本屋奇譚
高柳孝吉
「本屋奇譚」
東京の俺の故郷にいる友達から、そいつん家の近所に新しい本屋が出来たというLINEがあった。今俺は故郷である東京の下町、千駄木を遥か遠くに離れた、こんな事を言っては又怒られるかも知れないがボウイと伊香保温泉がなかったらただの鶴の形をした日本の真ん中という事位しか自慢出来る事の無い田舎、群馬県に何の因果か暮らしている(いやいや、back numberや井森美幸もいるぞ!)。かつては群馬でも有数の敏腕公務員で、自分で言うのもなんだがかなりの功績を残した。ーーしかしそれも過去の栄光、今では公務員も辞めしがない三流企業のサラリーマンだ。
そいつからなんで新しい本屋が出来た位の事でLINEが来たかというと、俺は無類の本好きで好きが高じて作家になる、途中で座礁し、それでも同人誌を何十年も鋭意創作するという状況に乗り上げたまま降りて来られなくなった位の読書、文筆書きマニアだったからだ。公務員時代仕事に関わる事で書いたノンフィクションが当たりムーブメントにすらなったが所謂一発屋。それでも全く、小説や漫画に対する知識や蔵書はオタクに負けない。あ、つまりオタクか、俺は。
もっとも、唯普通の新しい本屋が出来た位の事ではそいつもわざわざLINEなぞ送っては来ないだろう。更に電話をして来たそいつの話しによると、東京まで来てくれないか、と、どうやら新しい本屋が出来たというLINEを送って来たのにはそれなりのLINEや電話だけでは語り尽くせ無い何か深い訳があるようなのだった。何か、まるで人に聞かれてはまずいように声をひそめて話す口調は、普段のあっけらかんとした明るいだけが取り柄のそいつに似つかわしくなかった。何か秘密を知ってしまって、ばれたらどうかされるとでもいうように。ーー少し怯えたような口振りだったのが気に掛かった。
そんな訳で、コロナそこのけ、有給を使って鶴の形をした群馬からわざわざ東京まで出向いた訳だ。ちょっと興味本位もあったし、コロナで暫く行けてなかった故郷にも帰ってみたかった。まさかあのような出来事にあうとは夢にも思わずに。
身寄りの無い俺を出迎えてくれるのはせいぜい昔の悪友だったLINEの送り主、海原位のものだったが、やはり久し振りに降り立った東京は懐かしくいいものだった。
千駄木駅近くの喫茶店に入り、暫く想い出話しや積もる話しもあったので会話に花を咲かせた後、海原は咳払いを一つして、ごくんと唾を呑み込み、ヒソヒソ声でこう切り出した。
「なあ、お前、『鶴の恩返し』って知ってるよな。」
「日本人で知らない奴はいないだろ、ましてや俺を誰だと思ってるんだ、小説家崩れだぞ。あのさ、それより新しい本屋の話はどうしたんだ?全く、いきなり話が飛んで『鶴の恩返し』だなんて。」
「そこなんだよ、今回お前にわざわざ来てもらった理由ってのが。」
「う〜ん、話が見えないな。」
「実はな、俺も、最初は普通の本屋だと思ったのさ、あの舞鶴書店という平凡な名前の本屋を。唯大きくてレトロな感じだけど普通の本屋だとな。ーーあの店員に出逢うまでは。」
海原はそう言うとコーヒーカップを口に運んだ。ーー中にはコーヒーなぞもう一滴も残ってないのにも気付いてないようだった。海原は周りを見回し、俺達以外に客がいない事を確認すると、声をますますひそめて言った。
「あの本屋は取り憑かれている。」
もう少しでカプチーノを吹き出すところだった。ーー『鶴の恩返し』?取り憑かれてる?一体全体何を口走っているんだこいつは。正気か?
「正気だとも。そりゃ、最初は自分を疑ったさ、あの可愛らしい店員が令和の『鶴の恩返し』のヒロインだなんて。」
今度は本当に吹き出した。口から出たカプチーノが海原の口に入った。
「ーーあの物語では確か最後に主人公が見てはいけない物を見てしまうんだよな。」
「そのかわい子ちゃんが鶴、って訳か。」
「まだそう決まった訳じゃないがな、十中八九間違いない。」
「仮にお前の言う通りその店員の正体が鶴だったとしよう。しかしだからといってそれでなんの弊害があるんだ?なんでその娘、いや鶴に憑かれなければならないんだ?ーーそもそもあの物語はそんな不穏な話じゃなかった筈だ、お前もよく知ってるようにな。そしてもう一つ、俺の問いの主眼だが、なぜこの大都会東京に鶴がいるんだ?あの話は鶴を助ける場面から始まった筈だ、それには此処が雪国でなければならない。どうしてなんだ?ーーさあ、答えてくれ。」
「どうしても言わなければならないようだな。」
ふっ、と寂しそうな表情を浮かべて言った。
「鶴を助けたのは他の誰でも無い、お前なんだよ。」
今どきでは珍しい純喫茶を出て、暫く俺達は無言で昭和の面影が残る懐かしい下町、千駄木の町をぶらぶらと歩いた。此処ら辺はいわゆる谷根千、つまり谷中、根津、千駄木とレトロな下町としてなのか今でこそ人気スポットだが、俺の小さい頃は何かこう影のある町?、あまり明るい印象はなかった気がする。ーー気が付くと、件の本屋の前に来ていた。
【舞鶴書店】
と大きく看板を掲げた四階建ての、この小さな町に似つかわしくない大きな本屋だ。
俺は本屋を眩しそうに見上げ、先程の喫茶店での会話を思い出していた。
「鶴を助けた?俺が?お前一体何の話をしてるんだ?ーーおい海原、お前何か隠してるだろ?俺に言えない何かを。」
「わかった、じゃあ言おう。お前、本好きだよな。」
「当たり前の事を聞くなよ。」
「昔、小さな頃ここいら辺に小さい本屋があったのを憶えているか?よく思い出せ。」
「う〜ん、ーーそう言えばあったなあ…木造の平屋の小さい本屋だった。」
「そしてお前は其処で群馬県の資料を調べなかったか?ーーいや、小さい頃の事だ、伊香保に関する民話だとしてもいい。」
俺は記憶の糸を辿る内、とうとう、そして確かにある想い出に辿りついた。
「ーー想い出したようだな。」
「…そうだ、俺はあの時『寂れゆく名泉』という本を読んだ。確かノンフィクション物だった、誰が書いたのかは想い出せないが。ーーそうだ、俺はあの時群馬の美しい風景に魅せられて群馬の賑わいを取り戻したいと願った。ーーなんて事だ、それ以来そんな事全く忘れてしまっていたなんて…。」
「いや、お前は忘れなかった。少なくとも心の何処かで。ーー今お前が暮らしているのは何処だ?やっていた仕事はなんだ?」
俺は無言の内に空になったかつてカプチーノが入っていたカップを口に運んだ。
「そしてその時の本屋の名前は舞鶴書店。間違いないな?ーー全ては運命だったんだ。おい、お前がかつてやっている仕事を思い出すんだ。そしてそこで物凄い業績をかつてあげなかったか?」
俺は今の現状と重ね合わせて涙が頬をつたうのを拭う事すら出来なかった。
「お前は群馬県振興なんちゃら委員会だかなんだかで仕事の一環として書いた作品かも知れないが群馬県に関する著作で大きく当てその結果群馬は一時期活況を取り戻した。しかしコロナもあって観光業界は今一番大変な時だ。ーー俺はあの書店で出会った女性店員に話し掛けた、最初は下心見え見えでな」
海原は、少年時代の海ちゃんに戻って照れくさそうに苦笑いした。
「近づくつもりが、相手は最初から知っていたんだ、何も、かも。ーー彼女は俺に言ったよ、"あたしは群馬の地の精霊だ"って。ーーそりゃ初めは耳を疑ったさ。しかし知る筈の無いお前の名前を口にして来て、この始まりの地でお前をずっと待ってるって。あの頃のように。俺はその手の都市伝説みたいなのは信じねえ方だか、これは流石に信じたね、その娘がかわい子ちゃんだってのも信じた大きな理由の一つだかな。」
「お前サクラに引っ掛かるタイプだな、絶対。」
「行ってやれ。そして約束して来い。もう一度あの頃のようにやり直すって。彼女はお前を待っている。」
海原に戻った"今の"親友は、そらを見て言った。
「ーーきっと、お前にもう一度やって欲しいんじゃないのかな、そしてお前にかつて受けた恩で、お前自身の為にも。」
それから急に真顔になり、こう付け加えた。
「『鶴の恩返し』には後日談があるのを知ってるか?ーー結局鶴は又主人の元に舞い戻り、主人を連れて二人して何処へと消えて行った、と。ーー本当かどうか知らんがな。」
「入るか。」
言って先に入ろうとする海原を制して
「俺が先に入る。お前は此処に残れ。俺に何があっても、ーーもし還って来なくても、後悔はするな。還って来なかったら、群馬の同人誌の仲間によろしく言っておいてくれ。ーー海原。」
半分泣きそうな顔で、海原は頷いて言った。
「どうした?」
「今回は世話になった。ありがとう。それから喫茶店のカプチーノ代払ってなかったけど、お前の奢りという事にしてくれ。」
俺はにやっと笑って、少年時代に建っていたあの木造の平屋の本屋に入って行った俺とダブりながら、新しい本屋の中へ入って行った。
俺がその後どうしたって?個人情報なので流出は避けると言いたいところだか、これだけは言っておく。どうやら海原が言っていた後日談などというのはそれこそあいつが一番信じていなかった都市伝説だったようだ。俺がもう一度新たに書いた著作の影響があったのか群馬はコロナ以前にも増して活況を取り戻し、俺は作家としての地位を確固たるものにした。小さなマンションだが、住みついて結婚もした。言う事無しのように見えるが、一つだけ難点がある。ーー相手が精霊と言えど、避妊具は使わなきゃいけないようなんだ。
本屋奇譚 高柳孝吉 @1968125takeshi
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