第10話 猫になりたいかも?

 公爵夫人がリーリンスを身ごもった時、妖精王ははらに宿った穢れなき魂を目にとめ、"愛すべき存在"と定めたらしい。

 リーリンスには彼女を護るための妖精たちが付けられ、妖精猫ケット・シーはその総括として実体を持ちつつ、彼女の傍についていたという。


 廃屋で見たたくさんの光の球は、妖精たちだったのだ。


 ずっとリーリンスを見守ってきたが、彼女が苦しい片恋に喘いでいるのを見て、辛抱できなくなってきたところに。

 恋の対象である俺が"魅了"にかかっていると気づき、介入しようと決めたのだとか。


よこしまな"魅了"を解かない限り、お前の目がリーリンスを映すことはないからな」


 妖精猫ケット・シーたるニィーニが言う。


 "魅了"の根源は言うまでもなくフラニーで、様々な秘薬を扱う彼女は、媚薬にも精通していた。

 密やかに、俺と会うたびに用いていたのだとか。


 まず、"魅了"を解くためフラニーと俺を引き離し、つリーリンスの素晴らしさを見せようと、俺と猫身を入れ替えた。

 そして翌日に公爵邸を訪れ、リーリンスに「いつも通りに接するように」と伝えた。


 外向きの仮面をかぶってないリーリンスは、それはもう、目の中に入れても痛くない程、愛らしい。"一緒に暮らせば、すぐに落ちる"と、猫兄は確信していたらしい。


 かなりのシスコンだ。


 さらに"兄として一肌どころか、猫肌を脱いだ"と言われた時には、あまりなセンスに毒気を抜かれた。

 もう、何をどう、どこからツッコんだらいいかわからない。人外だし。




「……話は分かった。とんでもない重罪だと思うが、法の適用外である妖精がしたこと。そして救われた部分もある。二度としないなら、遺恨は差し引く。だから早く公爵邸に帰れ。猫がいなくなったせいで、リーリンスは目を腫らしてるんだから」


 妖精猫ケット・シーがじっと、俺の顔を見つめてくる。


「なんだ」

「本当に、随分と……」

「だから、なんだ」

「いや。"魅了"が抜けたら、お前も意外に可愛げがあると思っただけだ」


 猫が首を振った。


「はあ?!」

(この猫、俺が最大に譲歩して、無罪にしてやると言ったのに!)


「リーリンスにお前の正体を明かすぞ?」

「──それなんだがな。この機会に"ニィーニ"としては、リーリンスのもとを離れようと思っている」


「なっ」


「俺は長くリーリンスとすぎた。"猫"として怪しまれず、人間ひとと暮らせる年数には限りがある」


「────あ……」

(そうか、寿命として不自然じゃない年数……)

 

「別の姿で見守ることになるが、それは"ニィーニ"じゃない。猫は死に際を飼い主に見せたがらないから姿を消した。リーリンスにはそう説得しておいてくれ」


「…………」


「どうした?」


「リーリンスは……、自分が飼い猫を巻き込んだと思っている」


「ん?」


「"ニィーニ"が自分を案じてついて来て、その結果、重傷を負ったと、すごく責任を感じて塞ぎ込んでいるんだ。このタイミングでいなくなると、彼女は一生自分を責めるかも知れない」


「……つまり?」

「つまり、いなくなるなら、別の機会にしてはどうかと言いたい」

「お前は、それでいいのか?」

「俺?」

「俺は由緒正しい妖精猫だが、お前から見たらおそらく得体の知れない猫だろう。そんな相手を婚約相手のもとに置いておけるのかと聞いている」


(うっ)


「そ、それは」

「だろう?」


 だがリーリンスの泣き顔が頭をよぎる。

 あんな悲しい顔はさせたくない。


 そう思っている自分に気づいて、疑問が口をついた。


「……俺はもしかして、リーリンスのことが気になってる?」


「────!! まだそこ・・なのか?!」


「え」


「なんてヤツだ、まだそんな段階なのか。"魅了"を使いたくなるはずだな、おい。まったく世話の焼ける──! ええい、俺をリーリンスのもとに連れていけ! 当分お前たちを見ててやる」


「えっ、え?」


「お前が"猫"を見つけて、魔術師に"治癒"させたことにしていい。点数稼がせてやるから、さっさとしろ」


「今から? もう夜も遅いのに、公爵家に失礼だろう──」

「リーリンスは夜通し泣くぞ?」

「あ、ああ」




 猫兄に急かされて、公爵邸を訪問し。

 喜びに破顔して、輝くリーリンスを見て。


 別れ際、猫に「いいか、俺を戻したのはヴィクター、お前だからな。後悔するなよ」と、わけのわからない念を押され。


 翌日、事情聴取という名目でリーリンスのもとを訪れた俺は、早速後悔した。



「この猫は、何をしているのですか」


 引きつる顔の筋肉を抑えながら、リーリンスの胸元に抱かれた猫を見る。


「あ、これは"ふみふみ"といって柔らかいもの・・・・・・を前脚で押すんですよ。母乳をねだる時の仕草らしくて。本来は仔猫がするのですが、飼い猫は成猫オトナでもやるコがいるんです。甘えてきてる証拠で、すごく可愛くて」


「自称"兄"が──、そんなことをしてもいいと思っているのか」


「え」


「コホン。いえ、独り言です。俺にも猫を抱かせてもらっても?」


 耳元で凄んでやろうと手をのばすと、さっとリーリンスの腕の中から、猫が脱して地に降りた。

 こちらに目も向けず、ペロペロと前脚を舐めている。


妖精猫ケット・シーめ! リーリンスの前でだけ、猫かぶりやがって)


 ふるふると握る拳が震える。


("ふみふみ"、俺は知らなかった。あんなこと一度もやってない。リーリンスの胸に触れるなんて──)


「ヴィクター殿下? どうされました?」


 覗き込むように、リーリンスが尋ねてくる。


「ああいえ。猫が見つかって、良かったと思って」


 俺が誤魔化せば、ぱっとリーリンスの笑顔が咲いた。


「本当に! ヴィクター殿下のおかげです」


「──あなたがそんな風に笑うことを、俺はずっと知らなかった」


 猫になるまでは。

 そして今こんなにも目が離せない。なんだ、これ。


「す、すみません。はしたない真似を」

「そんなことはない! とても可愛いくて、もっと笑って欲しいと……思……う。え?」


 俺はいま、誰に何を言った。


 一気に耳まで熱くなる。

 猫をやっていた時「可愛い、可愛い」と言われ続けたせいで、つい「可愛い」という言葉がゆるみ出た?


 リーリンスの頬が、春の薔薇のように柔らかに色づく。

 ああ、このまま。花のようなリーリンスを見ていたい。


 春も夏も秋も冬も。きっとどの季節でも、彼女は綺麗だろう。


 虫がいいかも知れないけど、婚約破棄が成立しなくて良かった。

 これからも。


 婚約破棄なんて、絶対にしない!!

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