0.1ミリメートル先に君がいる

フクロウ

前編

「そういえば、修平。今日の分まだ貰ってないよー?」


 ペット脇で半裸の結衣が、シャツを着ながら陽気にこぼした声で現実に引き戻される。

 

「……俺の鞄の中に財布入ってんだろ。勝手に抜いてけよ」

「だーめ。そんなの、私が泥棒みたいじゃん。ちゃんと修平が"お支払い"をする。それが、大事なのだよ」


 恐ろしく整った顔を振り向かせながら、結衣は俺に意地悪く言う。

 俺は仕方なく、どこかに消えた下着を探し出す。


「布団の中じゃないのー? 修平、いつも適当に脱ぐんだから」


 結衣の言う通り見事に掛け布団の中に潜り込んでいた下着を履き、気乗りしないまま自分の鞄まで足を運ぶ。

 そのまま中に入っている財布から一番価値の低い札を取り出し、結衣に渡した。


「ほらよ……千円な」

「はいよ、毎度ありー」


 こんな金額で喜べるのは小学生くらいだ。

 しかも、それ以上に理解不能な行動をコイツは毎回してくる。


 結衣はその千円を自分の財布にしまうと共に、別の千円札を四枚取り出し俺に差し出す。


「じゃあ、これホテル代割り勘ね」


 フリータイム代の半額をニコニコと渡してくる結衣の顔を見て、俺はため息を吐きながら受け取った。


 無造作にそのお金を鞄に放り込みつつ、煙草を一本取り出しマッチで火をつける。

 煙をふかしながら、不機嫌に結衣に問いかけた。


「……結局、結衣は何がしたいんだよ?」

「何が?」

「俺らの関係の話しだよ」


 俺の質問に、少し間が空く。視線を向けていない為分からないが、確実に結衣は怪訝な顔を浮かべているだろう。

 この話を切り出すと、いつも彼女は少し崩れる。


「修平。私はあなたに身体を千円で売ってる。あなたは、それを買ってる。それ以上でも、以下でもない関係だよ」

「だから、何の為に? 千円で身体売って、ホテル代は割り勘で払ってたらマイナスだろ。それで彼氏、彼女でもないって言うなら、セフレじゃねえか」


 結衣は、目線を合わせない俺の視界に無理矢理入り込む。

 俺の瞳に対して何かを圧倒的にねじ伏せるような目を向けながら、単調な口調で答えた。


「セフレってね、僅かながらでも愛や情があるの。でも、私にはね修平への愛も情もないの。言ってることわかる?」

「……わかんねえよ」

「じゃあ、さっきの言い方以外の表現でわかりやすい言葉に置き換えてあげる。"売春"してるだけ」


 結衣は身体を売る。俺はお金を払う。

 それ以上でも、以下でもない関係性。

 愛も情もない、ただの売春。


 そんな言葉達がジワリジワリと俺の心に刺さりこんでいく。


 ただ、そんな非情とも言える言葉達を受けても結衣との関係が切れないのは、俺が彼女のことをたまらなく好きだからだけじゃない。

 もう一つ、不可解な事実があるからだ。


「……千円の売春なんか聞いたことねえよ。しかも、その身体は俺にしか売らねえんだろ? それは、特別だからじゃねえのかよ」

「まあ、特別だよ? 修平だから売ってるのは事実だね」

「だから、それって――」

「しつこい」


 俺のこれ以上の詮索は許さないと言わんばかりに、感情のない笑みを浮かべながら言葉を遮られる。


「修平。やることだけやった後に、ゴチャゴチャ言い出すの格好悪い。修平がこれ以上の何かを私に求めるなら、この関係自体やめるけど」

「……わかった。悪かったよ」

「うむうむ、わかればよいのだよ」


 結衣は少し感情が戻った笑みを浮かべながら、子供扱いするように俺の頭に手を乗せる。


 ああ、また線をひかれた。

 こんなに身体は近いところにあるのに、俺はいつまで経っても彼女の心に辿り着けない。


 そこを隔ているのは限りなく薄い千円札一枚分の壁。その距離が果てしなく遠く、分厚い。


 たった0.1ミリメートル先に君がいるのに、届かないんだ。


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