の厨房側、裏口から帰ってきたのは給養部隊長、砂色の短髪と棗色の目、バリアルタでは珍しい褐色の肌ーーイーツ=クッカー一等補助官。イーツは厨房に残っていた三等官たちの訴えを聞きながら荷物を置き、制服の上着を脱いだ。


「遊撃への抗議はするが、まず現状をどうにかしないと」

「先輩たちが大変なんです!!」

「隊長が帰ってきたからもう安心ですね」

「よかった……全員死ぬしかないのかと……」

「だから変な覚悟をする前に連絡を入れろと」


 深々と溜め息。イーツは耳環の中に仕込んでいた進化促進薬を舌下に押し込んだ。ぢりぢりと浸透する成分は、他の輪廻士が使っているものよりも随分少ない。そうしなければならない、理由がある。


「まだなら医療と心療に通報、俺はあの馬鹿鮫を止めてくる」

「わかりました!!」

「え? まだだったの?」

「多分誰もしてないと思う」


 わちゃわちゃと通報に走る三等官の会話を聞きつつ、非常時の対応について再度指導を入れることを決意したイーツ。その骨格が、体格が、様変わりしていく。砂色の毛皮、その先端で燃え盛る棗色の炎。

 火属性輪廻魔術イグニス・ウルスス・アルクトスによって羆の姿へと変異したイーツの体長は、凡そ八米。現在大食堂で暴虐の限りを尽くしている、トルネが変異した鮫の二倍。ずん、と重く響く足音と共に四つ足で歩き出したイーツの姿を目にした給養部隊の三等官たちから歓声が揚がった。


「やったー!! クッカーたいちょー!!」

「ありがとうございます!! ありがとうございます!!」

「あいつひどいんですよ!! やっちゃってください!!」


 口々にトルネの悪行を並べ立てる三等官たちの間を、小走りに、そして一気に加速して駆け抜けるイーツ。そのまま犯罪者たちが流した血の臭いで酩酊しているトルネに、全身の体重をかけて突撃した。

 多くの人間は、水属性の魔術に火属性の魔術をぶつけるなんてことをしない。属性の不利は魔術の威力に直結するからだ。しかして、属性の不利を覆すだけの魔力か技量があればその限りではない。実際、水属性の防壁を張っていたトルネは、火属性の棘毛を纏うイーツの一撃で吹き飛ばされた。

 内臓の破損、骨折。ごぼりと血を吐いたトルネがゆらりと尾鰭を振るい、空中で体勢を整えようと足掻く。そんなトルネの視界を遮る陰、見上げた先には跳躍からの重力を活かした殴打。イーツの前足によって鼻面を床へと叩きつけられたトルネの変異が強制解除されーー後には、完全に目を回して気絶してしまったトルネが伸びている。


「はーい怪我のない人はどいてどいてー、医療部隊のお通りだー」

「うわ遊撃じゃんまたぁ?」

「履歴抹消何人? そのまま共同墓地送り?」


 そんなトルネの横を駆けていったのは医療部隊の隊員たち。彼、彼女たちが担架に怪我人を載せて速やかに運んでいく最中、イーツはずんとその場に座り込み、摂取した薬の効果が切れるのを待っていた。

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