第3話 公爵令嬢は"白"
「ニィーニは、今日もすごく可愛いわね」
自ら飼い猫にブラシを入れつつ、リーリンス・ベルシアはニマニマと相好を崩す。
(おい、あまりニヤけすぎると顔ごと溶け落ちるぞ)
大人しくブラシを受け入れながら、現在、猫をやっているヴィクターは、心の中でツッコミを入れた。
「うふっ。うふふふふふふ」
とうとう思い出し笑いを始めた公爵令嬢に、(末期だな)と呆れた目を向けるが、彼女は気づかない。
あの日、ヴィクターの意識が猫の身体に入ってしまった日以来。
リーリンスは"王太子"と良好な関係が続いているらしかった。
檻からは早々に出ている。
ヴィクターが落ち着いたふりをして前脚を揃え、じっと見上げたら、「可愛い! お利口! ウチの天使を閉じ込めておくなんて無理」とすぐに鍵が外されたのだ。
リーリンスは、重度の猫バカだと判明した。
「聞いて、ニィーニ! 今度ヴィクター殿下とオペラを観に行くことになったのよ! あああ、何着ていこう」
「ギャニャッ!」
いきなり抱きしめられて、猫的には大いに迷惑! 動物虐待反対!
感情を表に出さず、氷のようだと評されていたリーリンスの本性がコレとは。
毎日のように
「殿下とこんなにたくさんお話しが出来る日が来るなんて、夢にも思わなかったわ」
(それ、"俺"のニセモノだけどな)
依然として、なぜ自分の身体が勝手に動いてるのか。
どうしてリーリンスに甘やかなのか。
不明。
しかも、効果的な政策を次々と打ち出し、有能という名を欲しいままに活躍中と聞いて、猫の中のヴィクターは
私利私欲に走っていないようなので、いまは黙認……するしかないが。
そもそも、
はじめは檻から出てすぐ、王宮に戻ろうとした。
だが、屋敷から出ようとすると、身体が痛んで動けなくなる。
猫が体内に取り込んだらしい魔石が何かに反応し、全身を縛るように作用するらしかった。
二週間近く経ち、やっとその効果も薄れてきている。
そろそろ元に戻れるのでは。
戻れなければ、どうすれば。
焦る気持ちもある中、毎日リーリンスの新鮮な一面を発見してしまい、好奇心からつい現状に甘んじてしまっていた。
うきうきと弾むように、リーリンスはいろんな出来事を語ってくれる。
プリンとスープが大好きだと知った。
簡単なクッキーなら作れるけど、成功率は6割もないと学んだ。
黒焦げクッキーのイケニエは公爵で、口にした者の末路に慄いた。
悲しい時は、じっと肩を震わせて耐える性格だとわかった。
(ま、まあ、リーリンスを探ると思えば、未来に繋がるしな)
優秀で模範的な令嬢であるリーリンスは、けれども裏で相当悪質なことをしていると聞いていた。
身分をカサに、下位貴族に無理を強い、陰湿な嫌がらせをする。法律で禁止している秘薬の取り引きをして、利を得ている。
フラニーから提供された、リーリンスの悪事の数々。
その証拠を得ようと彼女の近辺を探らせても、
実に巧妙に隠している。
従ってヴィクターは、この機に自ら探索することにした。
▽
(このクローゼット奥の箱に、違法な薬が!!)
「きゃああ、ニィーニ!! それは私の失敗作の刺繍よ!!」
箱から血の跡びっしりのハンカチが何枚も出てきた時には、引いた。
ぎこちない刺繍で刺されたモチーフは、いつだったかリーリンスからプレゼントされたことがある模様で。
稚拙な刺繍に、なんの嫌がらせかと思っていたが、単なる不器用の精一杯だった。
▽
(ならば、この二重底になっている机の引き出しにある冊子が!!)
「やめてぇ、ニィーニ!! 私の愛の詩は、封印しておいてぇぇぇ」
恥ずかしいくらい"ヴィクター"を褒めそやした言葉が、びっしりと綴られていて、危うく
世に出してはならん禁書という点に、全面同意した。
▽
(ベッドの天蓋? よもやこんな場所に秘密書類を隠すとは!!)
「だめぇ、ニィーニ!! 幼い頃、ヴィクター殿下からいただいたイラスト入りバースデーカードなのぉぉ! これがあると、良い夢が見れるのよぉ」
己が描いた直筆の過去絵に、爆死した!!
証拠隠滅で破こうとしたが、リーリンスに取り返された。無念!!
▽
(リーリンスは"
どっと疲れながら、
(きっとフラニーの思い違いだ。リーリンスはどこか抜けてるから、何者かに悪く仕立て上げられたのだろう。それをフラニーが真に受けたんだ)
リーリンスの男遊びが激しいという噂だってそうだ。
ずっと見ていたが、リーリンスに他の男の影など、まるでない。
むしろ残念なほどに、異性からの好意に
彼女の従兄が訪ねてきた時、相手のアピールは
こいつ、自由恋愛だと一生嫁に行けんのでは、と思うニブさだった。
せっかく美人なのに、リーリンスから男を捕まえに行くのは無理そうに見える。
さらにニセ俺に対して「ますます惚れてしまう」と悶えていたリーリンスを見ると、どうやら彼女は婚約者を嫌っていたわけではない、ということも理解した。
…………。
自分との婚約は"破棄"ではなく、"白紙に戻す"という方向で検討しても良いかも知れない。
それならリーリンスの経歴に傷もつかない。
公爵家が求めれば、あっという間に次の婿も決まるだろう。
(俺はフラニーと一緒になるつもりだから、リーリンスとの婚約は続けられないが──)
フラニー、もうずっと会っていない。
彼女は何をしているだろうか。
最近、王宮の"俺"はリーリンスばかりを構っているようだから、
元に戻ったら弁明して、ご機嫌をとってやらないと……。
ヴィクターが思案していると、使用人が顔をのぞかせ告げた。
「リーリンスお嬢様、お客人がいらっしゃいました。フラニー・ルーベ男爵令嬢です」
リーリンスと猫が、同時に顔を上げた。
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