後編

「初めて会った時から好きだった。俺と付き合ってほしい」


 何か特別な出会いをした訳ではない。

 大学に入学し、たまたま同じ講義で、たまたま隣に座った女の子。それが、結衣だった。


 それなりに勉強をした。それなりの大学に入った。

 そんな平凡的な生き方をこれからも繋げていくのだろうと思っていた俺は、不意に現れた彼女に世界を割られた。



 庇護欲をかりたてる華奢な身体。

 ゾクっとするほどに恐ろしく整った顔。

 同じ世界軸の存在だとは思えない独特な空気感。

 

 異常な程に、俺は結衣に惹きつけられた。


 脳天から"自分はこの子と結ばれなければいけない"と指示されているかのように、彼女を手に入れたい衝動が止まらない。

 これ程までに突き動かされる感覚は初めてだった。



 それから俺は、約一年をかけて結衣にアプローチをする。周りからも付き合っていると思われているほど、俺達の関係性は良好だった。


 間違いなく、受けいれられる。そんな確信を持った大学二年の春。

 告白の返事は、呆気ないものだった。

 


「……ごめんね。修平とお付き合いはできない」


 想定外の反応に、俺は言葉を失った。

 その言葉が現実で、今までがただの夢だったのだと頭が理解した時には、既に情けなく涙が流れていた。


 そのまま立ちつくすことしかできない俺に対して、結衣は無表情で俺の顔を覗きこむ。

 

 そして、ある呪いをかけた。


「……お付き合いは出来ないけど、修平なら身体を売ってあげてもいいよ。どうする?」


 何を言っているのかわからない。

 わからないながらも、もう俺はただ結衣を求めることしかできない人間だった。


 だから、その言葉の奥にあるものなんて考えることすらしなかったんだ。


 ただ、欲望のままに結衣を買った。

 そして、彼女の真意はわからないまま俺は溺れ続けた。


 

◇◇◇◇



「……結衣、話がある」

「どしたの?」

 

 そんな関係を一年続け、また春がきた。

 

 一年経ち、身体を重ねても満たされないものの方が大きくなっている自分に気づいた。

 俺が欲しいのは彼女の全てだ。心に触れられないことの虚しさが募り切ったのだろう。


 想えば想うほど、積み重ねる千円札が俺の心を締め付けていく。


 だから、一度呪いを解いてみようと思った。

 何かを変えたかった。

 この寂しさから解放されたかった。


「この関係、終わりにしようかと思う。本当の意味で結衣の事を手に入れられないなら……もういい」

 

 彼女だって俺からは離れられない。そんな驕りも実はあった。

 嫌だと泣かれて、正式に彼氏彼女の関係になろうと迫られる。そして心がやっと繋がるのだと。


 だが、そんなものはただの妄想だ。


「そっか。了解ー」


 そのまま、背を向けて歩き出す結衣の姿を見て全身から冷や汗が吹き出した。


 こんなに呆気なく終わるのか。

 結衣にとって、俺はやっぱりその程度の存在で……二度と結衣に触れられない? 近づけない? 結衣の中から俺がいなくなる?


 嫌だ……嫌だ……嫌だ……嫌だ……嫌だ……


 動悸が止まらず、視界が歪む。 

 身体が冷たい。呼吸ができない。

 ああ、やばい。そうか、俺はきっともう――



「修平。一つ教えてあげるよ。なんで、私は修平に身体を売るのか」

 

 聞き慣れた声が頭に響くと共に、視界が戻る。目の前には結衣がいた。


「修平は私を手に入れられなきゃ、死ぬでしょ。それが嫌なだけ」


 まだ、回りきっていない頭で結衣の言葉を受け止める。

 そして、ぼんやりと気づいたことがある。

 ずっと俺は結衣に呪いをかけられているのだと思っていた。

 

 でも、違う。

 呪いをかけていたのは、俺の方だ。


「でもね、私の心は誰にだってあげられない。だから、線をひいてるの」


 そして、この0.1ミリメートルは防衛線だ。

 その距離がなくなってしまったら、俺達は共存していくことができない。


 俺に情も愛情ないと言った彼女の、最後の優しさがこの隔たりなんだ。 


「結衣。俺――」

「余計な言葉はいらないよ、修平。だから、本当に最後に聞く。……どうする?」


 俺は無言で、鞄から財布を取り出す。

 そして、その距離0.1ミリメートルの果てしない隔たりを取り出し結衣に渡した。



 結衣は笑った。

 その笑顔は、背筋が凍るほど綺麗だった。

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0.1ミリメートル先に君がいる フクロウ @hukurou1453

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