第2話 王太子、猫になる?

(これは一体どういうことなんだ!!)


 ヴィクターは、混乱の最中さなかにいた。


 自分は確かに夜会の席にいたはずだ。

 

 可愛げのない婚約者、リーリンス・ベルシアに絶縁を叩きつけるため、意気込んでいたのに。

 いざ破棄を申しつけようとした途端、"見えない何か"に足を大きく引っ張られた。


 バランスを崩し、段を落ちた、と思った直後、目を開けたら別の場所にいて。


 そこが何度か訪れたことのある、公爵邸の一室だと気づいた時は夢だと思った。

 続いて、自分が猫になっているとわかり、それが現実だと確信した後は、大混乱パニックした。


 良からぬ者の"術"にでも絡みとられたか。

 急ぎ身を明かし、王宮に伝えて、元の姿に戻らなくては。


 慌てて屋敷の使用人たちに命じたが、出てくる言葉は猫の鳴き声。

 公爵邸の使用人は俺が王太子だと気づきもしないで、右往左往するばかり。

 らちが明かんと部屋を出ると、今度は捕まえにかかった。


 さては公爵家がらみの陰謀か!!


 あせあばれるうちに捕まってしまい、檻に閉じ込められた。


 間違いない。ベルシア公爵家の反逆だ。

 俺を猫にしたのは、公爵家の陰謀だろう。


 そのうちに、のんきな顔をしてリーリンスが帰宅した。

 わかっているくせに猫姿の俺を覗き込み、「どうしたの」などと、白々しい問いを発する。


(お前が悪女であることは、フラニーから聞いてよく知っている。これまでさんざんフラニーを虐めたことも。俺にまで手を出すとは、大それた事を!)


 一矢報いてやろうとした爪は、ケージに阻まれ、ろくに届かなかった。


 俺がいなくなったら、王宮で騒ぎが起こるはず。

 城の魔術士たちも気づいて、すぐに迎えが来よう。


 事を明るみにし、必ず公爵家を潰してやる。


 煮えくり返るはらわたをなだめつつ、檻の中で一夜を明かした翌朝、ヴィクターは絶望ともいえる光景を見た。


 目の前に自分が。紛れもないヴィクター・ランデルが立っていた。


 


 公爵家を訪問した"俺(の身体)"は、明らかにめかしこんで、大きな花束をリーリンスに渡している。

 にこやかな笑みを満面にたたえ、リーリンスに昨夜驚かせてしまった詫びを述べている。


 その内容から、婚約破棄がなされてないと判明した。


 それどころか、あろうことか"俺"が!

 夜会でリーリンスと仲睦まじく過ごしたらしいと知る。


 待て、ならフラニーはどうしたんだ?

 俺のフラニーは! 


「これまで寂しい思いをさせてすみませんでした。俺の非礼を許してくださいますか?」


 "俺"が、俺の声で、リーリンスに柔らかに告げている。


(やめろ! 何をしている!! お前・・は何者だ!!)


「ニャーッ!! ニャーニャーニャー、ニャアアア!!」


 檻の中で叫んでいると、リーリンスと"俺"がこちらを向いた。


「ところで、あの猫は? どうしたのですか?」


 "俺"が問う。


「あ、わたくしの大事な飼い猫なのですが、昨夜から様子がおかしく暴れますもので……。無茶をせぬよう、やむを得ずケージに入れております」


 "いつもは屋敷内で自由にさせているのですが……"。


 目を伏せて、悲しそうにリーリンスが答えている。

 その様子が演技には見えず、思わず目を疑う。


(中身が俺だって知ってるはずだろ。わかっていて閉じ込めてるくせに)


 俺が猫にされるという陰謀が、リーリンスのせいなら。


(……まさか本当に知らない、のか?)


 なら、誰の仕業だ?


 王太子業には敵が多い。

 どいつが俺を都合よく排除しようとしたのか。

 疑わしき犯人候補たちを脳裏に浮かべていると、リーリンスが言った。

 

「ニィーニは。このは、わたくしが生まれた時から居てくれた兄のような存在です。大切な猫なので見ていると痛ましく、原因がわからないので獣医を呼ぼうと考えておりました」


 リーリンスとは長いが、彼女のプライベートは殆ど知らない。

 関心がないから、猫を飼っていたことも昨日初めて知った。


 いやそれよりも。


(リーリンスが生まれた時から? 彼女は17歳だぞ。つまり17年以上?! 待て待て。猫の17歳といえば、老猫ろうびょうじゃないか。寿命は大丈夫なのか? 感じるところ体に不具合はないから、急にポックリということはないだろうが、冗談じゃないぞ)


 早くこの猫の身体から脱しなくては。


 だが俺が"俺"として存在している以上、城抱えの魔術師たちが気づくのは遅れそうだ。

 おまけに閉じ込められていて、猫の声しか出せない。どうやって外部に連絡を取れば……。


 悩んでいると、人間の"俺"が近づいてきた。

 檻を覗き込むように、身をかがめる。 


「原因なら……。何か魔力の影響を受けた痕跡がありますね」


(何!! わかるのか?!)


「わかるのですか? ヴィクター殿下」


 俺とリーリンスの反応は、ほぼ同時だった。


(よくぞ聞いた、リーリンス!)


 俺の気持ちを代弁したかのようなリーリンスに、人間姿の"俺"が答えるには。


「漂う魔力を感じます。もしかすると魔獣を仕留め、体内の魔石ごと食べてしまったのかもしれません。魔石の効力は薄れてきているようなので、二週間ほどで消えるでしょう。いつも通り接するうちに、猫も落ち着くと思いますよ」


(落ち着くか──!! 俺は"猫"じゃない!!)


 くっ、駄猫め! 魔石だなんて、小型の魔獣でも狩ったのか?


 魔石の中にはいろんな効果を持つものがある。珍しい魔石なら、こんな現象もあるのか?


 だが、なぜそれで会ったこともない猫に、俺が取り込まれるんだ。


 とりあえず魔石効果は、永続的でないものが殆ど。


 今回の見立てが"二週間で消える"ものなら、俺が元に戻れる日は遠からず来ると言うことだ。

 まさか猫として定着して、大人しくなるという意味ではないだろうと信じたい。


 にしても二週間とは。結構な長さじゃないか。それまで檻の中なんて嫌だぞ。



「いつも通り、ですか?」


 リーリンスが首を傾げながら呟く。


「ええ、いつもはどうされていますか?」


「いつもでしたら……、料理長が猫用の食事も用意して、後は自由に過ごさせ、わたくしの話相手になって貰ったりしていますわ」


「話し相手?」


「あ、いえ、話しを聞いて貰っているという意味です。膝の上だったり、ベッドの中だったり」


(なに?!)


「それからお風呂に入れたり、ブラッシングしたりしております」


(ま……待て。膝の上? 風呂? リーリンスと?!)


 俺はもちろんフラニー一筋ひとすじだ。

 婚約相手はリーリンスだが、親が勝手に決めたこと。

 心を捧げた相手は、自分で見つけた恋人、フラニーだけ。


 フラニーを裏切るような行為は、控えねば──。


 波立つ心に、己の意志を固めていると、人間な"俺"が言った。


「それは良いですね。ぜひ穏やかに過ごさせてやって……。ああでも。一緒のお風呂とベッドは避けておきましょうか。俺がいてしまう」


(お前っ、俺の口・・・を使って何を言ってるんだ)


 目が点になりかけたヴィクターは、対するリーリンスの反応でさらに一時停止した。


(真っ赤……だって?)


 顔をそむけた彼女が、人間姿の俺からは見えないだろう死角で、盛大に赤面していた。

 

 いつもの自分なら、"無言でそっぽを向かれた"と受け取ったであろう行動。

 なのに、まるで嬉しさを噛み締めるかのような表情で、照れを押し隠している。


(──あんな顔、初めて見た)


 まるで無垢な少女そのものなリーリンスの様子は、フラニーから聞いていた"男遊びを重ねている女"のようにみえない。


 もし男を喜ばせるための赤面なら、わざわざ顔を隠さないだろう。


 男と見ればすぐに色目を使うのがリーリンスだと、彼女はそう言っていた。

 自分を縛りつける《婚約相手》の存在をいとい、だから俺と目も合わせないのだと。


 俺がリーリンスにとって、"気になる男"の範疇外なのは、腹立たしかった。

 そんなに男が漁りたいなら、望み通り婚約を解いてやると憤慨していた。


 なのに、これはまるで。


(俺に好意があるみたいな反応じゃないか)


 呆然とケージの中から見ていると、人間姿のヴィクターが頷いた。


「ああ、"猫"もだいぶ大人しくなりましたね。これならよく言って聞かせれば・・・・・・・・・・、ケージから出してやっても大丈夫かもしれません。けれど、あなたの綺麗な指に傷をつけるなんて」


 昨晩、ネコがひっかいた部分に目を止めたらしい。人間な"俺"が、剣呑に目を細めた。


「もしまたそんなことをすれば、二度と望む場所・・・・・・・に戻れない・・・・・と知るべきでしょうね」


(! いまの含みのある言い方、お前まだ何か知って──。あっ、待て! 帰り支度をするな)


「ニャアァァァ──!!!」


 俺の制止をよそに、人間な"俺"はリーリンスに挨拶をすると、政務があるからと公爵邸を出ていく。


(何が政務だ!! "俺"が俺を置いていくな! 戻れ──っっ!!)


「ニャアアアアア──ッッッ!!」


 むなしくも猫の言葉は、誰にも届かなかった。

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