第38話 分配交換の儀式
熟した果実のような太陽が西の空に沈んでいく。砂漠は一面燃えるように赤く染まり、その中に黒い点が七つ見える。やがてその点は徐々に大きな人影に変わり、黒装束に身を包む七人がラクダに向かって進んでくるのがわかる。彼らはセーカに向かっていた。
セーカでは、地上の砂漠でまもなく分配交換の儀式が始まろうとしていた。
砂漠の熱砂が立ち込める中、奇岩群が魔物のようにうごめくように見え、儀式の場が異境であるかのような錯覚を起こさせる。その奇岩群の中、東の砂漠に面して石積みの祭壇が設けられている。祭壇の石積みは、古代の巨人が積み上げたかのような荘厳さを誇り、かがり火が勢いよく燃えて天まで届きそうな熱気を放っていた。日没が迫る砂漠の広大な空に滲む赤やオレンジの陰影に火の粉が散り、星のように瞬く美しさの中、夜が神秘的に訪れようとしている。
祭壇の周りには老主を筆頭とするプレーナ教徒の長老たちが厳粛な面持ちで立ち並んでいる。彼らは日没で急速に気温が下がる中、冷えていく体に震えながらもじっとりとした緊張の汗を額ににじませていた。彼らの下で働く罪深き信仰者たちは、厳かな表情で儀式を執り行う準備をしている。セーカでは貴重な地上の穀物や色とりどりの織物、牛や羊などの家畜が捧げものとして祭壇に積み上げられ、中央の銀の器には夕日が反射している。
やがて訪れるヴェルダの御使いが銀の器に水を満たすと、満月の光が水面で玲瓏と輝く。老主はその前でプレーナへの感謝の祈りを捧げる。黒装束の民たちは、祭壇の脇に横並びに立った穀物などの食糧を積んだらくだを従え、厳粛な表情で儀式を見守る。老主の両脇には空になった二つの大きな素焼きの水瓶が置かれる。その二つの水瓶に黒装束の民たちが運んできた水を移す。
これが分配交換の儀式だ。
以前は、プレーナへの捧げものとされた乙女たちが感謝の舞と祈りの歌を捧げたが、今は老主に選ばれたプレーナ教徒の娘たちが列を成し、高く澄んだ音を響かせる石琴の音に合わせて祈りの動作を繰り返す中で儀式が執り行われる。彼女たちは、厳粛な雰囲気を一層引き立てるように、プレーナ教徒としては似つかわしくない肌を顕にした服に刺繍をほどこしたヴェールをまとう。彼女たちの姿は、砂漠に咲いた花のように美しく、儀式の厳かさと壮大さを一層引き立てている。
緑の布で全身を覆い隠した老主は、かがり火の煙の中を悠然と祭壇の前に進んでいった。後ろには白い布をかぶった配下の男たちが付き従っている。
やがて日は完全に沈み、七人の黒装束の民がセーカに到着した。
すでに満月が空に明るい。
黒装束の民の中心にいるのがヴェルダの御使いだ。顔の部分は頭部を覆う黒い布の影になっている。老主は、色あせた緑の布をまとい、腰を曲げてゆっくりとヴェルダの御使いの方に歩を進めた。
かがり火の火花が闇に散る中、プレーナ教徒の娘たちが奏でる石琴の音が高らかに鳴り響く。
今まさに分配交換の儀式が始まろうとしたそのとき、後方の奇岩住居の一つから、神帝国の服を着たユピを連れたテラリオが姿を見せた。
「ヴェルダの御使いよ、あなたへの捧げものがまだここに」
テラリオは祈りの言葉で叫ぶと、縄で縛ったユピの手を引き、ぎくしゃくとした足取りでヴェルダの御使いのそばに近づいていった。
そして時折ユピを威嚇する素振りを見せながら、手に持つ剣を振り上げた。
剣に満月の光が反射する。
その動作を繰り返しながら、テラリオは何度かちらちらと砂漠の南の方を見た。
それは、こちらの様子をうかがっているはずの神帝国の者たちへの合図だったが、極度の緊張のためか、テラリオは足をもつれさせ、顔も恐怖にひきつっていた。
テラリオに引かれているユピの方がよほど落ち着いて見える。
ユピは一瞬テラリオが視線を送る先を確かめるように顔を上げた。月明かりに白く浮かぶその顔は、無表情で生気がなく、冷気に凍りつくようで、まるで人形のようだった。
鉄琴の音はすでに止み、広大な砂漠を吹き抜ける風の音だけが響く。
動揺するプレーナ教徒たちがざわめく中、黒装束の民たちは互いに顔を見合わせながら、ヴェルダの御使いがどう出るかを待った。
「あれは、おまえも承知のことか?」
ヴェルダの御使いはらくだの上から遠目ににテラリオを眺めながら、目の前の老主に尋ねた。
老主は答えず、ただ近づいてくるテラリオとユピをじっとみつめている。そのことはテラリオもおかしいと思った。
なぜ老主は何も言わずに黙って自分を近づけさせるのか?
疑問を感じながらも、テラリオはヴェルダの御使いの前に近づいていく。
そしてまた剣を振り上げた。
神帝国の兵士たちは、固唾を飲んでその場の様子を見守っていた。
そのとき、老主に付き従っていた男の一人がかぶっていた布をはぎとり、テラリオに飛び掛った。
剣で男を斬りつけようとしたテラリオは、その顔を見て驚いた。
「カイル……!」
老主に付き従っていたもう一人の男もテラリオをおさえつける。それはカイルと一緒に老主の配下の男になりすましたジライオだった。
そのとき、家畜がいっせいに騒ぎ立てた。
奇岩住居の影で弓を構えるサミルとセミルが先をつぶした矢を家畜の群れの中に放っていた。
弓矢は積荷を背負ったらくだの方にも向けられる。一列に並んでいた罪深き信仰者たちは、逃げ惑うらくだを取り押さえようとする。
プレーナ教徒の娘たちは悲鳴を上げて、散り散りになる家畜たちの中を逃げ惑う。
黒装束の民たちも自分たちが騎乗するらくだをなだめながら、混乱を避けようとしている。
そんな中、老主は緑の布を脱ぎ去って、その正体を現した。
「ユピ!」
姿を現したヒラクはユピに駆け寄った。
「ユピ、ユピ!」
ヒラクはユピに抱きついた。凍りついていたかのようなユピの顔に生気が宿った。
「ヒラク? どうして……」
ユピは、焦点の合わない目でぼんやりとヒラクをみつめる。
ヒラクは喜びのあまり背後の気配にはまるで注意を払わなかった。
「ヒラク!」
カイルの声にハッとして、ヒラクは後ろを振り返った。そこには先ほどまでらくだの上にいたヴェルダの御使いが立っていた。
ヴェルダの御使いはヒラクに近づくと、ヒラクの緑の髪をじっと見た。
「おまえは……」
その声にヒラクは聞き覚えがあった。そして顔をおおう黒い布の隙間からのぞく、自分と同じ緑色の髪をはっきりと見た。
そのときだった。
ヒラクのみぞおちの辺りで何かが光った。
それは、ヒラクが懐に忍ばせていた、シルキルに渡された小瓶だった。
ヒラクは小瓶を取り出した。中の水は緑色の光を強く放っていた。その水はつめ込まれた木の破片の栓を内側から押し上げていく。
小瓶から栓が外れると、中から水が噴出した。
発光するその水は、光そのものに見えた。
光は拡散し、煙のように広がった。
そして再び凝縮し、光は人の形を成した。
それは老主の聖室で見た緑に発光する女そのものだった。
「来るな」
自分の方に手をのばす女から逃れようとするように、ヒラクは後ろに飛びのいた。
「ヒラク?」
ユピにはヒラクが見ているものが見えていなかった。だがヴェルダの御使いには見えている。そして誰よりも素早く異変に気づいていた。
「来る」
そう言って、ヴェルダの御使いは砂漠を振り返った。
空全体が不自然に白み、星が姿を消していく。奇妙な静寂が辺りを包む。
そしてヒラクは、空と砂漠の境に一筋の線のように伸びる緑の光が、空に向かってうねりあげ、津波のようにセーカに押し寄せてくるのを見た。
「あれは……一体……」
ヒラクは緑の津波に目を釘づけにしたままつぶやいた。ただ一人、ヒラクの他にそれが見えるヴェルダの御使いが答える。
「プレーナだ」
それはヒラクが幼い頃から求め続けた神の名だ。
今まさに、ヒラクの前にプレーナが訪れようとしていた。
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