第2話 父さん、話があるんだ

 夜遅く、仕事から帰ってきてひとりで夕飯を食べている父さんの向かいに座った。


「父さん、話があるんだ」


「そうか、お前もそんな年になったか」


 父さんは何か勘違いをした。


「最近の母さんと姉ちゃん、おかしいと思わない?」


「そっちか。ついに父さんも愛想つかされてしまったなあ。虹治こうじは父さんと母さんどっちについて来てくれるんだ?」


「違うって! 頭に変な虫乗っけてるじゃん! なんか人間みたいな顔してる、虫にしちゃでっかいやつ。あれ、どう考えても悪趣味だろ? 父さんからもなんか言ってやってよ!」


 父さんは箸でつまんでいたご飯をぽとっととテーブルに落とした。


「虹治、あれが見えるのか?」


「当たり前じゃんあんな目立つもの。けどあれが何なのか、誰に聞いてもはぐらかされて教えてくれないんだ」


「ちょっと来なさい」


「え、メシ途中じゃん」


「まあいいから」


 父さんは重い足取りで自分の部屋へ向かった。そしてずっと開けてなさそうな押入れの上の段から、古い段ボール箱を取り出した。


「これには、狭山家に代々伝わる家訓とか、まあそんなものが書かれた書物が入っている」


「そんなの初めて聞いたんだけど」


「うん、時代とともに馴染まなくなってしまったからな」


 父さんはホコリだらけの巻物に息を吹きかけ、くるくると紐解いた。


「読んでみろ」


 そういわれても達筆すぎて読めない。


「仕方ないな。俺が要約して話すからよく聞けよ」


 父さんは巻物から視線をそらし、宙を仰いだ。どうやらこの字は父さんでも歯が立たないらしい。


「むかし、狭山家に六佐ろくすけという男がいて、虫を殺すのを趣味にしていた。相当日頃のストレスがたまっていたんだろうな。ハエとかアリとかキリギリスとか、容赦なく足でつぶしたり棒ではたいたりした。


 とくに人様に迷惑がかかるわけでもなかったけれど、周りの人はその趣味を気味悪がって、『そんなことしてなにが楽しいんだね?』と尋ねた。すると六佐は『いけ好かねえ奴の顔思い浮かべながら殺すとスッとするのさ。虫は殺してもなんでか罪悪感がわかねえ。人の顔でもついてたらちっとは遠慮するかもしれねえけどな』と答えた。


 それからというもの、狭山家に近しい人から順に、正気を失っていった。ものを言わなくなり、一切の感情を出さなくなった。まるで人間らしい振る舞いを忘れてしまったようにな。


そういう人の頭には決まって人間みたいな顔をした大きな虫が乗っていたというんだが、見たっていうのが正気を保っていた少数の狭山家の人間ばかりなもんで、しまいにゃ一家に虫の呪いがかかったんだってことになった。以来、この話は代々語り継がれてきた」


 父さんは昔から絵本の読み聞かせが上手かった。けど話の筋を適当にアレンジするからいつも内容が違った。きっとこれも作り話に違いない。


「言い伝えによれば、六佐が虫を殺すたびに人面の虫が現れたそうだ。しかも、それは人間を小馬鹿にしたように頭の上に乗ったまま離れない。虫が見える狭山家の人間は、何とかしてやつらを駆除しようと奮闘した。そして、見つけた方法がこれだ」


 父さんは巻物の隣にあった縦長の箱を出してふたをとった。中には、銀色に輝く、研ぎ澄まされたボディの……ハエ叩きが入っていた。


「父さん、面白いお話だけど、もう俺ちっちゃい子どもじゃないんだからさ」


「そうだ、中二は子どもだとも! 妄想力にかけてはちっちゃな子どもにも勝る!」


「そういう意味じゃないし」


「やつらは素早いが、何か面白いことを言った時だけ腹を抱えて笑って油断する。そこをバチンっとはたくんだ。そうすると落ちて消える」


「なんで笑うの? なんで消えるの?」


「笑いは世界を救うからだ」


 もう意味が分からない。


 父さんは銀のハエ叩きを手渡して、おれの手を熱く握った。


「虹治、世界を救え」


「父さん……おれひとりじゃできないよ」


「大丈夫、そのうちきっと協力者が現れるだろう」


「え、手伝ってくれないの?」


「実は、父さん明日から海外へ出張なんだ」


 父さんは右手に箸を、左手に茶碗を掲げた。


「その前に母さんの手料理いっぱい食べておかないとだから!!」


 誰か親父を止めてくれ。

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