第9話 入れ替わりの相手

「お前、無事で──? どこにいたんだ? どれだけリーリンスが泣いたことか!」


 自分がさらわれたショックより、愛猫が怪我をしたままいなくなったと気づいてからのリーリンスは、痛ましいほどに嘆き悲しみ、どんな慰めも届かなかった。


「にゃあ」


 すっと、窓から室内にニィーニが入ってくる。

 

「……? 待て。お前、怪我は?」


 ぱっくりと斬られていた腹の傷は消え去り、長い毛に血の塊りがついていることもない。


(ニィーニだよな?)


 自分の姿として、二週間見てきた。

 縞の位置、その濃淡まで、嫌になるくらい記憶している。


(そういえば、左の後ろ脚に特徴的な模様があったよな?)


 本猫ほんにん確認のため、後ろからのぞき込もうとしたら、声が聞こえた。


「どこを見ようとしているんだ、この変態」


(? いまのは誰だ?)


 声の主を探していると、目の前から「こっちだ、ヴィクター」と呼びかけられた。


「────! 猫が喋った!!」



 ニィーニの翡翠色の瞳と目が合う。どう見ても理知的だが。


「いやいやいや、そんなはずはない。猫は喋らない。幻聴だ、俺は疲れてるんだ、なんなら人間に戻ったばかりの後遺症で……」


 だが念のため。


「お前っ、何者だ!!」


兄だよ・・・、リーリンスの」


 問いかけると、間違いなく返事があった。

 猫から。しかも"兄"?


「ふざけたことを。リーリンスに弟はいても、兄はいない」


「本当さ。血はつながってないけど。"ィニ"って呼ばれていただろう?」


「あ、あれってそういう……」


 危うく納得しかけて、持ち直す。


「"ニィーニ"は名前だろう?!」


「ふふん。幼い頃のリーリンスが俺を兄と慕い、舌足らずに可愛く"ニィニ"と呼んでいたのが名前として定着したのだ」


 猫が自慢げに鼻を鳴らす。


「公爵邸のやつら、名づけがいい加減……」


 思わず本音がこぼれたが、それ以前に。


 なぜ俺は猫と対話をしているのか。


 今日の昼まで、俺自身も猫だった。

 非現実的な場面に触れすぎて(もう、どうとでもなれ)という気もしてきている。


「お前も俺のことを"兄"と呼んで良いぞ。そうだな、義兄上あにうえさま、となら呼ばせてやろう」


「なんっ!?」


「未来の義弟だからこそ、助けてやったんだ。その肉体からだ、"魅了"は抜けてただろう? 内から浄化してやった」


「!」


「精神に染み込みかけていた分は、解毒の魔石・・で消えたはずだ」


 魔石────。


「俺を猫にして、俺の身体を乗っ取っていたのは、お前か!!」


 見知った猫だと、リーリンスの大切な猫だと、つい気を抜いていた。

 瞬時に血が沸き立つ。


 そんな俺に、目の前の"猫"が淡々と言う。


「なんて言い草だ。それに今更の警戒だな。こちらとはしては感謝されこそすれ、恨まれる筋合いはないぞ」


「何を────」


「あのままならお前、悪女に操られたまま、身を持ち崩していた。見捨てても良かったが、リーリンスが泣くと思ったから、手を貸したんだ」


「……お前は、何者だ?」


 先ほどと同じ問いを、もう一度。猫の呼吸すら見逃すまいと視線を定めて、発した。


妖精猫ケット・シー。妖精王から、その"愛し子"たるリーリンスにつけられた"り役"だ」

 

「"妖精猫ケット・シー"……?」


「そうだ。人間ごときに膝を折る必要も、こうべを垂れる位置にもない、崇高なる存在だ」

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